【清水利彦コラム】<フットボールの歴史を彩る一枚の写真> 第7回:パッカーズの撮影に生涯を捧げた男 2023.2.23

清水 利彦(S52年卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com

もしも皆さんが、神様から「所蔵している全ての本の中から、一冊だけ残して、あとは全部捨てよ」と命じられたら、貴方はどの本を残しますか?

私の場合、残すのはフットボール関係の本であることは間違いありません。(フットボール以外の本は、ロクなものを読んでいません 笑)そして、100冊を優に超えるフットボール蔵書の中から一冊だけ選ぶとなると、、、

難しい選択ですが、伝記本「ロンバルディのファーストシーズン(That First Season, by John Eisenberg)」か、「パッカーズ写真集 タイトルタウンの栄光(The Glory of Titletown, Photographed by Vernon J. Biever)」か、散々迷った挙句、後者を残すのではないかと思います。

前者は何度も何度も読み返したため、ストーリーがほぼ頭の中に入っていますが、後者は眺め直すたびに今でも新しい発見があります。

前号コラムで「パッカーズCケン・ボーマンの手」を紹介しましたが、この写真が収められていたのがThe Glory of Titletownです。Titletown(タイトルタウン=覇者の街)とは、優勝を重ねたグリーンベイ市に与えられている、賞賛をこめた呼び名です。

The Glory of Titletownの表紙

The Glory of Titletownの編集者、ピーター・ストラップは次のように語っています。

「ウイスコンシン州に生まれ育つ、ということは、『パッカーズと共に生まれ育つ』という言葉と同義語だ。子供の頃から憧れの的はパッカーズであった。パッカーズの選手一人一人が私にとって英雄だった。しかし、子供である私達が試合場に観に行くことは容易ではない。私がパッカーズの姿を見られるのは、テレビであり、新聞や雑誌や書籍に掲載される写真しかなかったのだ。私は書店の店頭や図書館で、むさぼるようにパッカーズの写真を眺め続けた。そうしているうちに、私は子供ながらに、掲載されている写真の数多くが「Photo by Vernon J. Biever」と記されていることに気が付いた。

(中略)

私は卒業後、東海岸の出版社に職を得て、故郷のウイスコンシン州を去った。しかし幸いなことに、数年後、その出版社がジェリー・クレイマー(ロンバルディ黄金時代の、名オフェンスガード)の本を出版することになり、その本に挿入する写真を探すよう命じられたのだ。私はまだバーノン・ビーバーという名前を憶えていた。

球団に問い合わせをしたところ、すぐにバーノン・ビーバー氏本人から25枚の代表作写真を収めたファイルが送られてきた。そのファイルは私にとって、単なる25枚の写真ではなく、「多感な若き日々の、25個の鮮烈な想い出」だった。ファイルが届いた夜、私は一切外出をせず、かかってきた電話も取らずに、ひたすら25枚の写真を眺め続けた。(中略)

バーノン・ビーバー氏とパッカーズとの出会いは、芸術写真家とその被写体とが、見事に一体化された稀有な例であると考える。この本、「The Glory of Titletown」は、バーノン・ビーバー氏と、パッカーズへの愛情に満ち溢れた彼の作品群に対する、感謝・賛辞・祝福の念、そのものである。」

まずは、バーノン・ビーバー本人の写真をご覧ください。

1957年、カメラを構えるバーノン・ビーバー(中央上) 出典:The Glory of Titletown

もちろん、これは他のカメラマンが撮影したもので、サイドラインに倒れこんだ両軍選手を撮ろうとしたところ、まるでバーノン・ビーバー氏の活躍ぶりを捉えたような写真となりました。カメラマンと被写体が一緒に写っている珍しい写真です。当時、彼(34歳)がスーツに帽子、ネクタイ姿という正装で仕事をしていたことがわかります。カメラがいかにも旧式ですね。

バーノン・ビーバーは1923年、ウイスコンシン州グリーンベイ市に近いポート・ワシントンで生まれました。子供の頃から写真に興味を持ち、1941年大学に入ると同時に、地元新聞社ミルウォーキー・センティネルにアルバイトとして雇われ、パッカーズの試合写真を撮影するようになりました。

第二次世界大戦が始まると彼は陸軍に入隊し、従軍カメラマンとして活動。終戦後、故郷に戻り、自宅でドラッグストアを営むと同時に、1946年から正式にパッカーズの専属カメラマンとなり、日曜毎の試合には常にチームに帯同して撮影を続けました。

1959年ビンス・ロンバルディがヘッドコーチに就任し、9年間のパッカーズ黄金期(優勝6回)に入ります。その時代を彩る歴史的価値のある写真の多くは彼によって撮影されました。彼の多数の作品が今もプロフットボール殿堂に展示されています。

1984年「NFL最優秀カメラマン賞」を受賞。

The Glory of Titletown は1998年、バーノン・ビーバーが75歳の時に出版されており、バーノンはその後も8年間、現役カメラマンを続けました。2006年に83歳で引退するまで61年間、チーム専属カメラマンとして撮影を続けています。2010年に87歳で亡くなりました。

パッカーズ殿堂(Green Bay Packers Hall of Fame)には現在166名が登録されていますが、そのほとんどは元選手・コーチ・経営陣であり、チームカメラマンとして殿堂入りしたのはバーノン・ビーバー唯一人です。

彼の息子ジョンはスポーツイラストレイテッド誌のカメラマンになり、もう一人の息子ジェイムズと、孫マイケルは、パッカーズのチーム専属カメラマンになっています。

今回は、バーノン・ビーバーの作品を4点だけ紹介します。

1962年、パッカー・スィープ 出典:The Glory of Titletown, Photo by Vernon J. Biever

おそらくこの写真が彼の作品群の中で、最も有名なものでしょう。なぜ有名かと言うと、この写真にて「パッカーズの千両役者が揃い踏みし、十八番(おはこ)のプレー、Packer Sweepをおこなっている」からです。パッカー・スィープとは、両OGがプルアウトして、RBがオープンを突くという単純なランプレーです。たまにはロングゲインもしますが、ほとんどの場合、3~7ヤード程のショートゲインに終わります。それでも3~7yd前進を延々と繰り返してゆけば必ず勝てる、というロンバルディ・コーチの信念に基づき、頻繁にコールされました。敵のヘッドコーチが「(第3ダウン・ショートの場面などで)次もスィープが来ることはわかっているのに、どうしても止められない。」と嘆いたプレーでした。

ブロッカーのOG#64ジェリー・クレイマーと#63ファジー・サーストンの躍動感あふれる走りをご覧ください。クレイマーはロンバルディ黄金期の全期間、130試合において活躍し、プロフットボール殿堂入りしています。サーストンはオールプロ選出5回。引退後もグリーンベイ市に住み続け、80歳で亡くなるまで「ウイスコンシンの英雄」として地元民から愛されていました。

RB#31ジム・テイラーについては、次のYou Tube画像をご覧いただくのが良いでしょう。(5分弱)

(41) NFL Tough Guys Jim Taylor – YouTube

1962年のMVPで、オールプロに5回選ばれ、殿堂入りしています。かつては「ボールを扱うポジションの選手は、筋力トレーニングをすると足が遅くなるので、筋トレをしてはいけない」と言われていましたが、テイラーは身体を鍛え上げムキムキの筋肉で大活躍し、その後の常識を覆しました。

QB#15バート・スター(殿堂入り)については特に説明の必要はないでしょう。注目すべきは、バート・スターとジム・テイラーとの間に、サイドラインでスィープを見つめるビンス・ロンバルディの姿が小さく映っている事です。これにより「千両役者揃い踏み」が完成した奇跡の瞬間でした。

スーパーボウル勝利後、ロンバルディ・コーチを肩に担ぐジェリー・クレイマー  出典:The Glory of Titletown, Photo by Vernon J. Biever

これも有名な写真です。1968年1月14日、第2回スーパーボウル(於マイアミ・オレンジボウル)にてパッカーズがオークランド・レイダースを33-14で破り、連覇を果たした直後です。

オフェンスガード(OG)のジェリー・クレイマーがすぐさまロンバルディを担ぎ上げ、二人が見つめあった瞬間をバーノン・ビーバーのカメラが捕えました。お互いの視線がとても温かいことにご注目ください。

パッカーズに詳しい人に「ロンバルディ・コーチから一番怒鳴られた選手は誰か?」と尋ねたら、「そりゃ、一番はOGジェリー・クレイマーだろう。二番目はOGファジー・サーストンかな?」という答えがきっと返ってきます。元々オフェンスコーチであり、自らがOGとしてプレーしていたロンバルディは、常にOGの選手に対し容赦ない叱責を浴びせ、ミーティングの間中もOGの二人を大声で叱り続けることで知られていました。ミーティングを終えたクレイマーとサーストンが、あまりにもひどい叱られ方に、顔を見合わせて「こんなのはおかしい。こんな事はフェアじゃない。」と嘆くシーンが伝記本に描かれています。

しかし、肩に担いだコーチを見上げるクレイマーの視線は、「ボス、俺はアンタのことをちっとも恨んでなんかいませんよ。俺はアンタに心の底から感謝しているんだ。」と言っているように見えます。

「OGの働きによって試合に勝つ」ことをビンス・ロンバルディほど真剣に追い求めたコーチは他にいないでしょう。

この写真が撮影された数週間後、体調に不安を抱えていたロンバルディは、「ヘッドコーチを辞任して、パッカーズのGMに就任する」という電撃発表をします。つまりこの写真には「パッカーズ・ヘッドコーチとしてのロンバルディの最後の姿」という歴史的価値が加わったわけです。

ジェリー・クレイマーの活躍ぶりは下記のYou Tube画像でご覧ください。(3分30秒)

この巨体でプレースキッカーを兼務していたことには驚きます。OGが足を怪我したらキッキングをどうするつもりだったのでしょうね。

(41) #1 Jerry Kramer | NFL Films | Top 10 Players Not in the Hall of Fame – YouTube

この中でクレイマーは「プロフットボール殿堂入りを果たせなかった最高の選手」として紹介されていますが、そのずっと後、なんと彼は82歳の超高齢で殿堂入りを実現(2018年)させています。

1971年、ロッカールームのボールボーイ  出典:The Glory of Titletown, Photo by Vernon J. Biever

三枚目の写真は、地味な小作品ですが私のお気に入りです。1971年12月のマイアミ遠征(ドルフィンズ戦)におけるロッカールーム内のボールボーイ(雑用係)をとらえた写真です。コラム「マイク・マクダニエル物語(2022/11/17号)」で、マイクが中学生の時に「デンバー・ブロンコスのボールボーイという夢のようなアルバイトを得た」とありましたが、子供がNFL試合場のロッカールームで雑用の仕事をしている事は、私は最近まで知りませんでした。マイアミへの遠征試合にまで、このような少年が存在しているのですね。驚きました。

試合用のパンツにヒモを通す仕事をしていますので、球場到着から練習開始までの、着替えのシーンの時間を捉えているのでしょう。雑然とした更衣室の中で、ボールボーイが子供ながら一生懸命になって、大好きなパッカーズに少しでも貢献しようとしている様子が伝わってきます。ファインダーを通して少年を見つめる、カメラマンの愛情あふれる視線もたっぷりと味わうことが出来ます。

1997年、29年ぶりの優勝に歓喜するパッカーズ・ファン達  出典:The Glory of Titletown, Photo by Vernon J. Biever

ビンス・ロンバルディがパッカーズを去った後(1968年~)も、バーノン・ビーバーはパッカーズの写真を撮り続けました。しかしチームは長い低迷期に突入し、25年間でプレイオフ出場わずか2回という惨状でした。

1992年にヘッドコーチに就任したマイク・ホルムグレンがチームを建て直し、QBブレット・ファーブの成長により、しだいに強豪復活を果たします。ついに1997年1月、第31回スーパーボウル(於ニューオーリンズ・スーパードーム)において、ペイトリオッツを35-21で下し、パッカーズは29年ぶりの優勝を遂げました。

勝利の瞬間、歓喜のグリーンベイ市民が街中の至る所で大騒ぎを始めた模様を、バーノン・ビーバーが捉えた一枚です。この時、彼は既に73歳になっており、ニューオーリンズのスーパーボウル会場には同行せず、グリーンベイの町に残ってファン達の様子を記録に残そうとしたのだと推察します。

「ロンバルディ・トロフィーがタイトルタウンに戻ってくる!!!」

(Lombardi Trophy is coming home!!!)

当日グリーンベイの人々はそう叫び続けました。青色の信号機が見えますので、これが交通遮断の迷惑などお構いなしの、路上の大騒動であったことがわかります。市民の歓びの姿を撮り続ける、バーノン・ビーバー自身もどれほどこのシーンを待ち続けたか、どれほど嬉しかったか、想像するだけで私も涙が出てきます。

ユニコーンズにおいても、秋本宗一様、小柴尊昭様、浅田哲生様、岡見清隆様、鈴木尚貴様、斉藤力丸様、菊池洋道様、小池匠様、平山紗奈様、そして記載出来ない方もいらっしゃると思いますが、何人もの歴代チームカメラマンがおられ、ボランティアで我々の試合写真を撮り続けてくださっています。どうか現役諸君は、これらの方々への感謝の気持ちを忘れずに持ち続けていただきたいと願います。

バーノン・ビーバーの作品はまだたくさんあります。今後少しずつご紹介していきますので、楽しみにしていてください。

 

「清水利彦のアメフト名言・迷言集」

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