【清水利彦コラム】ジョニー・ユナイタス物語「黄金の腕を持つ男」前編 2022.05.27

清水利彦(S52年卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com

前号コラムで、1958年NFL選手権の模様を紹介し、「この日がスーパーヒーロー、ジョニー・ユナイタス誕生の瞬間」と述べました。今回は短期連載企画として、QBジョニー・ユナイタスの人生について3話に分けて振り返ってみます。

私がユナイタスの名前を初めて知ったのは、今から50年程前、後藤完夫先輩が主宰する月刊タッチダウン誌の誌面でした。

「ユナイタスへの憧れが強すぎた日本人フットボールファンがとった行動」という内容のコラムがあり、ユナイタスの熱烈ファンの日本人が、男児が生まれた際に、息子に「ゆないたす」と名付けてしまったそうなのです。(漢字を当てていますが、どんな漢字だか忘れました。たしか「ゆ」には「勇」の字を当てていました)私は「えらく大胆なことをする人が居るものだ」と思う一方で、「それほど熱愛されるユナイタスってどんな選手なのだろう?」という疑問が湧きました。当時は調べるすべもなく、時が過ぎてしまいましたので、今回は丹念に調査してみました。

※タッチダウン誌「ゆないたすと命名された少年」の記事にご記憶がある方は是非ご一報ください。

まずはユナイタスが作った記録を確認します。

  • 年度記録

・スーパーボウル優勝1回 1970年度
・NFL選手権優勝3回 1958,1959,1968年
※1968年度はNFL選手権優勝後、スーパーボウルでAFLのジェッツに敗退
・NFL年間最優秀選手賞(MVP)3回 1959,1964,1967年
・NFL Man of the Year賞 1回 1970年
・オールプロ一軍選出 5回
・プロボウル出場 10回
・年間最長パス獲得距離 4回
・年間最多TDパス獲得 4回
・年間最高パス・レーティング 2回

  • 生涯通算記録

・パス成功回数 2830回 歴代36位
・TDパス回数 290回 歴代17位
・パス獲得距離 40239ヤード 歴代22位

これらの記録は21世紀に入ってから大勢のQBに抜かれており、歴代順位は低いですが、ユナイタスが現役の時は、全て彼が断トツの1位でした。

この他に「5年がかりで47試合連続して、1試合につき最低1回はTDパスを投げた」という記録もあり、この記録は2012年にドリュー・ブリーズに抜かれるまで52年間ユナイタスが保持していました。

1969年にNFL創設50周年を記念して「50年間の歴代ベスト・チーム」を投票で選んでいますが、QBではジョニー・ユナイタス一名のみが選ばれました。

2019年にNFL創設100周年を記念して「100年間の歴代ベスト・チーム」の投票をおこない、この時は各ポジション10名を選びましたが、ジョニー・ユナイタスが再びQBに選ばれています。他の9名は、サミー・ボー、オットー・グラハム、ロジャー・ストーバック、ジョー・モンタナ、ジョン・エルウェー、ダン・マリーノ、ブレット・ファーブ、ペイトン・マニング、トム・ブレイディでした。

全盛期のユナイタスの映像は、You Tubeで、「Johnny Unitas Highlights – The Greatest」をご覧ください。彼のパス成功シーンだけを集めたものです。(8分30秒)前回のコラムで、「1958年NFL選手権を観ると、ユナイタスのパスは荒削り」などと失礼なことを書いてしまいましたが、それ以降の映像では、ユナイタスが成長し、パスの精度がどんどん高まっていく様子がわかります。

ユナイタスには、「ジョニーU」という仇名、そして「ゴールデン・アーム(黄金の腕)」という称号が与えられます。

1964年12月13日、濃い霧の中でプレーするジョニー・ユナイタス コルツ45-17レッドスキンズ 出典:The Football Book, Sports Illustrated

ユナイタスは1933年にピッツバーグで生まれました。両親ともリトアニア人の家系です。5歳の時、父親が病死したため、彼は母親の手で大変貧しい家庭の中に育ちました。

ミネソタ・バイキングスのヘッドコーチ、ノーム・バン・ブロックリンは、のちに「ジョニー・ユナイタスは、毎日毎日ポテト・スープしか食べさせてもらえない貧困家庭の中で育った。この貧しさこそが、彼の精神力の根源であり、コルツが勝ち続ける理由である。」と述べています。

高校でQBおよびHBとして活躍したユナイタスは、身長185cm体重66kgと当時ガリガリに痩せていましたが、ノートルダム大のQBになることを夢見ていました。しかしノートルダム大のトライアウトに参加したユナイタスは、ヘッドコーチ、フランク・リーイから「(痩せている)君を試合で起用したら敵に殺されてしまう」と言われ入部を断られています。

1951年、結局ユナイタスはルイビル大に入学しました。今でこそルイビル大はACCに加盟して強豪校の仲間入りをしていますが、当時は無名校でした。チームは弱かったですが、ユナイタスは一年生のシーズン第5戦からQBに起用され、好成績を残しています。ルイビル大は選手に与えられるフットボール奨学金の数が少ない為、部員数を34名に絞り込んでいました。そのため、ほとんどの選手が攻守両面でプレーしており、ユナイタスも守備ではLBまたはDBとして起用され、キックリターナーとしても出ていました。

4年生の時には主将に指名されますが、怪我の為、半分程度の試合にしか出場していません。それでもユナイタスはNFLピッツバーグ・スティーラーズから1955年第9巡にてドラフトされます。

ユナイタスがピッツバーグ・スティーラーズのユニフォームを着ている貴重な写真です。入団して3週間後にユナイタスはクビを切られてしまいました。 出典:100 yards of Glory, by Joe Garner and Bob Costas

 

生まれ故郷のチームから指名を受け、勢い込んでスティーラーズのキャンプに参加したユナイタスでしたが、厳しい現実に直面します。キャンプに参加したQBは彼を含めて4名。開幕のロスターに残れるQBは3名しかいません。彼は必死でプレーしましたが、3週間が過ぎたところでクビを告げられます。その理由は「肉体的にも精神的にも、ひ弱である」とコーチ陣から判断されたことでした。

ユナイタスはこの時から4年後にはNFLを代表するスターQBになっていたわけで、ユナイタスをクビにした、当時のスティーラーズ・コーチ、ウォルト・キースリングがピッツバーグ・ファンから強烈な批判を浴びたことは言うまでもありません。ユナイタスを取りそこなったスティーラーズは、ずっと低迷期が続き、初優勝は約20年後の1974年度までお預けとなります。

職を失ったユナイタスは、当時既に結婚して子供も生まれており、家族を食わせるために建設工事現場の作業員として働きます。週末にはブルームフィールド・ラムズというセミプロチームに参加して、1試合6ドルのギャラでプレーしていました。

翌1956年、セミプロのチーム仲間から「ボルチモア・コルツのトライアウトに一緒に参加してみないか?」と誘われました。ユナイタスはボルチモアまで行く車のガソリン代さえも友人から借りなければならないほど金に困っていました。家族を食わせたい一心で必死にプレーしたユナイタスは、コルツから合格をもらいます。当時のコーチは、のちにコルツとジェッツを王座に導くことになる名将ウィーブ・ユーバンクでした。良いコーチに巡り合ったユナイタスに大きな人生の転機が訪れます。

(ジョニー・ユナイタス物語 中編に続く)

1964年、ユナイタスと当時のコルツ・コーチ、ドン・シュラ。 シュラはドルフィンズのコーチというイメージがありますが、ドルフィンズ(26年間)の前に7年間、ウィーブ・ユーバンクの後任としてボルチモア・コルツでコーチをしており、71勝23敗4分 勝率.755という好成績を残しています。出典:100 yards of Glory, by Joe Garner and Bob Costas

<余談> 上の写真、ユナイタスの髪型にご注目下さい。これが当時のフットボール選手が数多くしていたクルー・カットです。実は学生時代、筆者も一時この髪型をしていました。私は同期のF君の髪型に憧れて真似をしただけですが、ジョニー・ユナイタスに憧れてこの髪型にしていたフットボール選手は、米国でも日本でもたくさん居たと思います。坊主頭とは違い、前の部分を少しだけ伸ばす(英語でポンパドール pompadour と言います)のが特徴です。

クルー(船の乗組員)という名前が付いているので、私はてっきり海軍の兵隊(ネイビー)がクルー・カットの起源だと思っていましたが、英語版Wikipediaで調べると違うことが書いてあります。

もともとは1750年頃イギリスで始まった髪型ですが、米国では19世紀の終わり頃からハーバード大学やプリンストン大学などアイビーリーグのボート部(慶應で言う端艇部)部員の間で流行したため、クルー・カットと呼ばれました。ボートのレースが始まると、一瞬たりともオールから両手を離すことが出来ません。長い髪ですと、髪が乱れて眼に覆い被さっても払いのけることが出来ないので、絶対に眼に覆い被さることのない短い髪型を採用した、というのが始まりだそうです。

1970-80年頃は、日本の各大学でラグビー部員もサッカー部員もクルー・カットは少ないのに、アメリカンフットボール部員だけは大勢クルー・カットにしており、極めて特徴的・排他的でした。渋谷や新宿の街なかで、遠くにクルー・カットをしてスタジアムジャンパーを着ている男が見えると、すぐに「ああ、どこかの大学のフットボール部員がいるな」とわかりました。

髪型に関する思い出やエピソードをお持ちの方、是非ご一報ください。

「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
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