【清水利彦コラム】マイク・マクダニエル物語〔後編〕 〜三軍選手、雑用係からNFLのヘッドコーチに這い上がった男〜 2022.11.24

清水 利彦(S52年卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com

(前号より続く)

NFL全球団に32通出した手紙に対し、マイク・マクダニエルは一通だけ返事をもらいます。それがデンバー・ブロンコスのヘッドコーチ、マイク・シャナハンからのレターでした。
シャナハンはなんと、トレーニングキャンプで雑用係のアルバイトをしていたマクダニエルのことを覚えていたのです。こま鼠のように素早く動き回り、意欲にあふれ、良く気が利く男の子として記憶していました。2005年、シャナハンは22歳の彼を表向きにはデータ入力担当者という事務職として雇いますが、実質的には「よろず雑用係」としての採用でした。

マイク・シャナハンは次のように回想しています。
「彼はどんな仕事でも快く引き受けていた。彼が得意とするのは『ほかの人がやりたがらない仕事』を一手に引き受けることだった。しかも彼は、それらの仕事を『あっと言う間に、完璧に、仕上げてくる』のだ。」

当時ブロンコスのヘッドコーチ マイク・シャナハン

マイク・シャナハン イースタン・イリノイ大出身。レイダース、ブロンコス、レッドスキンズのヘッドコーチを計20年間務める。通算170勝138敗 勝率.552。
1997年、1998年の2回、ブロンコスを率いてスーパーボウル優勝。

2005年の一年間で、マイク・マクダニエルは、よく気が利くキビキビしたスタッフとなったため、ヘッドコーチのマイク・シャナハンや、攻撃コーディネーターのゲーリー・クービアックから大変気に入られる存在になりました。そして翌2006年、ゲーリー・クービアックはヒューストン・テキサンズのヘッドコーチとして迎えられます。この時、クービアック・コーチは彼に「俺と一緒にヒューストンで働く気はあるか」と尋ね、彼は即座に受諾しています。

ヒューストン・テキサンズで彼に与えられた肩書は事務職スタッフではなく「オフェンス・アシスタント」でした。そのことだけでも彼にとっては夢見心地でした。まさか自分がフットボールのプレーに関する仕事をNFLで与えてもらえるとは考えていなかったのです。
まだ「コーチ」という名前が付くポジションは与えられていません。それは当然の事でした。高校や大学で一軍選手にも成れなかった彼が、大学でスター選手として活躍しドラフトで指名されて入団した選手達を相手に「コーチングなど出来るわけがない」からです。その時、彼はまだ24歳でした。
「選手としての実績がゼロに等しい」というハンディキャップを埋める為、彼は猛烈な勢いでフットボール理論を勉強し、他の指導陣のコーチングを観察し学んでいきました。

テキサンズで組閣をする際に、クービアックは、マイク・シャナハンの27歳の息子カイル・シャナハンをWRコーチとして加えていました。カイル・シャナハンはテキサス大のWR出身ですが、大学4年間でパスレシーブ14回のみと、二軍交代要員程度の活躍しかしていません。しかしカイル・シャナハンにフットボールコーチとしての素養を見出していたクービアックは、カイルをコーチに抜擢し、カイルのアシスタントとしてマイク・マクダニエルを付けることにしました。

49ersでヘッドコーチに昇格したカイル・シャナハン 出典:Wikipedia

カイル・シャナハン 27歳でテキサンズのWRコーチとなり、29歳でオフェンスコーディネーターに昇格する。これは当時NFLの最年少記録だった。今年で49ersのヘッドコーチ6年目となる。2019年には49ersがスーパーボウル進出。昨年もNFC Championship Gameまで進出する。マイク・シャナハンとカイル・シャナハンは、親子ともヘッドコーチとしてスーパーボウルに出場した最初のケースとなった。

マイク・マクダニエルはカイル・シャナハンの3歳年下となります。
カイル・シャナハンとマイク・マクダニエルは、息のぴったり合うコンビとなり、その後WIN-WINの関係を長きにわたり築いてゆくことになります。カイルにとってマクダニエルは「自分の右腕」のような、かけがえのない存在になり、カイルがチーム内で昇進したり、他球団に移籍したりすると、マクダニエルも昇進し、共に移籍し、同じ道を一緒に歩んでゆきました。二人はテキサンズのあと、レッドスキンズ、ブラウンズ、ファルコンズ、49ersと常にペアを組んでNFLを渡り歩くことになります。

ある時、マクダニエルはカイルに「オフェンスラインのアシスタントをやらせてほしい」と頼みます。オフェンスラインマン達の動き方や考え方を知らずに、ランニングプレーを理解することは出来ない、と彼は考えていました。小柄で痩身の彼が、大男たちの中に混じってブロックの仕方を学んでいる様子を見て、滑稽だと笑う者もいましたが、彼は必死であり真剣でした。

2013年、マイク・マクダニエルはワシントン・レッドスキンズに在籍していますが、この時のヘッドコーチがマイク・シャナハンで、攻撃コーディネーターが息子のカイル・シャナハンでした。卒業後9年目にして初めて、彼には「ワイドレシーバー・コーチ」という肩書が与えられました。ついに彼はNFLのコーチになったのです。

2017年、カイル・シャナハンは念願かなってサンフランシスコ49ersのヘッドコーチに指名されます。当然、マイク・マクダニエルも一緒に49ersに移り、ここでは「Run Game Coordinator」という肩書を与えられました。いつの間にか彼は「ラン攻撃のスペシャリスト」に成長していたのです。2019年にはカイル・シャナハン率いる49ersがレギュラーシーズンを13勝3敗で乗り切り、スーパーボウルに進出を果たしています。マクダニエルが繰り広げるランニングゲームが存分に威力を発揮した年でした。

ちなみにマイク・マクダニエルはジョークを言う事がうまい人としても有名です。49ers時代には定例記者会見での司会進行役を任されていましたが、いつも彼のトークで記者達を爆笑の渦に巻き込んだため、記者達は49ersの記者会見を「マイク・マクダニエルのコメディー・アワー」と名付け、楽しみにしていたとのことです。

2021年、カイルのもとで彼は49ersのオフェンスコーディネーターを一年間務め、チームをNFC決勝戦まで進出させました。これらの実績が高く評価され、シーズン終了後にマイアミ・ドルフィンズからオファーを受け、ドルフィンズの第14代ヘッドコーチに就任しました。高校でも大学でもスタメンにさえ成れなかった男、事務の雑用係としてNFLに採用された男が、ついにNFLのヘッドコーチになった瞬間でした。カイルとマクダニエルは9年間コンビを組んでいましたが、今年から共にヘッドコーチとしてライバル同士の関係になったわけです。
ドルフィンズは現在7勝3敗、AFC東地区でビルズと並んで同率首位!
12月4日には敵地でかつての盟友カイル・シャナハン率いる49ersとの因縁対決があります。

ドルフィンズの定例記者会見でのマイク・マクダニエル・ヘッドコーチ。化学科研究室の助手のようで、NFLのヘッドコーチの姿とは私には見えません。

マイク・マクダニエルの半生について知ることが出来て、私の感想を述べてみます。

米国フットボール界に、「フットボール選手と、フットボールコーチとは、全く異なる、別の職業である」という考え方があることにつくづく感心します。「名選手でなければ、名コーチには成れない」という発想が無いのです。例えば、「日本の高校野球、大学野球でレギュラーにもなれなかった選手が、もちろんプロ野球選手にもなれずにコーチの道を歩み、39歳でプロ野球チームの監督になる」事が日本ではあり得るでしょうか?絶対にありえませんよね。でも現実には、これと同じことが今回米国で発生したわけです。

米国に「選手としての素養と、コーチとしての素養は、全く異なるものが求められる」という発想があるからこそ、マイク・マクダニエルというコーチが誕生しました。彼には選手としての実績は何もありませんが、コーチとしては既に17年間という充分な経験と実績を積んでヘッドコーチに就任しているのです。日本のプロ野球には、「花形スター選手が引退した後、2~3年TV解説者の仕事をしてから、いきなり監督に就任する」ケースがいくらでもありますが、米国人からすると、逆に「アシスタントコーチの経験が全くない人間が、どうやったらヘッドコーチとしてチームの指揮をとれるんだ?」と不思議に思う事でしょう。

米国スポーツ界における「上司と部下の鋼鉄の師弟関係」にも感心させられます。カイル・シャナハンはマイク・マクダニエルを常に側に置き、自分が移籍・昇進するたびに、マクダニエルも移籍・昇進してゆきました。

米国スポーツ界には「Coaching Tree」という言葉があります。家系図(Family Tree)に似た概念で、「コーチした人と、コーチされた人が、古い順から縦につながっている」状態を指します。
「自分は誰々という優れたコーチのもとで部下や後輩として活動した(上司をParentsと言います)」という実績と、「自分は誰々という部下や後輩を育て、立派なコーチ等に成長させた(部下がChildren)」という実績の両方が大切だという考え方です。
マクダニエルにとっては、マイク・シャナハン、ゲーリー・クービアック、カイル・シャナハン等がParentsであり、3人にとってはマクダニエルがChildrenのうちの一人ということになります。

米国のコーチ紹介記事を読みますと、たいていCoaching Treeについての記述があり、
Parents =A氏、B氏、C氏・・・・
Children=K氏、L氏、M氏、N氏・・・・
などと明記されており、このリストの充実ぶりも当コーチの評価であるとされています。戦績はもちろん大切ですが、戦績だけが評価ではないのです。
つまり「良いコーチのもとでコーチングを学ぶ」だけではダメで、「自分がコーチになった時に、部下のアシスタントコーチ達を良いコーチに育てる」ことも成し遂げなければ自分の評価が上がらないことになり、フットボール界全体のコーチングレベルを上げるための非常にうまいシステムであると私は考えています。
ユニコーンズ卒業生の中でコーチ経験のある皆さんにも、きっとParentsやChildrenがいらっしゃいますよね。

この物語全般に通じて感じられる、マイク・マクダニエルの「フットボールに対する情熱、執念、努力」等には本当に頭が下がります。もし彼が今後スーパーボウル王座に着くという事があれば、まさに「アメリカン・ドリーム」の実現となりましょう。
私は68歳のこの年まで、マイアミ・ドルフィンズを応援したことなど一度もありませんでしたが、今年は「イルカの被り物」を被って(売っていればの話ですが)パソコンの前でドルフィンズを応援してみたいと考えています。 (マイク・マクダニエル物語 完)

<追記>

皆さんはNFLの第10週、バッファロー・ビルズvsミネソタ・バイキングスの試合をご覧になりましたか?まだ観ていない方は是非、下記のURLで20分間のYou Tubeダイジェスト版をどうぞ。何対何でどちらが勝ったかは、あえて書かずにおきますね。
GAME OF THE YEAR??? Buffalo Bills vs. Minnesota Vikings | 2022 Week 10 Game Highlights

フットボールシーズンはこれから先まだ長いのに、試合終了の瞬間、「The Game of the Year !!!」と叫んだアナウンサーの気持ちがわかるような気がします。

さて、11月27日 日曜10:45 桜美林大学戦 於アミノバイタルフィールド

「この試合に勝てば下部リーグとの入替戦出場権利獲得。負ければ自動降格」という状況は、もちろん我が部87年の歴史で初めての事です。今年のユニコーンズは春に全く試合を経験しておらず、秋はこれで7試合目。選手達の肉体的疲労、そして精神的疲労はピークに達しているだろうと想像します。
疲労だけではなく、絶対に勝たねばならないというプレッシャーや、もし自分がミスをして負けたらという恐怖心など、様々なつらい思いと闘いながら選手達は最近の日々を過ごしているはずです。

この試合を目前にして、私は申し上げたいことが二つあります。

1)我々卒業生を含め、ユニコーンズを愛する者たちが、今、部員達にしてやれることは、彼らに声援や拍手を贈ることだけだと思います。ならば、そうしてやりましょう。一人でも多くの人が試合場に足を運び、彼らを応援することで部員達を後押しして、慶應のボールをあと半ヤードでも前に進めましょう。アミノバイタルフィールドに参りますので、パパコーンズ、ママコーンズの皆様、一緒に応援いたしましょう!

2)我が部が存在する理由は「アメリカンフットボールという競技を通じて、学生たちが人間的に大きく成長し、より良き人間として社会に巣立っていくこと」だと私は信じています。そうであるならば、今、彼らが直面している試練(疲労、プレッシャー、恐怖心などの克服)は、「部員達が人間的成長を遂げるための、人生に何回もあるわけではない、絶好の、値千金のチャンス」と言い換えることも出来るのではないでしょうか。もし桜美林戦と入替戦とを勝ち抜けることができるのであれば、その間に彼らは精神的に鍛え上げられ、とてつもなく大きく成長した姿で卒業してゆけると私は信じます。試練を与えられたことをチャンスと考え、自らの成長を果たすべく、全力で堂々と戦ってもらいたいと心から願っています。


「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
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