【清水利彦コラム】フォレスト・グレッグ 泥まみれの鉄人オフェンスタックル 2023.09.28

清水 利彦(S52年卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com

皆さんは、もし「いつも泥まみれのNFL名選手、と言うと誰をイメージしますか?」と質問されたら、誰の名前を挙げますか?

「清水さん、最近は人工芝スタジアムが多いし、天然芝も品質が向上して、昔のように泥まみれにはなりませんよ」と突っ込まれるかもしれませんね。

かつてはNFLでも、野球場を利用して試合を行うことが頻繁にあり、土の上でプレーするのは珍しくありませんでしたし、パッカーズの本拠地ランボー・フィールドでは雨や雪が降るとすぐに泥田のようになり、選手たちが泥まみれで試合をすることは日常でした。
ヒューストンに「アストロドーム」と呼ばれる屋根付き球技場が出来て、初めてアストロターフ(人工芝)が敷かれたのが1966年で、1968~1996年はヒューストン・オイラーズ(のちのテネシー・タイタンズ)がホームスタジアムとして使用しました。それまでは人工芝球場は存在しなかったのです。

フットボールが「天候との闘い」の要素を持つスポーツであることに、私は強い魅力を感じています。
雨・雪・風・猛暑、そして泥。こういう要素があるからこそ、フットボールは勇壮なるスポーツと言えるのであり、人工芝やドーム球場でやるならば、少しその魅力を割り引かなければならない、というのが私の感想です。

さて、「いつも泥まみれのNFL名選手は誰か」の話に戻りましょう。オールドファンならば「たぶんフォレスト・グレッグだろうね」と言ってくださる方が多いだろうと想像します。

1960年のパッカーズOTフォレスト・グレッグ  出典:The Football Book, Sports illustrated. Photo by Vernon J. Biever

昔のグリーンベイ・パッカーズの試合では、いつも全員が泥まみれになるのですが、その中でひときわ泥まみれで走り回っている、という印象があるのがOT(オフェンスタックル)のフォレスト・グレッグ(Forrest Gregg)です。
上の写真は、いくつもの写真集で取り上げられ紹介されている有名な作品です。フットボールのことを全く知らない人でも、この写真を見れば「フットボールがいかに激しく厳しい、勇壮な競技であるか」を理解してくれることと思います。

1963年、泥まみれのフォレスト・グレッグ  出典:Best Shots, DK Publishing.  Photo by Robert Riger

この写真をご覧になって、「ああ、俺も現役時代、こんなに泥まみれでプレーしていたよね」と涙ぐんでしまう卒業生もおられることでしょうね。

フォレスト・グレッグは1933年(昭和8年)テキサス州生まれ。193cm、113kgと当時としては破格の巨漢であり、サザンメソジスト大(SMU)にて攻守両面のタックルとして活躍しました。
1956年にドラフト第二巡でグリーンベイ・パッカーズに入団します。ビンス・ロンバルディのヘッドコーチ着任が1959年ですから、グレッグは「ロンバルディ・コーチ就任以前の最悪弱小パッカーズと、就任後の最強パッカーズの両方を知っている選手」ということになります。

オフェンスラインマンは試合出場回数くらいしか記録として残るものはないのですが、フォレスト・グレッグは1956年から1971年まで、16年間で188試合連続出場という、当時のNFL最長連続出場記録を打ち立てました。今は200試合以上出続けている選手が何人もいますが、大半はキッカーやQBであり、ケガの多いラインマンとして、かつ年間12試合しかしない時代の記録としては驚異的でした。(今は年17試合)

フォレスト・グレッグは「ケガをしない選手」というよりは、「ケガをしていようが、痛いところがあろうが、とにかく試合に出続ける選手」でした。パッカーズファン達は尊敬の念を込めて、彼に「Iron Man(鉄人)」という称号を与えています。

1966年のフォレスト・グレッグ  出典:The Glory of Titletown, Photo by Vernon J. Biever

巨漢選手であったため、力任せに相手をなぎ倒すタイプの選手と見られがちですが、他球団のコーチたちはフォレスト・グレッグの長所を、「類まれなるブロッキングテクニック」「華麗な動き・足運びの巧さ」であると語っています。オフェンスラインマンとしての卓越した技術を全て備えた選手だったのです。
オールプロ一軍選出7回、プロボウル出場9回。スポーティングニューズ誌が選んだ「NFL歴代最高の選手100人」の中で、全体の28位に選ばれ、オフェンスラインとしては、アンソニー・ムニョス(ベンガルズ)、ジョン・ハンナ(ペイトリオッツ)、ジム・パーカー(コルツ)に次いで4位の評価を受けています。

フォレスト・グレッグのプレーぶりについては、下記のYou Tube画像をご覧ください。語り手はロサンゼルス・ラムズの往年の名DEで、グレッグのトイメンとして闘ったディーコン・ジョーンズです。(3分)
#54: Forrest Gregg | The Top 100: NFL’s Greatest Players (2010) | NFL Films – YouTube

1967年 選手入場セレモニーでフォレスト・グレッグ(右下#75)を 見守るビンス・ロンバルディ。まるで閲兵式のような雰囲気です。  出典:The Glory of Titletown, Photo by Vernon J. Biever

フォレスト・グレッグの持つ最高の勲章は「NFL優勝6回」の記録でしょう。ビンス・ロンバルディがパッカーズで作った優勝5回(NFL選手権3回、スーパーボウル2回)に全て貢献しています。引退直前の1971年に1年間だけダラス・カウボーイズに移籍しましたが、この年カウボーイズはスーパーボウル優勝を果たし、グレッグにとって6回目の王座獲得になりました。

選手引退後は、フットボールコーチとして地道な努力を続けました。ブラウンズ、ベンガルズ、パッカーズで計11年ヘッドコーチを務めましたが、1981年ベンガルズを率いてスーパーボウルに進出(49ersに21-26で負け)したのが頂点で、コーチとしては一度も王座に着けませんでした。通算戦績75勝85敗1分。
フォレスト・グレッグは2019年に85歳で亡くなっています。

今回は、「パッカーズの撮影に生涯をささげたチームカメラマン、バーノン・ビーバー」の作品を3点掲載しています。バーノン・ビーバーの生涯については、私のコラムアーカイブをご参照ください。

【清水利彦コラム】<フットボールの歴史を彩る一枚の写真> 第7回:パッカーズの撮影に生涯を捧げた男 2023.2.23 | アメリカンフットボール三田会 (keio-unicorns.com)

 

(フォレスト・グレッグの「華麗な動き・足運びの巧さ」について)

「フォレスト・グレッグは、フレッド・アステア以来、アメリカ合衆国が生んだ最高のダンサーである。」

レニー・ムーア(ボルチモア・コルツHB)
※フレッド・アステア 映画「雨に唄えば」に主演したダンサー、映画俳優

 

<おまけ>

皆さんは先日9月23日におこなわれたノートルダム大vsオハイオ州立大戦の幕切れをご覧になりましたか?

4戦全勝でランク9位のノートルダム大が、3戦全勝でランク6位のオハイオ州立大を、ノートルダム大の地元サウスベンドに迎えておこなわれた一戦です。なんという幕切れでしょう。4Q最後の9分間だけをまとめたYou Tube画像(7分弱)がありますので、是非ご覧ください。結果は書かずにおきますね。フットボールって、こんなに面白いものなのか、と再認識します。

「一度試合が終わったと思ったら、あと1秒だけ残っており再開された」という場面もありますので最後まで見てください。

https://www.youtube.com/watch?v=i3rjcxr38nc

 


「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
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