【清水利彦コラム】永遠のライバル・シリーズ第1回:ノートルダム大 vs USC 定期戦 2023.6.11

清水 利彦(S52年卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com

カレッジフットボール界には「永遠のライバル」と呼べる組み合わせ(対決)がいくつもあります。
古くはハーバード大vsエール大、アーミーvsネイビーなどに始まり、ミシガン大vsオハイオ州立大、オクラホマ大vsテキサス大、アラバマ大vsオーバーン大など、それぞれの地域を代表するライバル争いが存在し、毎年血みどろの戦いを繰り広げています。

永遠のライバルという言葉の定義を考えますと、私個人としては
1. 長年にわたり両軍が毎年のように激突している。
2. 両軍ともに、極めて高いレベルのチーム力を長年維持している。
3. 後世に語り伝えられるような名勝負が、これまで幾度も発生している。
4. 両軍ともに、「この相手との試合が一年で一番重要な戦いである」と認識し、お互いに全てをかけて試合に臨んでいる。

という4つの条件のうち、最低3つは満たすことが必要だと感じます。ハーバード大vsエール大かつて全ての条件を満たす対決でしたが、現在は(2)以外は満たされていますね。一方、オクラホマ大vsネブラスカ大は、かつてカレッジ最高峰のライバル激突と呼ばれていましたが、「リーグが分かれて対戦しなくなった」「ネブラスカ大が近年不調(最近6年連続負け越し、BIG TENリーグに加盟してから優勝なし)」のため、すっかり色褪せてしまいました。

ということで、「永遠のライバル」と呼べる組み合わせを、シリーズで少しずつ紹介してゆく企画を立てました。第1回は「ノートルダム大vs USC(南カリフォルニア大)」を取り上げます。

1972年、対ノートルダム大定期戦 
USCのエースRBアンソニー・デービス (USC45-23ND)デービスはハイズマン賞投票2位 
出典:The College Football Book, Sports Illustrated


両校の対決は1926年から定期戦として組まれており、これまで
93回対戦し、ノートルダムの50勝38敗5分(勝率.568となっています。これまで定期戦が行われなかったのは、1943-45年(第二次世界大戦)、2020年(コロナ災禍)のわずか4回だけです。

この定期戦の魅力と歴史的価値は、次の2点に集約されると考えます。
(A)ノートルダムとUSCの両校に、数えきれないほどの勝利と栄光の積み重ねがある。
(B)両校は地理的に途方もなく離れており、とてつもない苦労を負いながら定期戦を続けてきた。

今回のコラムでは、この2点について詳しく述べてみます。

ノートルダムとUSCの、勝利と栄光の歴史

カレッジフットボール一部伝統校の中で、創部以来の通算勝率が7割を超えているのは、次の6校しかありません。
出典:C
ollege Football Reference 2022年度終了時点

オハイオ州立大  845勝264敗36分 .761
アラバマ大    967勝309敗42分 .757
ミシガン大    963勝345敗35分 .736
オクラホマ大   881勝318敗47分 .734
ノートルダム大  882勝320敗33分 .733
USC       783勝322敗40分 .708

私は、この6校を自分勝手に「セブンハンドレッド・クラブ」と呼んでいます。この6強の中で、毎年対戦しているのは、「ミシガン大vsオハイオ州立大」「ノートルダム大vs USC」の2つだけです。
※エール大やプリンストン大も通算勝率が7割を超えていますが、一部校とみなしていません。(現在は全米王座に着く資格なし)

全米王座に着いた回数は、ノートルダム大22回、USC17回であり、両校合わせると毎年対戦している同士としては最多の優勝回数を誇ります。(※National Championship制度が整備される前の回数を含む。整備された後は両校とも11回ずつの優勝

その他にも、とてつもなく名誉な数字が次々と現れます。 はNCAA最高記録
 輩出したオール・アメリカン選手数    ノートルダム102名 USC82名
 カレッジフットボール殿堂入りした人数  ノートルダム 46名  USC43名
 NFLドラフトで指名された選手     ノートルダム 546名 USC530名

この定期戦が当時の「ランキング1位vs2位または3位全勝対決」であったことが、ざっと数えただけでも12回あります。まさに最強の組み合わせがノートルダム大vs USCでした。

年度が不詳ですが、ヌート・ロックニ全盛期時代のノートルダム大(濃いユニフォーム)
出典:The College Football Book, Sports Illustrated

途方もなく距離のある同士の定期戦

通常、毎年対戦している同士の場合、「同じ州内の対戦」「隣接する州との対戦」がほとんどですが、ノートルダム(インディアナ州サウスベンド)とUSC(カリフォルニア州ロサンゼルス)とは、「ほぼ全米を横断する」程の距離があります。

サウスベンドとロサンゼルスは直線距離で2914km、自動車を使用して行く場合3374kmあります。ちなみに東京と香港の間が直線距離で2887kmですので、それより遠いことになります。
定期戦が開始された1926年には、飛行機は軍事用として利用されることがほとんどで、まだ一般市民には「飛行機で旅行する」という概念がありません。当然、鉄道を利用して往復していたことになります。
パン・アメリカン航空は二つの軍用機会社が合併して1927年に設立、ユナイテッド航空は1928年に設立されていますが、当初は主に郵便を運ぶための航路であり、「人を乗せて運ぶ」ようになったのは後のことです。一般人が飛行機で旅行するようになったのは1940年頃からであろうと推測します。
ノートルダム大伝説の名コーチ、ヌート・ロックニは1931年に飛行機墜落事故により死亡していますが、これはセスナのような小型機に乗っていたもので、選手たちが飛行機で移動していたわけではありません。ヌート・ロックニについては下記をご参照ください。
ヌート・ロックニ名言集 – アメフト名言・迷言集 (fc2.net)

1924年、ノートルダム大の練習風景 
右端がヌート・ロックニ・コーチ
出典:Rites of Autumn, by Richard Whittingham

古い文献を見ますと、「ノートルダムがUSCと対戦するために、鉄道で片道4~5日間かけて西海岸に向かってい途中幾度か、停車駅の近くにある大学のグラウンドを借りて練習を行い、練習が終わると次に来る汽車に乗り込んで、更に西を目指した」との記述があります。とんでもない苦労を重ねながら実現した定期戦であることは間違いありません。

そこで「こんなに苦労をすることがわかっているのになぜ両校は超遠距離の定期戦を始めたのか」という疑問が生じます。

この疑問については2つの説があります。
一つは、USCのヘッドコーチ、ハワード・ジョーンズの情熱です。
ハワード・ジョーンズは、USCを4回全米王座に導いた名コーチです。ローズボウルには5回出場して全て勝利しています。通算194勝64敗21分(.752)
ジョーンズがUSCのコーチに着任したのが1925年です。当時アメリカ合衆国の政治・経済・商業の中心は東海岸と五大湖周辺であり、西海岸は「遠く離れた別世界」でした。西海岸がどんなところで何をしているか全く知らない、という米国人がほとんどだったのです。
ジョーンズ着任の前年、全米王座は10戦全勝のノートルダム大でした。1925年元旦のローズボウルに初出場したヌート・ロックニ率いるノートルダム大は、54000人の大観衆の前で、スタンフォード大を27-10で粉砕しました。この試合を目の前で観ていたハワード・ジョーンズは、「USCが全米に強豪として認識されるには、この最高のチームに勝つしかない」(Beat the Best)と考えました。ジョーンズはもともとアイオワ大のヘッドコーチだったので、ノートルダム大のヌート・ロックニとは面識がありました。ロックニに懇願して、「2年ごとに我々もサウスベンドを訪れますので、どうかノートルダム大に西海岸まで来てくださいますように」と頼み続け、ロックニが承知したというストーリーです。
※USCがヌート・ロックニにヘッドコーチになってほしいと請願し、ロックニがオファーを断った際に、ハワード・ジョーンズをUSCコーチとして推薦した、という別の説もあります。

USCコーチ ハワード・ジョーンズ 
出典:Wikipedia

もう一つの説は、「奥様同士の会話から定期戦が生まれた」というものです。
1925年11月、ノートルダム大はネブラスカと遠征試合をおこない敗れています。この試合を見学するために、USCの体育局長グウィン・ウィルソンが夫人同伴で遠路訪れていました。この際にパーティーが開かれ、ウィルソン体育局長はヌート・ロックニに定期戦の話を持ちかけましたが、遠すぎることを理由にロックニ・コーチは断りました。ところが、パーティーでウィルソン夫人がロックニ夫人と親しくなり、「ロサンゼルスは中西部と気候が全く異なり、暖かくて素晴らしいところですのよ。ぜひ西海岸までおいでください。」とロックニ夫人に熱く語りかけました。ロックニ夫人はすっかりその気になって、ご亭主を説き伏せ、ロックニ・コーチは一旦断った話を渋々承諾せざるをえなかった、と伝えられています

どちらが真実か確かめようもありませんが、「ヌート・ロックニが恐妻家であった」という微笑ましいエピソードが含まれた後者の方を、私は気に入っています。

両校の定期戦は最初の2回が大接戦の末、いずれもノートルダム大が1点差で勝利。
第3回の1928年11月、地元ロサンゼルスにて、ついにUSCが27-14で初めてノートルダム大を倒しました。この時のUSC関係者、そして西海岸に住む人たち全体が、どれほどこの勝利が嬉しかったかを想像するだけで胸が熱くなります。

この定期戦は、「ノートルダムのホームゲームは10月中旬」「USCのホームゲームは11月下旬」という変則ルールで今も続いています。これは11月下旬になるとサウスベンドの寒さが厳しくなるため、「どちらも一番気候が良いときに試合をしよう」という両校の申し合わせであると推察しています。
ノートルダム大vs USCの定期戦を、実際にスタジアムでご覧になった方がおられましたら、是非ご一報ください。

「永遠のライバル・シリーズ」間隔をあけて今後も続けていきますので、楽しみにしていてください。

 


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