清水 利彦(S52年卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com
前号で「私がテキサスA&M大を好きな3つの理由」をご紹介しましたが、今回は「テキサスA&M大に今も引き継がれる数々の伝統」についてご紹介します。
(1)アギーズの誇り
テキサスA&M大のニックネームはAggiesと言います。語源はAgriculture で、「農業従事者達」、くだけた言い方をすれば「お百姓さん達」ということになるのでしょうか。もともと全米には農業の近代化、生産性向上を研究・学習するための農業専門学校がたくさんありました。それらが後に総合大学となり、現在の校名に変化しているケースが多いのです。例えば、
オーバーン大 ←旧名Agricultural and Mechanical College of Alabama
アイオワ州立大 ←旧名 Iowa Agricultural College and Model Farm 等々です。
したがって昔はアギーズというニックネームの学校が全国にたくさんありましたが、「学校の実態とニックネームが合わなくなった」ためにニックネームを変更する大学が出てきました。
ミシガン州立大アギーズ →1924年スパルタンズに改名
ミシシッピ州立大アギーズ →1932年ブルドッグスに改名 等いくらでもあります。
ところがテキサスA&M大は、現在農業学校とは全くかけ離れた実態であるにもかかわらず、アギーズの名称を使い続けており、むしろこの田舎っぽい名前を誇りに思っています。彼らは自分たちのキャンパスをAggieland (アギーの国)と呼んでいます。そして「自分たちは特殊な伝統を持つ大学の学生であり、その特殊性が我々の値打ちである」と考えているのです。
A&Mの学生は「自分たちが全米で一番、学校仲間に対してフレンドリー」であると信じています。キャンパスで学生同士がすれ違ったら、知らぬ人でもスマイルを浮かべながら「Howdy!」と挨拶するように教えられています。Howdy というのも実に田舎っぽい挨拶で、ニューヨークの街中で、突然Howdy!などと言ったら、きっとバカにされることでしょう。私もいつか、テキサスA&M大キャンパスを訪れて、Howdy を試してみたいと考えています。
(2)フィッシュ・キャンプ
テキサスA&M大では、9月の入学前に「フィッシュ・キャンプ」と呼ばれる4日間の合宿を行い、先輩学生が新入生たちに、「授業では教わることのない、この学校の伝統やしきたり」を教えることになっています。フィッシュ・キャンプは強制ではないにもかかわらず、新入生の約70%が参加し、参加者数は5千人を超えるとのことで、一大イベントになっています。彼らは、「わが校においては、授業以外で教わることの方が、教室で学ぶことよりもずっと価値がある」と考えています。
テキサスA&M大における伝統については、ウィキペディア(英語版)の「Tradition of Texas A&M University」に詳しく述べられていますし、テキサスA&M大のみに通用する特殊用語の数々が、同じくウィキペディア「Glossary of Texas A&M University terms」に記載されていますので参照してください。
(3)Yell Practiceと、Midnight Yell
テキサスA&M大に女子学生の入学が認められたのが1974年であり、1965年までは「在校生(全て男子)全員が軍隊訓練を受けることが義務」の学校でした。当時は、A&Mの学生は「フットボールの試合中には、決して着席することなく、最後まで起立したまま応援する」という習慣がありました。「自分たちは選手と共に戦っている」という感覚です。
歴史的に男子校であったため、この学校にはチアリーダーという概念がありません。フットボール試合の際には、学生・卒業生が一体となって「Yell(大声で叫ぶ)」するのが応援のスタイルです。秋のシーズン前に4年生と3年生の中から、5名のYell Leaderが選ばれます。Yell Leaderに指名されるのは極めて名誉なこととされています。一糸乱れぬ応援をするためにYell Practiceが開催され、千人以上の学生が集まり、Yell Leaderに従って大声を出したり歌ったりする練習を行います。そして各ホームゲームの前の晩には、キャンパス内のスタジアムに万単位のファンが集まり、Midnight Yellと呼ばれる「声出し練習の総仕上げ」をおこないます。アウェイゲームの場合は、試合の2日前の夜にMidnight Yellがおこなわれます。
同校の応援風景については、You Tubeで “Aggie War Hymn HD” をご参照ください。
3分ほどの短い映像ですが、応援席の様子とYell Leader の役割がわかります。
またYou Tubeの”College Football’s Most Epic Tradition Texas A&M’s Midnight Yell Bleacher Report” では、3分間にまとめられたMidnight Yell の映像が見られます。ちょっと見ると「どこにでもある、試合の最中の応援風景」と感じるかもしれませんが全く違います。これは試合ではなく、試合の前の晩に「声出し練習」のためにスタジアムに集まったファンの様子です。その証拠にスタジアムの反対側スタンドには誰もいません。4万5千人が「たかが応援練習」のために集まる、この学校の熱気に圧倒されます。
(4)The 12th Man
テキサスA&M大において、学生たちがこのように一生懸命応援声出し練習をおこなうのは、この学校に「The 12 th Man」という概念があるからです。「応援者は12番目の選手である」という言い伝えを彼らは心の底から信じており、自分たちの応援の力によって母校を勝利に導こうと真剣に考えています。
The 12 th Manについては以前にもUnicorns Netでお知らせしましたが、今回いくつか判明した新事実を加え、詳しくお伝えします。
時代は今からちょうど100年前、1921年に遡ります。当時テキサスA&M大はダナ・バイブルという名コーチを迎え、非常に戦力が上がっていました。バイブル・コーチは5つの大学通算で198勝72敗23分という戦績を残しています。この年、A&Mは5勝1敗2分と苦しみながらもSWCリーグで優勝しており、翌1922年1月2日にダラスで開催されるボウルゲーム「ディキシー・クラシック」(※コットンボウルの前身)に招待されることになりました。1903年創部のテキサスA&M大にとって、これが初めてのボウルゲーム出場であり、選手達の士気は最高潮に達していました。
対戦相手はセンター・カレッジ(Centre College)。1819年の設立で、ケンタッキー州に今も存在する、小規模ながら名門伝統校です。今は同校フットボール部がNCAA三部所属と脱落していますが、昔は超強豪校でした。センター・カレッジは1921年のレギュラーシーズンに10勝0敗と他校を圧倒します。当時はAssociated Press(AP)の全米ランキングがまだ存在しませんでしたが、あれば間違いなく、その年の全米王座になっていました。試合の前評判もセンター・カレッジが断然有利とされていました。
試合はA&Mの健闘により大接戦となり、両軍とも血まみれの肉弾戦となりました。
資料に記述が無いので、その日のベンチ入りした選手数がわかりませんが20名以内であったと推察します。フォワードパスが禁止されていた時代のことで、まだフットボールがラグビーに近いルールで、ひたすら激突を繰り返していました。当時は「交代して外に出た選手は、次のクォーターが始まるまでフィールドに出られない」というルールもあり、基本的にはスタメン選手11名が攻守とも出ずっぱりで、負傷した時だけサイドラインの控え選手と交代していたようです。
テキサスA&M大の側に、負傷退場者が続出します。ハーフタイムまでに控え選手の数がみるみる減っていくのを見て、ダナ・バイブル・コーチは「試合が終わるまでに選手数11名を欠いてしまうのではないか」と心配を始めます。
前半が終わるとバイブル・コーチは、A&Mの応援席に入り「誰かベンチ入りしてくれる学生はいないか」と探し始めました。
(※部員以外の者をいきなり試合に出すわけで、今ではこんなことは当然ルールとして禁止されています。当時のルールの鷹揚さに驚きます。)
するとE. King Gillという学生が座っているのが見えました。ギルはもともとフットボール部に入部を志望していた学生で、練習に参加したこともあるのですが、一軍に選ばれることをあきらめ、バスケットボール部に転向していました。バイブル・コーチが「着替えてサイドラインに立って欲しい」と頼んだところ、ギルは大層驚きましたが思案の末、承諾しています。
負傷退場した選手が着ていた、汗まみれ泥まみれのユニフォームに着替えて、ギルは後半開始からサイドラインに立ちました。後半に入っても両軍の激突は続き、更に負傷退場者が増えていきます。試合は大接戦の末、テキサスA&M大22-14センター・カレッジとなりました。大金星を挙げたA&Mにとって、部史上初のボウルゲーム勝利となり、応援席は歓喜の渦に包まれました。
結局ギルが試合でプレーすることはありませんでしたが、試合終了時点でサイドラインに残っている控え選手はギル一人となっていました。ギルはまさに「12番目の選手」だったわけです。
試合後、インタビューを受けたE. King Gillは次のように答えています。
「もし私が試合に出たとしても、何の貢献も出来ないことはわかっていました。でも私がサイドラインに居ることが、愛する母校、テキサスA&M大のチームにとって少しでも役に立つことであるならば、私に出来ることは何でもやろうと考えたのです。」
ギルの発言は、テキサスA&M大の全学生に感動を与えました。
「選手ではない人間も、チームの勝利を願って、自らを犠牲にし、何らかの努力を積み重ねること」
それ以来、この考え方がテキサスA&M大を応援する者たちの基本思想となりました。Yell Practice等の伝統は、すべてこの精神に基づいています。
「12番目の選手」(The 12 th Man)は、テキサスA&M大を応援する者たちの代名詞となり、大学構内にあるスタジアムKyle Fieldの応援席には、「Home of The 12 th Man」という巨大なサインボードが掲げられています。スタジアムの入り口付近には、E. King Gillの銅像が建てられており、応援にやってくる人たちを今も見守り続けています。
来年、2022年1月2日が、E. King Gillの逸話からちょうど100年目となります。NFLではシアトル・シーホークスが「ファンは12番目の選手」との考えから、1984年に12番を永久欠番と定めていますが、A&Mではその60年以上前から同じ考え方を、既に同校の伝統として採用しているわけです。
筆者がテキサスA&M大のホームゲームをいっぺん訪れてみたいと願う理由をご理解いただけたと思います。ただ、百聞は一見に如かずで、資料を読むだけでは実際の様子がわかりません。もし、テキサスA&M大の試合をご覧になった方、カレッジステーションのキャンパスを訪れたことがある方が、ユニコーンズ卒業生の中におられましたら是非ご一報ください。また、テキサス州ヒューストンには、「ヒューストン・ユニコーンズ会」という卒業生組織が存在すると伺ったことがあります。ヒューストンからテキサスA&M大キャンパスまでわずか130kmですので、在米中にテキサスA&M大のホームゲームを一度観戦なさることをお勧めいたします。
次回は、「テキサスA&M大に起こった最大の悲劇」についてお話しします。
「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
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