清水利彦(S52年卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com
先日のコラムで、テキサスA&M大がアラバマ大に勝利した大番狂わせの試合をご紹介しました。
テキサスA&M大という大学は、名前だけ聞くと「テキサス大の亜流」というイメージがあり、日本ではいまいち知名度が高くないと思いますが、知れば知るほど「凄いな」と感じる学校で、私はこの大学のファンです。
そこで今回は、テキサスA&M大がどのような学校であるかについてお話ししようと思います。
本コラムの資料出典はいずれもWikipedia, English
1.広大なキャンパスを持つ、歴史ある超マンモス大学
テキサスA&M大は、創立当初から1963年までの学校名を、The Agricultural and Mechanical College of Texas といい、略してA&Mとなっています。したがってUnicorns Netにおいては過去に「テキサス農工大」という訳語を用いていた時期もありましたが、農工大という名称が実態を表わさないと感じ、最近はテキサスA&M大という表示を意図的におこなっています。
テキサスA&M大は1876年創立、テキサス大は1881年創立ですので、A&Mの方が古いのです。(州で一番古いのは、ベイラー大1845年。慶應義塾の創立は1858年ですが、大学が設置されたのは1920年のこと)
学生数でもテキサスA&M大69000人、テキサス大オースティン校51000人とテキサスA&M大の方がずっと多いです。ひとつのキャンパスに69000人というのは全米でも飛び抜けて多い学生数で、セントラルフロリダ大(2020年に71000人)と毎年トップの座を競っています。(慶應義塾大学は三田・日吉・信濃町他すべて合わせて約34000人)
テキサスA&M大は、テキサス州南東部のカレッジステーションという市にあります。海に近いヒューストンから北西に130km離れており、もともとは何もないテキサスの原野だったところです。市の人口が12万人程ですから完全なる「大学町」です。
学生数が多いので、キャンパスも広大です。面積21平方キロメートルと言われてもピンときませんが、(東京ドーム446個分と言われても、もっとピンときませんね)「南北3㎞、東西7㎞の長方形の土地」がちょうど21平方キロメートルですので、大体そんなものだと思ってください。実際にはもう少しいびつな形をしています。東西7㎞あるので大学構内でも移動にはクルマやバスが欠かせません。学生のうち約14000人が大学構内の学生寮に住むので、寮の数だけでも膨大です。東西7㎞のちょうど真ん中を鉄道が横切っており、キャンパスの中心部に駅があります。つまり、これが「カレッジステーション」という市名の由来です。
キャンパス内に18ホールのゴルフコースがあり、席数10万3千を誇るフットボール専用スタジアムがあります。このスタジアム「Kyle Field」は、1904年建造という、とてつもない歴史を持ち、何度も拡張を繰り返し、今は世界で5番目に大きい収容人数を誇る球技場です。
またキャンパス内には、第41代アメリカ合衆国大統領、ジョージ・H・W・ブッシュ(パパ・ブッシュ)と妻バーバラが眠る墓地があり、その横には”George H. W. Bush Presidential Library and Museum” が建てられています。「大統領図書館」と名乗れる施設は全米で13か所しかありませんが、そのうちの一つです。ブッシュ大統領はエール大学卒なのですが、テキサス州で立身出世し政治家となりました。テキサスA&M大構内に大統領の墓を作ると聞くだけで、この大学の格式の高さがわかります。
A&Mはフォーブス誌の調査による全米大学学力ランキングで50位。全世界でも150~200位に入る、非常に学業レベルの高い学校です。(テキサス大オースティン校はフォーブス誌76位)12の学部があり、あらゆる部門の勉学・研究をおこなっており、農工大という旧名とはかけ離れたイメージを持っています。「政府&公共事業学部」という部門まであり、政治や官僚の世界にも多くの人材を送り込んでいることがわかります。
2.テキサスA&Mは、軍人を養成する大学
これがテキサスA&M大の最大の特徴であると思っています。大学創立当初から、米国軍から認められた軍人養成・軍事訓練のカリキュラムが備えられており、1965年までは「学生全員が軍事訓練を受けることを義務付けられている大学」でした。創設以来長年に渡り、男子学生だけの学校であり、女子の入学が認められたのは1974年とずっと後の事です。
陸軍士官学校等の軍直属の軍人養成学校を除くと、本格的な軍人養成プログラムを持つ大学は「Senior Military College 」と呼ばれ、全米で6つしかありません。ノーウィッチ大学(バーモント州)、ザ・シタデル(サウスカロライナ州)、バージニア・ミリタリー・インスティテュート、バージニア工科大学、ノースジョージア大学、そしてテキサスA&M大の6校です。(このうちフットボール強豪校は、バージニア工科大とテキサスA&M大のみ)
したがってA&Mのキャンパス内には、今も軍服や訓練用ユニフォームを着て歩く学生が大勢おり、学年や本人の成績によって肩に縫い付けられる階級章が異なります。
第二次世界大戦には、この大学から約2万人が参戦しており、うち14000名は士官としての従軍でした。もちろん戦死者も多数います。同校卒業生の中で、職業軍人となり、のちに将軍の地位まで昇りつめた人が29名います。
このような特殊な成り立ちが、テキサスA&M大に「超・硬派」「厳しい規律」「文武両道」のイメージを与えています。筆者がこの大学を好きな理由の一番目は、ここにあります。
同校のマーチングバンドはまさに「軍楽隊」であり、一糸乱れぬ見事な動きで有名です。動画をご覧になりたい方はYou Tube で「Texas A&M Marching Band 」と検索してみて下さい。
このパフォーマンスをするために、どれだけ練習を積んだのだろうと考えるだけで涙が出てきます。
3.テキサスA&M大のフットボール部について
テキサスA&M大フットボール部は1903年の創部で今年119年目を迎えます。
通算戦績 741勝476敗44分 勝率.605 全米王座1回(1939年)
一方、テキサス大オースティン校は1902年創部で
通算戦績 876勝371敗32分 勝率.697 全米王座3回(1963、1969,2005年)
明らかにテキサス大の方が輝かしい戦績の歴史を持っています。A&Mは、大学の規模や勉学レベルでは負けていないのに、フットボール部は後塵を拝している感があります。
1939年にテキサスA&M大が全米王座に着いて以来、81年間チャンピオンになっていません。81年間で、最終ランキング10位以内に入ったことが11回、20位以内が27回ありますが、「あと1勝」「あと2勝」がどうしても果たせず、今日に至っています。
「かつてチャンピオンになったことがあり、その後もずっと高いレベルの戦力を維持しているのに、あと一歩二歩まで幾度も迫りながら、どうしても王座復活を成し遂げられない」ところに、私はA&Mとユニコーンズの共通点を見出しています。そこが、この学校を応援する2番目の理由です。
4.ポール・ベア・ブライアントとテキサスA&M大の関わり
ポール・ベア・ブライアントと言えば、アラバマ大コーチのイメージが強いですが、4つの大学でヘッドコーチ経験があります。
- メリーランド大 1年 6勝2敗1分 勝率.722
- ケンタッキー大 8年 60勝23敗5分 勝率.710
- テキサスA&M大 4年 25勝14敗2分 勝率.634
- アラバマ大 25年 232勝46敗9分 勝率.824 全米王座6回
A&Mにおいては就任期間が短く、戦績もたいしたことがないように見えますが、実はテキサスA&M大で教えた4年間がアラバマ大での栄光の基礎になっており、ベアにとってコーチ人生のハイライトと言うべき、忘れえぬ4年間でした。
ベアが就任する前の8年間で、テキサスA&M大は27勝47敗7分、勝率.365と低迷していました。彼は1954年の着任早々、A&Mにはびこる負け癖と、ぬるま湯体質に気づき、全部員の中から「どんなにつらくても絶対に逃げ出さず、あきらめない者だけを残す」ために地獄の合宿をおこなうことを決めました。
ジャンクションという田舎町でおこなわれた合宿には115名の部員が参加しましたが、壮絶・苛酷な練習に脱走・退部者が相次ぎ、10日後に戻ってきた時には29名になっていました。この29名は「ジャンクション・サバイバー」と呼ばれ、彼らの苦難の物語は映画にもなっています。(The Junction Boys, 2002年公開)
1954年、ジャンクション合宿の直後にリーグ戦が開始され、満身創痍・疲労困憊の29名で戦った秋は1勝9敗に終わりました。ただし、負けた9試合のうち6試合は7点差以内の敗北であり、「絶対にあきらめない」「常に全力を尽くす」チームの体質が次第に根付いていきました。翌年は7勝2敗1分と急激に強くなり、三年目(1956年)には9勝0敗1分でSWCリーグ優勝し、全米ランク5位となりました。「カレッジフットボール史上最大のV字回復」と呼ばれています。
ジャンクション合宿の模様は、筆者のブログhttps://footballquotes.fc2.net/ の中、長編物語→「ポール・ベア・ブライアントの生涯」第4~5章に詳しく書かれています。
「チビで鈍足のガード」として皆から「どうせ、あいつはすぐに退部する」と思われていた、デニス・ゲーリングという部員が、合宿を乗り越えてどのような人間に変貌し、卒業後どのような人生を送ることになるのか、というあたりを、まだお読みでない方は是非読んでください。
のちにポール・ベア・ブライアントは、「私のコーチ人生で、もっとも誇りに思っている代とは、アラバマ大で全米チャンピオンになった代のいずれでもない。テキサスA&M大で地獄の合宿を耐え抜いたが1勝9敗に終わった、あの29名の代である。」と語っています。
これが、私がテキサスA&M大を好きな三番目の理由です。
次回は、テキサスA&M大におけるユニークな伝統についてお話ししましょう。
「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
https://footballquotes.fc2.net/
「今週の名言・迷言」を木曜日ごとに更新しています