昭和52年(1977年)卒 清水利彦
shimizu.toshihiko2@gmail.com
皆さん、あけましておめでとうございます。今年も頑張ってコラムを書き続けるつもりです。どうぞよろしくお願いいたします。
新春第一号のテーマを、「ユニコーンズの更なる発展につながるような格調高い論文」にしようか、それとも「初笑い爆笑編」にしようかと、さんざん迷った末、後者を選ぶことにしました。
今回のテーマは、「私のアダ名」です。
皆様にとってはどうでもよいことですが、私がアメリカンフットボール部生活の中で与えられたアダ名は「のり平」と言います。
私が慶應高校1年でアメリカンフットボール部に入部した時に、3年生にも2年生にも「清水」という名字の部員がおられ、私が3人目の清水でした。
3年生が当然「清水さん」と呼ばれ、2年生の清水さんは気の毒にも「バカ清水」と呼ばれていました。(運動能力に優れた、すごくハンサムでかっこいい方なのに、、、)そこで、一年生の清水には、バカよりもみっともないアダ名を付けなければ、体育会としての秩序が保てないという理由から「のり平」になったと認識しています。
当時、新入部員は白いヘルメットを購入し、自分で紺色のスプレーで塗って紺ヘルメットにして練習に参加しました。私がスプレーの色番を間違って、ムラサキ色っぽいヘルメットになってしまったため、上級生から「おい!そこの江戸むらさき色のヘルメットを被っている奴!」などとイジられていました。
※三木のり平 本名・田沼則子(のりこ、ではなく、ただしと読む)1924年、慶應義塾大学医学博士の父と、待合茶屋を営む母との間に生まれ、妾の子として育てられる。日本大学で芸術と演劇を学び卒業。新劇に入り役者の道を歩もうと志すが、舞台本番中に大失敗をして破門される。劇作家・三木鶏郎のもとでコメディアンとなり「三木則子」の芸名を与えられるが、芝居のプログラムを作成する時、印刷屋が間違えて「三木則平」と印刷してしまったため、そのまま「三木のり平」を芸名として用いることになった。数々の喜劇映画に出演し、サラリーマンの日常生活の悲哀や笑いを演じさせたら、のり平の右に出る者は居ないと言われ、「映画スターなら三船敏郎か三國連太郎。喜劇役者なら三木のり平」と称され、「不世出の喜劇役者」と讃えられるほどの評価を得る。日本喜劇人協会第5代会長。
忘年会などでサラリーマン達が用いる「さあ、今夜はパアーッといきましょう!」という言葉は、元々三木のり平が言い出した流行語だったが、今ではすっかり一般用語となっている。
1958年、株式会社桃屋が開始したTVコマーシャルにアニメ・キャラクターとして出演。(本人は声の出演)「江戸むらさき」や「ごはんですよ!」などのCMにより、三木のり平=桃屋と言われるほどイメージが定着する。桃屋のCMを三木のり平は自らの「ライフワーク」と称するほど力を注いでおり、桃屋社長と三木のり平は兄弟のような仲であった。桃屋のアニメCMは、のり平の死後も含め、60年以上続けられ、「俳優をキャラクターとした、世界最長のアニメCMシリーズ」としてギネスブックに申請したが、「同類のCMが他に存在しないので比較できない」との理由で残念ながら却下されたとのこと。1999年没。
実は「のり平」というアダ名を持つ慶應アメフト先輩が過去におられたそうで、練習を見に来たOBが「えっ?今の現役に『のり平』という部員が居るのか?!そいつは二代目のり平だな!わっはっは!!」と喜んでおられたことを鮮明に覚えています。初代のり平がどのような方なのか、私は存じませんのでご存じの方は是非お教えください。
私がアダ名を付けられたのは、部員各位から愛されている証拠だと思い、イヤだと思ったことはありません。ただし、駒沢陸上競技場のような広いスタジアムの中で、同期の仲間に遠くの席から「おーい!のり平!!ここだ!ここだ!」と呼ばれると、周囲の観客が皆、一斉に私を見るのが恥ずかしかったです。
あと、高校2年生春の早慶戦プログラム(高校ロスター表)に、誰かのいたずらで「清水乗平」と印刷されてしまったのはさすがに悲しかった記憶があります。この時の(記念すべき?)プログラムがどうしても見つかりません。おそらく昭和46年(1971)春の第19回早慶対校戦のプログラムだと思います。お持ちの方がおられましたら是非お知らせください。
当時は、このアダ名がまさか一生自分に付いて回るとは思っていませんでした。
私は親の七光りで、30代半ばで会社役員になったのですが、(まだ携帯電話がない時代)部の先輩から会社に「のり平君、居ますか?」という電話をかけて来られるのには閉口しました。
外線電話を取った事務員が、「は??弊社には『のりへ』という名前の社員は居りませんが・・・」と対応しており、「僕だ、僕だ!僕に外線を回してくれ!」と言うのは、かなりカッコ悪かったです。
私は文章を書くことが好きなので、かつてはペンネームを「エド村崎(江戸むらさき)」または「水野利兵衛(しみずのりへい、から「し」を抜いたもの)にしようかと真剣に考えていたことがありますが、結局実施には至りませんでした。
大阪市福島区に「ひよ子」という飲み屋があり、今も私のユニコーンズ仲間の溜まり場なのですが、誰もが私をのり平と呼ぶので、お店の方たちも私を「のり平」と覚えています。仕方がないので自分が予約の電話を入れるときは「もしもし、のり平ですが、金曜の夜、3席空いてますか?」などと言っています。
今の現役部員諸君の中には、注目されるアダ名を持つ方はおられるのでしょうか?もしも「三代目のり平」を名乗る部員が出現したら、私は感激して泣いてしまうかもしれませんね。
今回は、「第1部 私のアダ名」、「第2部 NFL選手のアダ名」という二部作にしようかと思って書き始めましたが、第1部が思いのほか長くなり、また、自分とNFLの名選手たちを同列に並べて書くのはバチが当たると考え、「名選手たちのニックネーム」というコラムは後日、別途披露させていただきます。どうぞお楽しみに。
全米大学選手権 中間報告
12校による史上初のトーナメントが既に始まっています。
<一回戦> カッコ内の数字は、シード順位
テキサス大(5)38-24クレムソン大(12)
ペンシルバニア州立大(6)38-10サザンメソジスト大(11)
ノートルダム大(7)27-17インディアナ大(10)
オハイオ州立大(8)42-17テネシー大(9)
<準々決勝>
オハイオ州立大(8)41-21オレゴン大(1)
ノートルダム大(7)23-10ジョージア大(2)
ペンシルバニア州立大(6)31-14ボイジー州立大(3)
テキサス大(5)39-31アリゾナ州立大(4)
<準決勝 予定>
1月9日 ノートルダム大vsペンシルバニア州立大 於オレンジボウル
1月10日 オハイオ州立大vsテキサス大 於コットンボウル
<決勝 予定>
1月21日 於ジョージア州アトランタ メルセデスベンツ・スタジアム
準々決勝はシード下位校が全て勝利するという意外な結果になりました。
シード1位のオレゴン大はここまで全勝で勝ち進んでおり、かつ準々決勝はBIG TENリーグで勝利しているオハイオ州立大との再戦だったのですが、完敗してしまい、初の全米王座は夢と消えました。
ここまでのベストゲームは、準々決勝テキサス大vsアリゾナ州立大だと思います。試合内容をYou Tube画像で是非ご確認ください。(25分)
CFP Quarterfinal: Texas Longhorns vs. Arizona State Sun Devils | Full Game Highlights | ESPN CFB – YouTube
「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
https://footballquotes.fc2.net/
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