【清水利彦コラム】若き日のビンス・ロンバルディと、フォーダム大学 2022.05.13

2022/5/10
昭和52年(1977年)卒 清水利彦
shimizu.toshihiko2@gmail.com

グリーンベイ・パッカーズのコーチ、ビンス・ロンバルディはフォーダム大学(Fordham University)の卒業生です。フォーダム大は眞子内親王の夫、小室圭氏が2019年に法学博士号を取得した大学として、最近日本でもその名が広く知られることになりました。今回フォーダム大について改めて調べてみたところ、様々な事実が明らかになり、ビンス・ロンバルディの大学時代の足跡も新たに判明しましたので、皆様にご紹介します。

フォーダム大は1841年(181年前)に創立されたカトリック教イエズス会系の私立大学です。創設から65年間はセント・ジョンズ・カレッジという名称でしたが、1908年、土地の名前をとってフォーダム大と改名しています。ニューヨーク州で3番目に古い、大変歴史のある大学で、ドナルド・トランプ前大統領が大学1,2年生を過ごした学校としても知られています。(その後ペンシルバニア大に転校)
ニューヨーク市ブロンクスにメイン・キャンパスがあり、学生数は約17000名。そのうち7000名は大学院生です。10個ある学部の中でも法学部のレベルが高い学校として知られています。街なかの学校ではありますが、写真を見ますと広々とした敷地に歴史を感じる建物を配した美しいキャンパスのようです。

フォーダム大のキャンパス 出典:Wikipedia

フォーダム大フットボール部について、これまで私は「かつての強豪校だが、現在はNCAA二部所属」という程度の情報しか持っていませんでしたが、今回詳しく調べたところ次のような事がわかりました。
フォーダム大フットボール部は1909年に創部され、ニューヨーク地区の独立校として最初から高いレベルを維持していました。1933年にジム・クローリーをヘッドコーチに迎え、フォーダム大は更なる強化を遂げます。クローリーはノートルダム大黄金時代にハーフバックとして活躍した超有名なスター選手でした。また当時フォーダム大のアシスタント守備コーチだったのがフランク・リーイです。リーイはのちにノートルダム大のヘッドコーチとして第二期黄金時代(1943,46,47,49年の4回、全米王座獲得)を築いた名コーチとなりました。

若き日のビンス・ロンバルディ(フォーダム大学時代)。眼光の鋭さが際立っています。この眼を気に入った、アーミーのヘッドコーチ、レッド・ブレイクが、のちに彼をアシスタントコーチに採用しました。 出典:The Football Book by Sports Illustrated

この豪華なコーチングスタッフが就任していた年に入学したのがビンス・ロンバルディでした。ロンバルディは身長176㎝、体重81kgとラインマンとしては小柄でしたが、闘志むき出しの戦いぶりを評価されて2年生からタックル(当時は攻守兼任)として試合に出るようになりました。
ロンバルディの父親はイタリアからの移民で、ニューヨークで精肉商として身を立てましたが、敬虔なカトリック教信者であったため、息子をカトリックの学校として有名なフォーダム大に入学させたのだと思われます。ロンバルディ自身もカトリック教徒であり、NFLコーチになってからも毎週教会に通い続けていました。

1936年、4年生となったロンバルディはガードにコンバートされ、フォーダム大は全米王座獲得のチャンスありと噂されるほど強くなっていました。特に7人のラインマン(当時はE.T.G.C.G.T.Eと並ぶ7名をラインと称した)が非常に強力だったため、フォーダム大のラインは「Seven Blocks of Granite (7つの花崗岩の塊)」というニックネームで呼ばれるほど脚光を浴びていました。ロンバルディはまさに中心選手の一人だったわけです。

フォーダム大の強力ラインマンを含むイレブン 右のガード#40がビンス・ロンバルディ。大学生とは思えないほど、老けて見える選手が多いと感じるのは筆者だけでしょうか? 出典:Rites of Autumn by Richard Whittingham

1936年のシーズンが始まりました。フォーダム大は開幕から4連勝し、その中には南部の強豪サザンメソジスト大を7-0で破る殊勲の勝利も含まれています。この時点でフォーダム大は全米ランク5位に上昇しました。続く5戦目は当時全米ランク2位であった強敵ピッツバーグ大との激突でした。この試合が0-0の引き分けとなり、フォーダム大は勝利していないのにもかかわらず、全米3位にランクアップします。
続いて北西部の強豪パデュー大学に15-0で勝ち、南部の雄ジョージア大には7-7の引き分けでしたが5勝2分となり、「シーズン最終戦に勝てば、ローズボウルに初出場が決まる」との見通しが発表されました。フォーダム大にとって初めてのボウルゲーム出場まであと一歩に迫り、しかも最終戦の相手はここまで4勝3敗1分でランク25位以内にも入っていないニューヨーク大学でした。

「これでローズボウル出場は決まったようなもの」という一瞬の油断がフォーダム大選手たちの心の中に生まれたのでしょう。最終戦は6-7とニューヨーク大にまさかの不覚を喫し、ボウルゲーム出場は夢と消えました。勝っていればロンバルディには、「ローズボウルに選手として出場経験のあるプロコーチ」という肩書・勲章を生涯にわたって身に着けられるはずだったのです。この苦い敗北経験がロンバルディを「どんな相手にも絶対に油断せず、全力を尽くして戦う」コーチに作り上げてゆきます。
フォーダム大の敗退により、ローズボウルには8勝1分でランク4位となったアラバマ大が招待されています。(1937年1月カリフォルニア大13-0アラバマ大)フォーダム大の最終全米ランクは15位でした。

傷心のロンバルディにとって、卒業後の生活は厳しいものでした。彼はウイルミントン・クリッパーズというセミプロのチームに一年間だけ所属しますが、当時プロフットボール選手として高給を取れるのは一部のバックスのスター選手のみで、ラインマンは「1試合出場につき〇〇ドル」という条件でアルバイトのような参加をしていました。父に選手生活を続けることを反対されたロンバルディは、フォーダム大法学部大学院生となりますが、これも続かず、聖セシリア高校というカトリックの学校で教師となり、ラテン語や化学を教えるかたわら、フットボール部のコーチとなります。その後、母校フォーダム大でアシスタントコーチの職を得たロンバルディですが、陸軍士官学校(アーミー)のヘッドコーチであったレッド・ブレイクがアシスタントコーチを募集していると聞き、応募します。
レッド・ブレイクは面接の際、ロンバルディの「眼の輝き」を気に入り採用しました。この幸運がロンバルディの人生を大きく変えていくことになります。
(ビンス・ロンバルディの生涯については、筆者ブログ https://footballquotes.fc2.net/ にて、長編物語→ロンバルディのファーストシーズン をお読みください)

フォーダム大はロンバルディの卒業後も強豪校の地位を維持し、6年続けて全米ランク25位以内に入っています。1940年にはコットンボウルに招待され(テキサスA&M大13-12フォーダム大)、1941年はシュガーボウルに招かれて、72000名の大観衆のもとでミズーリ大に2-0という珍しいスコアで勝利しています。
強豪校の評判が定着したフォーダム大でしたが、1954年のシーズンを最後にNCAA一部校から脱退しています。その経緯を示す資料が見当たりませんが、おそらく「学生たちがフットボールばかりに入れ込み過ぎる」という理由により、勉学優先の方針をとったものと推察します。
フォーダム大フットボール部は現在も存続しており、パトリオット・リーグというNCAA二部組織に所属し、昨年度は6勝5敗の戦績を残しています。

フォーダム大キャンパス内にあるSeven Blocks of Graniteを讃える石碑 向って右側にVince Lombardiの名前が刻まれている。 出典:Wikipedia

伝統あるフォーダム大フットボール部の歴史の中でも、1936年、ロンバルディが4年生だった時の強力ラインマン「Seven Blocks of Granite (7つの花崗岩の塊)」は特別な存在であったようで、大学キャンパス内には「Seven Blocks of Granite」のメンバー達を讃える石碑が建てられ、今も大切に保存されています。もちろんビンス・ロンバルディの名前も石碑に刻み込まれています。
筆者にとって、この石碑は、その前にたたずむだけでも涙が出て来るような存在ですが、たぶん小室圭さんは、その価値を全くご存じなく卒業されているのでしょうね。

「ロンバルディ・コーチが毎週教会に通っているのは事実ですが、
決してあの方が信心深いからではありません。
あの方は、毎週教会に行って神様から許しを得なければ、
生き続けていくことが出来ないのです。」

ロンバルディ・コーチから長年に渡り罵声を浴び続け、
ひどい目にあったQBバート・スター
(グリーンベイ・パッカーズ、のちNFL殿堂入り)

※これはロンバルディの愛弟子であるバート・スターが言ったジョークです。
ロンバルディは選手をボロクソに怒鳴りつけたりして恐れられていましたが、
このようなジョークの形で自分が揶揄(やゆ)されることを少しも嫌がっておらず、
むしろ奨励していました。

「ロンバルディ・コーチが『座れ』と言ったら、
私はすぐに、その場に座ります。
『尻の下に椅子が有るのか、無いのか』などということは
全く問題ではありません。」

オールプロDL ヘンリー・ジョーダン

「ロンバルディ・コーチはとても公平な方です。
なにしろチーム全員、一人の例外もなく
『イヌ畜生』の如く扱いますからね。」

WRマックス・マギー

「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
https://footballquotes.fc2.net/

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