【清水利彦コラム】3人の名QBのサインボール〈中篇〉アール・モーラル 「NFL史上最強の控えQB」 2022.07.29

清水利彦(S52年卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com

今回は「3人の名QBのサインボール」のうち、アール・モーラルについて紹介します。Y.A.ティトルと甲乙つけがたいほどの凄いQBですよ!

アール・モーラル

モーラルには「NFL史上最強の控えQB」という、有難いような有難くないようなヘンな仇名があります。「一軍にもなれないQBが、どうして最強なんだ!?」という声も出て当然ですが、彼の経歴を読むと「まさにその通り」と思えてきます。

ドラフト直後のモーラル 22歳

1934年ミシガン州生まれ。2014年、79歳にて死去。

ミシガン州立大学にてスターQBとして活躍。4年生の時、ハイズマン賞投票で第4位。ローズボウル勝利経験あり。NFLドラフト第1巡2番目で49ersに指名されます。49ers入団後すぐにスターターとして起用されますが、3試合でTDパス1個に対しインターセプト6回と振るわず、コーチの信頼を失い、一年後ピッツバーグにトレードされます。
スティーラーズでは1年目に6勝6敗とそこそこの成績を残しますが、2年目の開幕直後、チームがベテランQBボビー・レインを獲得するという方針を決め、モーラルはその見返りにデトロイトに放出されます。

ライオンズには1964年まで6年間在籍しましたが、わずか26試合しか使ってもらえませんでした。1964年に肩を負傷したモーラルはシーズン終了後NYジャイアンツにトレードされます。ジャイアンツ初年度の1965年のみ一軍QBとしてフル出場し7勝7敗でしたが、翌1966年に、本コラム「3人の名QBのサインボール」のもう一人の主役であるフラン・ターケントンがバイキングスからトレードで入団し、その年から二人の併用となり、1967年にはターケントンがフル出場したため、全く出番が与えられませんでした。

この1967年のシーズン前にモントリオール万国博覧会があったため、そこには

  • ジャイアンツで大活躍し、永久欠番にもなっている大人気の元選手A.ティトル
  • 一年前にジャイアンツに移籍入団したばかりの円熟気鋭26歳のQBターケントン
  • ターケントンに一軍QBの座を奪われることが、ほぼ決まっていたロートル33歳のQBモーラル

の3名が参加していたことになります。モーラルにとってずいぶんと残酷な組み合わせに見えますし、私がモーラルならば、「ターケントンと一緒にイベント出演?そんなの勘弁してくれよ、冗談じゃない!」と断っていると思います。ところが、そこからの10年間で、老兵モーラルは他の二人が成し遂げなかった大変な偉業を達成し、「フットボール人生<最高の瞬間>を幾度も経験する」選手になるのです。

モーラルのジャイアンツ3年目(1967年)は、完全にターケントンに敗れた形となりました。ターケントンが全14試合に先発し、モーラルは途中交代で8試合に出ただけでした。シーズン終了後、34歳になったモーラルはトレードに出されましたが、行先はなんと、QBジョニー・ユナイタスが居るボルチモア・コルツでした。人気・実力ともNFL最高のユナイタスより1歳しか若くないモーラルにとって、コルツに居ても永遠に出番が来ないことは本人も重々承知していたでしょう。ただし「ユナイタスが怪我をしない」という前提があればの話ですが・・・

コルツ時代のモーラル 出典:Wikipedia

1968年のシーズン開始直前に驚くべきことが起こりました。ユナイタスがオープン戦で腕を負傷し長期離脱することになったのです。多くのコルツ・ファンは「これで今シーズンは終わった」と感じました。コルツのヘッドコーチ、ドン・シュラは仕方なく、加入まもないモーラルを起用しますが、意外にも開幕から5連勝と快進撃を見せ、1敗を挟んで更に8連勝し、なんと13勝1敗で地区優勝を果たします。プレイオフも2つ勝って、コルツは初のスーパーボウルに駒を進めますが、チームを率いたのは英雄ユナイタスではなく、全て、控えQBアール・モーラルのおかげだったわけです。予期せぬ活躍をみせたモーラルは、その年NFLの年間最優秀選手賞(MVP)を受賞します。単なる「二軍QB」だった男が全NFL選手の中で最高の評価を受けたことになります。

モーラルにとってこの年の唯一の誤算は、圧倒的有利を予想された最終戦のスーパーボウルを勝利で飾ることができなかったことでした。当日、3つのインターセプトを喫するなど絶不調。モーラルの不調ぶりを見て、サイドラインのユナイタスが苦々しい顔で首を横に振る映像が残されています。大観衆の「ユナイタスを出せ!」の声に押されて、まだ完調でないユナイタスがフィールドに現れましたが流れを変えることは出来ず、「史上最大の番狂わせ」と言われた試合は、7-16で、QBジョー・ネイマス率いるジェッツに敗れました。

最後のスーパーボウルでの失敗が響き、モーラルは翌年からまたユナイタスの控えQBとなります。35歳の1969年、出場は2試合だけでした。モーラル36歳の1970年も開幕からユナイタスが執念の大活躍を見せて、コルツは地区優勝、そしてスーパーボウルへと突っ走ります。ところが肝心なスーパーボウルの第2Q、ユナイタスは肋骨に重傷を負い、ここまでわずか1試合の出場しかなかったモーラルが送り出されます。

この日もモーラルは決して好調とは言えませんでしたが、

・自軍守備陣が堅固なので、試合の流れを守備選手達に任せ、自分はとにかく「無理をせず、確実にボールをキープする」ことだけを考える。

・「俺が、俺が、」ではなく、自分は黒子に徹し、他のオフェンス選手達をいかに活かすかを主眼とする。

という戦略を忠実に守り、第4Q残り8分まで7点差で負けていた試合を、最後の7秒でFGを決め、16-13で逆転勝利しました。コルツは3回目の王座獲得で、初のスーパーボウル優勝を果たしました。もちろん、ユナイタスもモーラルもスーパーボウルのチャンピオンリング(指輪)を獲得したのは初めての事でした。

翌1971年(モーラル37歳)は、ユナイタスの怪我の具合が思わしくなく、二人のQBの併用となりました。ユナイタスが5試合で3勝2敗、モーラルは9試合で7勝2敗と、モーラルの方が良い戦績だったにもかかわらず、シーズン終了後、コルツはユナイタスを残留させ、モーラルをトレードに出してしまいます。

モーラルを獲得したのは、かつて彼がMVPを獲得した時のドン・シュラ・コーチでした。シュラはコルツからドルフィンズのヘッドコーチに移って3年目のシーズンを迎えようとしていました。2年目(1971年度)にはドルフィンズを初めてスーパーボウルに進出させましたが、カウボーイズに3-24で完敗しています。QBには27歳でまさに絶頂期を迎えているボブ・グリーシーが不動のエースとして君臨していました。

ドン・シュラは、ドルフィンズが初の王座に着くためには、「優秀なベテラン控えQBを獲得し、固定させること」が不可欠であると考えてモーラルを獲得したのですが、多くの人々にはこのことを理解してもらえませんでした。「モーラルなんか採らずに、若手QBを獲得し、グリーシーの下で将来のために育てることが得策」と考える人がほとんどだったのです。記者会見で、「コーチ、あなたは(38歳の老兵である)モーラルが本当にドルフィンズに必要だと考えているのですか?」という大変失礼な質問が出ましたが、ドン・シュラは「あなた方はモーラルが58歳だと思っておられるようだが、彼はまだ、たったの38歳なんだよ!」という見事なジョークで切り返しています。

58歳は冗談でも、モーラルは老け顔で、38歳の実年齢よりもずっと年上に見られていました。ドルフィンズのチームメイトからは、このことを大いにからかわれ、笑いのネタとされました。入団早々、ロッカールームに揺り椅子(ロッキングチェア)が一脚置かれ、「アール・モーラル専用揺り椅子」と命名されました。「おじいちゃん、疲れたらこの椅子に座って休んでね」という意味でした。普通の人間ならば、笑い物にされたことを怒って逆上し、椅子を叩き壊しても仕方がないような状況でしたが、モーラルはニコニコしながら椅子に座ってみせました。チームメイト達もモーラルのこういう大らかな性格を知ってのいたずらだったのでしょう。モーラルはすぐに仲間と打ち解けて、チームに受け入れられました。

ロッカー室にてモーラルのロッカー前に置かれた「アール・モーラル専用揺り椅子」

1972年のシーズンが始まりました。もちろんQBはボブ・グリーシーで、モーラルはサイドラインに立ち続けました。ドルフィンズは快調に4連勝しましたが、第5戦開始早々、グリーシーが足を負傷し長期離脱となります。悠然とハドルに現れたのはモーラルでした。彼はこの試合でたった10回しかパスを投げませんでしたが、TDパス2回、インターセプトなしと完璧な内容でチームを5連勝に導きます。

モーラルはここから10試合を一人で任され、すべての試合に勝ち続けます。「控えQBが重要」というドン・シュラの思惑は見事に当たったのです。ドルフィンズはレギュラーシーズンを14勝0敗で乗り切り、「史上初のパーフェクトシーズン成るか?」と世間は大騒ぎになりました。プレイオフ初戦も、FBラリー・ゾンカ、RBマーキュリー・モリスという優秀なバックス陣を活かし、モーラルは黒子に徹してプレーすることにより、ブラウンズを20-14で退けます。続くAFC決勝も、先発QBはモーラルでしたが、途中から傷の癒えたボブ・グリーシーとの併用となり、21-17でスティーラーズを下し、16戦全勝でスーパーボウル進出を決めました。

スーパーボウルにおいては、ドン・シュラが非情の采配をおこないます。ここまでの立役者であるモーラルを起用せず、ボブ・グリーシーに全てを任せます。14-7でレッドスキンズを下して、ドルフィンズは史上初の17戦全勝のパーフェクトシーズンを成し遂げ、スーパーボウル・チャンピオンとなりました。多くの方が、この年のドルフィンズのエースQBはボブ・グリーシーと思っておられるでしょうが、実際には17試合のうち11試合はモーラルによってもたらされた勝利でした。この年、オールプロ・チームのQBには、ジョー・ネイマスを抑えて、モーラルが選出されています。

アール・モーラルの立場から見ると、ボブ・グリーシーに一番美味しいところだけをさらわれたような形となりましたが、モーラルは一切不平不満を述べる様子もなく、チームの勝利を喜びました。このような姿勢・人格が評価され、翌年から更に4年間、モーラルはグリーシーのバックアップとしてドルフィンズに残ります。4年間で先発起用されたのはわずか3試合(2勝1敗)で、モーラルは控えQBのまま42歳で引退しました。

引退直前、42歳のモーラル。老け顔で実年齢よりもずっと年上に見られていました 出典:Wikipedia

NFLにて実働21年間で、モーラルは6チームを渡り歩き、所属していたチームは全部で299試合おこないましたが、彼が先発起用された試合は117試合だけ。あとの182試合は多くの時間をサイドラインで立ち続けたことになります。ただし、先発した試合には67勝37敗3分と非常に高い勝率(.644)を残し、所属したチームは3回スーパーボウルで優勝しています。これが、彼が「NFL史上最強の控えQB」と呼ばれる理由です。

ユニコーンズにも「控えQB」という、つらくて難しいポジションを経験している方は何名もおられると思います。アール・モーラルのように、「ウサギとカメ」のカメのようなフットボール人生を歩み、「常に準備を怠らず、我慢してチャンスが来るのをじっと待つ」「黒子に徹する」「チームメイト達を活かすようにプレーを組み立てる」等々のことを軸に、晩年大活躍し、最高のQBの一人として記憶されている選手が居ることを知っておいてください。

次号ではサインボール最後の一人、フラン・ターケントンを紹介いたします。

「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
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