【清水利彦コラム】Unicorns Net1900号記念特別編「マネジャーって、何をする人?」2024.09.12

2024/9/13
昭和52年(1977年)卒 清水利彦
shimizu.toshihiko2@gmail.com

Unicorns Netは1998年12月17日に記念すべき第1号が発刊されています。
まだ「電子メールを使いこなせる人が10人のうち、2~3人程度の時代」であり、第1号の配信を受けた卒業生はわずか35名でした。物珍しさもあって、口コミでどんどん会員登録をしてくださる方が増え、第100号の頃は百数十名となっていました。当時は「Unicorns Net新規登録会員となった卒業生が挨拶のため自己紹介文を投稿する」という今では考えられない習慣もあったのですよ。1999年9月発行の第98号には、現在、広報部会(Unicorns Net発行編集チーム)を率いておられる山田健太さん(H7卒)が自己紹介挨拶文を投稿してくださっています。

100号ごとの記念号には、創刊した私の役得として「清水の持論」を述べさせていただいております。今回1900号では「マネジャーって何をする人?」というテーマで書いてみます。

今年のイヤーブックを拝見すると、マネジャー部員は2~4年生で7名が登録されており、大量56名の1年生部員からも複数のマネジャーが生まれるでしょうから、10名以上のチームで活動なさるものと推察します。私が大学入部した時(1973年)は、マネジャーは4年針生敬さん(選手兼主務)と私の2名だけ。隔世の感がありますね。

当時、私は「マネジャーという言葉の定義は?」とか「マネジャーって何をする人なの?」などという事は考えたこともなく、目の前に積まれた山のような仕事を必死に片づける日々を送っていました。

ところが慶應卒業の3年後に米国に留学し、ひょんなことから「マネジャーとは何か」という答えを見つけました。その時のエピソードをご紹介します。

米国留学は私が望んだわけではなく、父親から「アメリカでMBAの学位を取って帰ってこい。卒業するまでは帰国を許さない」と命令されました。今思えば、バカ息子が生涯最高の贅沢をさせてもらっていたのですが、当時は自分が恵まれているという意識もなく「トホホ、なぜそんな大変なことを僕がしなければならないのか」という心境でした。

出国まではたいして英語も話せなかったので、まずはEconomics Institute という、「留学生が英語を学び、ビジネススクールに入学するための予備校」のようなところに入って英語の勉強から始めました。

9か月間英語を学びながら米国各州のビジネススクール(MBAコース)を受験したのですが、不合格が続き、17校目でようやくコロラド大学(University of Colorado)から合格通知をもらいました。

コロラド大学ビジネススクール。キャンパス全体がロッキー山脈の麓にあります。出典:Wikipedia

ほっとしたのも束の間、大学院の授業に初めて出てみて「こりゃ、あかん!」と叫びました。自分の語学力があまりに足りない事に愕然としたのです。
「教授が何を言っているのか、全然聴き取れない」
「自分が思っていることを話せない。何を言ってよいのかわからない」
「教科書や本を読んでも理解できない。読むスピードが極端に遅い」
という三重苦に陥り、自虐的に自らを「東洋から来たヘレン・ケラー」と名乗っていました。笑

最初は教室の中でも友達が出来ず、苦労しました。人種差別を受けるようなことは一度もありませんでしたが、教室の中に入っていっても「おはよう」と挨拶だけはしてくれるのですが、あとは私の事を全く無視して、白人同士で会話を続けるようなケースがほとんどで、「こんな状態で今後やっていけるのだろうか?」と悩みました。
※当時、コロラド大学は圧倒的に白人が多く、特に大学院レベルでは白人以外は極めて少数派でした。

そんな中、クラスで一人だけ、私に違う態度で接してくれる青年がいました。
ダグ(Doug J. Williams)という名の大学院生で、挨拶だけではなく、いつもニコニコしながら二言三言話しかけてくれて、「東洋人留学生がクラスで孤立しないように、気を配ってくれている」ように感じました。とても良い奴だなと思い、私は「ダグと友達になりたいな」と真剣に考えました。

コロラド大学MBAコースの教室にて。前列右端が私。私の隣に居るヒゲの男がダグです。前列中央が日本企業の派遣で留学されていた田中正男さん。ビジネススクールの学生数は当時2000人程度と思いますが、田中さんと私がMBAコースで二人だけの日本人でした。

ある日、私は思い切ってダグに話しかけてみました。
「今週末、土曜日に(コロラド大学の)フットボールの試合を一緒に観に行かないか?」
するとダグは次のように答えました。
「フットボール?いいね!行きたいな!
・・・でもね、来週火曜が提出期限の大きな宿題があるんだよ・・・
土曜日に遊んでしまって、大丈夫かなあ・・・」

しばらく考えてから、ダグは言いました。
「よしっ、やっぱりフットボールの試合に行こう!」
そしてダグは続けて、次のような言葉を発したのです。
「I  THINK  I  CAN  MANAGE.」 (たぶんManage 出来ると思うよ)

一緒に試合を観に行けるようになったのは嬉しかったのですが、私にはダグの最後の言葉の意味がわかりませんでした。Manage とは、「運営する・経営する・管理する」という意味だと理解していましたので、これではダグの言葉の主旨が意味不明です。

ランダムハウス英和大辞典を調べたところ、Manage には大きく分けて3つの意味があると書かれていました。
<Manage>とは
(1)経営する、運営する、管理する
(2)(困難な状態にもかかわらず)首尾よく成し遂げる
なんとかやりくりして成し遂げる
どうにかやってのける。なんとか切り抜ける
(3)(他の人を)思い通り動かす
操縦する、操る
(限られた額しかないお金を)よく考えてうまく使う

その他の英和辞典を調べてみても、(2)に近い同じような意味が書かれていました。
<リーダーズ英和辞典> どうにか成し遂げる。  なんとかうまく・・・する
<ジーニアス英和辞典> 扱いにくい物事をうまく取り扱う
<オーレックス英和辞典> (困難・無理なことを)苦労してなんとかやり遂げる

これにより私は、「そうか、ダグは『試合観戦はするが、なんとかやりくりして宿題の提出もきちんとやってみせるよ。』と言っていたのだな」と知りました。

その時、私は「あっ!!これがマネジャーの語源であり、定義なんだ!マネジャーって、こういうことが出来る人の事を言うんだ。」と気が付いたのです。
「マネジャーとは、困難・無理なことを苦労してやりくりし、なんとか成し遂げる事が出来る人」の事を指すのだと理解した瞬間でした。

1898号のコラム「ザ・スニーカー・ゲーム」のNYジャイアンツ用具担当マネジャー、エイブ・コーヘンもまさに「困難をなんとかやりくりして切り抜けた人」ということが言えます。
【清水利彦コラム】 「ザ・スニーカー・ゲーム」マネジャーの機転と行動力がNFL選手権の結末を変えた日 2024.08.29 | アメリカンフットボール三田会 (keio-unicorns.com)

コロラド大学の図書館で勉強していたら、カメラを持った男が断りもなく近づいてきて、写真を撮ろうとするので、「なんだ、コノヤロー」と睨みつけた時の瞬間です。この写真が卒業アルバムの中に1ページ丸々使って大きく掲載されていたので驚きました。この時は無断で写真を撮られたことに腹を立てていましたが、私の人生で「勉強している時の姿」の写真はこれ一枚しかなく、今ではカメラマンに感謝しています。コロラドの冬の寒さは厳しく、図書館の中でもダウンジャケットが欠かせませんでした。 出典:コロラド大学卒業アルバム「Coloradan」より

この時以来、「Manageする」という言葉が留学生活における私の基本姿勢になりました。
「うまく行かないのは当たり前。順風満帆に進めるわけがない。でも諦めずになんとかやりくりして、目的(学位の取得)に向けて、少しずつでも前に進んで行けば良いのだ。」と考えることによって、少し気分的に楽になりました。

思い返せば、慶應アメリカンフットボール部においても「うまく行かない」ことだらけでした。私は2年生の時に主務を拝命し、3年間主務を務めましたが、特に2年生の一年間が地獄でした。
「指導陣の考えと、部員たちの受け止め方が違う」、「主将や幹部部員の方針と、下級生の思いが違う」、「体育会本部の指示と、部側の見解が合わない」など、「Manageしなければならない」局面は山のようにあったと感じます。
当時、体育会本部に行くと「アメリカンフットボール部で起こっている事については、練習中と試合中は主将が責任者だが、それ以外のことは全て主務であるお前が責任を持て」と川島体育会主事(故人)からハッパをかけられ、何度も叱られました。「権限は無いのに責任だけはマネジャーに押し付けられる」と反発した時期もありましたが、この時の責によって精神的に打たれ強くなったと感じており、川島先生には感謝しております。

私は今では「アメリカンフットボール部の中で、一番恵まれたポジションは、QBでもWRでもDLでもなく、マネジャーである」と確信しています。マネジャーは「なんとかやりくりして成し遂げる」ということを4年間勉強できるわけで、社会人になって即、役に立つ資質だと思うからです。
ブロックやタックルが幾らうまくなっても、会社の仕事の中では全く役に立ちませんよね。笑

コロラド大学卒業アルバム。Undergraduate(四年制大学)のページには、ピチピチした若い男女がたくさん載っているのですが、Graduate School(大学院)のページはご覧の通り、オジサン・オバサンばかりです。笑 当時私は27歳で、クラスの中で若い方でした。

一緒に試合観戦したことにより、ダグとはすっかり仲良くなり、彼の誘いにより白人仲間のパーティー等にも参加できるようになり、クラスメートと少しずつ打ち解けていくことが出来ました。英語力に劣るのはどうしようもない事なので、「たどたどしい英語でも、面白い、笑えることを言える、ちょっと変わった日本人」という立ち位置を目指すようにしました。そのため、ジョーク本などにも目を通すように心がけ、その経験が後に「フットボール迷言集」につながってゆきます。

教室で米国人学生を観察していて、彼らにも弱点があることに気付きました。例えば、「数字データをもとに数表をまとめあげ、そこから更に棒グラフや円グラフなどに変換して数字をビジュアル化する」という作業は、日本人にとってはさほど難しいことではないと思うのですが、それを全く苦手とする学生が多かったのです。(今ではパソコンで自動作成できますが、まだパソコンが無い時代です)
そこでグループ研究の際には、「自分はそういうことが得意だから全部任せてほしい」と名乗り出て、グループの中で貢献できる、「(英語力に劣る自分の)立ち位置」を確保しました。

こうして、決して褒められないギリギリの成績ではありましたが、なんとか卒業(修了)し、学位を取得することが出来ました。私なりになんとかManage出来たのだと考えます。卒業式には日本から両親が駆けつけてくれました。

今回は説教っぽい文章になり、申し訳ありません。マネジャーの事になると、ついつい力が入ります。
ユニコーンズの現役マネジャーの皆さん、毎日つらい仕事を山のように抱えておられると思いますが、「マネジャーとは、困難・無理なことを苦労してやりくりし、なんとか成し遂げる事が出来る人」であることを常に頭の中に入れていただき、困難に対して決して諦めず立ち向かってください。そうすれば卒業までに貴方は素晴らしくバージョンアップした人間になりますよ!

ユニコーンズのマネジャー達に栄光あれ!!


「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
https://footballquotes.fc2.net/
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