【清水利彦コラム】桜美林大学の歴史 2020.11.27

清水利彦(S52年卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com

今年の関東リーグTOP8は、コロナ禍により、4チームずつA・B二つのブロックに分け、1位同士が甲子園ボウル出場を争う形式となりました。そして、A・Bとも昨年BIG8から昇格したばかりの、日大vs桜美林大学にて甲子園出場が争われることとなりました。(11月29日14:45 無観客にて)

日大の進出は誰も驚かないと思いますが、桜美林大学の快進撃を予想された方は恐らく誰もいなかっただろうと想像します。桜美林のこれまでの試合内容は立派なもので、17-7明治、9-3立教と勝利し、早稲田には敗れたものの第4Q残り1分まで早稲田7-6桜美林と肉薄していました。(最終スコア早9-6桜)

桜美林の戦い方は、ボール所有時間(Ball Possession)に表れています。

桜美林 18:07 早大 29:53
桜美林 21:55 明治 26:05
桜美林 17:35 立教 30:25  合計 桜美林 57:37 相手 86:23

相手が攻撃している時間の方が圧倒的に長いのです。どんなに攻め込まれて、押しまくられても守備陣が粘り抜いて失点を最小限に抑え、敵のミスから生じた数少ないチャンスを攻撃陣が活かしてきわどく勝つ、という「弱いチームが勝つときの、勝利の王道」を実践しているのだろうと感じます。

桜美林は、「この試合に勝てば甲子園ボウル出場」などという状況に立ったことは、創部以来、一度もないと認識していました。そこで、桜美林大学アメリカンフットボール部の歴史を調べて確認してみました。(出典:日本アメリカンフットボール協会60年史、関東学生アメリカンフットボール連盟80年史、関東大学アメリカンフットボール連盟HP)

<桜美林大学の歴史>

1971 関東連盟準加盟
1972 さつきリーグ 1位 関東選手権一回戦敗退 (当時は並列5リーグ制)
1973 さつきリーグ 4位
1974 さつきリーグ 1位 関東選手権一回戦敗退
1975 さつきリーグ 5位
1976 さつきリーグ 7位
1977 さつきリーグ 5位
1978 さつきリーグ 5位
1979 さつきリーグ 1位 関東選手権一回戦敗退
1980 さつきリーグ 1位 関東選手権一回戦敗退
(80年の1位により、81年からの一部・二部制発足で、一部に所属する)
1981 一部B(6校中) 5位
1982 一部B  5位
1983 一部A  5位
1984 一部B  5位
1985 一部B  5位
1986 一部B(7校中) 5位
1987 一部B 6位
1988 一部B 4位
1989 一部B 6位
1990 一部B 7位 ●入替戦 筑波に敗れ、2部降格
1991 2部D 2位
1992 2部B 1位 〇入替戦 明治学院に勝ち、一部昇格
1993 一部B 7位 ●入替戦 明治に敗れ、2部降格
1994 2部B 2位
1995 2部D 1位 ●入替戦 中央に敗れ、2部据え置き
1996 2部A(8校中) 1位 〇入替戦 明治学院に勝ち、一部昇格
1997 一部B(7校中) 7位 ●入替戦 早稲田に敗れ、2部降格
1998 2部A(8校中) 1位 〇入替戦 筑波に勝ち、一部昇格
1999 一部A(7校中) 7位  〇入替戦 山梨学院に勝ち、一部残留
2000 一部B 7位 ●入替戦 慶應に敗れ、2部降格
2001 2部A(8校中) 5位
2002 2部A 7位 ●入替戦 国士館に敗れ、3部降格
2003 3部D(6校中) 1位 〇入替戦 高千穂に勝ち、2部昇格
2004 2部B(8校中)3位
2005 2部A 3位
2006 2部A 7位 〇入替戦 城西に勝ち、2部残留
2007 2部A3位
2008 2部B 2位 ●入替戦 立教に敗れ、2部据え置き
2009 2部A 4位
2010 2部B 7位 〇入替戦 新潟大に勝ち、2部残留
2011 2部B 7位 ●入替戦 成城に敗れ、3部降格
2012 3部D(6校中) 1位 〇入替戦 東京外国語大に勝ち、2部昇格
2013 2部B(8校中) 7位 〇入替戦 埼玉大に勝ち、2部残留
2014 2部A 6位
2015 2部B2位
2016 2部B 1位 〇入替戦 拓殖に勝ち、BIG8昇格
2017 BIG8 2位 ●入替戦 明治に敗れ、BIG8据え置き
2018 BIG8 2位 ●入替戦 日体大に敗れ、BIG8据え置き
2019 BIG8 2位 〇入替戦 日体大に勝ち、TOP8昇格
2020 TOP8Bブロック1位 甲子園ボウル出場をかけて、日大と対戦

はじめ私は、このような長い歴史をすべて辿るつもりはありませんでしたが、直近5年、10年と見てゆくうちに、「桜美林の歴史、イコール、ほとんど入替戦の歴史」と言えるような事実がわかり、無我夢中になって創部からの歴史を追って調べることになりました。いくつかの事実が見えました。

桜美林大学は、

1.1971年の創立(準加盟)ですので、今年が創部50周年になります。(※日本協会の年表には、正式加盟の1972年が創部年と記載されている)関東で33番目の加盟校。50年間で「甲子園ボウルに限りなく近づく」瞬間は今回が初めてで、これまでは「甲子園に近づいた」ことさえありません。一部リーグで勝ち越したことでさえ、1988年(3勝2敗1分)以来、33年ぶり2回目のことです。

2.過去30年間に、なんと21回入替戦に出場しています。すべての記録を確認したわけではありませんが、おそらく、いや、間違いなく、関東の全参加校のうち最多の出場回数だと信じます。

3.入替戦の戦績は、次の通りです。
①一部と二部の入替戦(TOP8とBIG8の間を含む) 5勝8敗
②二部と三部の入替戦(BIG8と二部の間を含む)   6勝2敗

4.三部落ち経験2回。8年前の2012年は、三部でプレーしています。2015、2016年もTOP8・BIG8の下の二部ですから実質は三部でした。

5.今年は19年ぶりの一部復帰イヤーでした。この5年ほどで急速に強くなり、ついに関東上位二校に入りました。

私は、桜美林大学の歴史を調べるうちに、なんだか涙が出てきました。歴代の桜美林OB・OG達も、「いつかは我々も甲子園へ」の夢を抱きながら日々を過ごしてきたはずです。ただし、50年間の大半の時間は、「甲子園へ」という言葉が虚しく響くような状況の中にいました。3部落ちなど、心が折れそうになることも何度も経験しているはずですが、それでもあきらめずに這い上がってきたために、今回の晴れ舞台を迎えることになりました。

当然、前評判は圧倒的に日大有利だと思います。世間の人たちは、2年前の「日大事件」から鮮やかな復活を遂げる日大の姿を楽しみにしていることでしょう。日大にとって11月29日の代表決定戦が非常に重要であることは当然ですが、桜美林の「入替戦にまみれた歴史」を知った私には、桜美林大学にとっての代表決定戦の方が何倍も、ずっとずっと重みのある試合に思えてならないのです。

頑張れ!!桜美林大学!!

※桜美林大学
東京都町田市に本部を置く私立大学。
米国オハイオ州のオーバリン大学(Oberlin College)への留学経験のある清水安三が、オーバリンにちなんだ名前として、1921年「桜美林高等女学校」を創立した。つまり桜美林は日本語ではなく、英語名の当て字である。大学設立はずっと後の1966年。「キリスト教精神に基づいた国際的人材の育成」を目指す。オーバリン大学とは提携校の関係を結んでいる。大学が設立されて5年後に、アメリカンフットボール部創部。1971年、準加盟の年には4勝0敗。翌72年に、明治学院・青山学院・独協・学習院・成蹊・成城とともに、さつきリーグに配属され、いきなり5勝1敗で優勝。関東選手権に初年度から出場し、一回戦日体大18-8桜美林と食い下がる。つまり創部当初は比較的高い地位にあり、そこから一旦3部まで落ちて、50年後に一番高い位置まで昇ってきたことになります。

「人間の価値とは、君が今どれだけ高い地位にいるかで
決まるのではない。人間の価値とは、君がどん底の谷間から
どれだけ高くまで這い上がってきたか、
その距離、高低差によって決まるのである。」

ブッカー・T・ワシントン
(黒人解放運動指導者。奴隷の息子として生まれる。ホワイトハウスに招待された史上初の黒人)