清水利彦(S52年卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com
NFLテネシー・タイタンズは、2000年1月のわずか一カ月の間に「天国のような瞬間」と「地獄のような瞬間」の、最高と最悪の両方を味わったチームとして知られています。
最良の瞬間は「Music City Miracle」と呼ばれ、最悪の瞬間は「The Longest Yard」と名付けられ、今日に至るまで語り継がれています。
はじめにタイタンズの本拠地である、テネシー州ナッシュビルについてご紹介しましょう。
ナッシュビルはテネシー州で最も人口が多い町(2023統計で69万人)です。全米で人口第21位。シアトルやデンバーとほぼ同じですから、NFLチームがあるのは当然と言えましょう。市の名前は、独立戦争の将軍フランシス・ナッシュに由来します。
カンバーランド川のほとりにあり、船上交通、そして鉄道交通の拠点でしたが、南北戦争の際には、北軍と南軍が激しく衝突した戦場となったため、この一帯はひどく荒廃しました。
意気消沈するナッシュビルの人々に希望を与えようと、大富豪コーネリアス・バンダービルト氏が巨額の寄付をしてバンダービルト大学を設立したのが1873年の事です。その後、鉄鋼などの各産業が急速に発展してゆきます。1960年の17万人から1970年の48万人という人口の爆発的増加も経験しました。現在は自動車産業も盛んで、日産自動車はテネシー州内に北米本部と生産基地を持っています。タイタンズの本拠地はNissan Stadiumと呼ばれます。
テネシー州には他に人口2位(63万人)のメンフィス、3位(19万人)のノックスビルがあります。フットボール最強豪のテネシー大学はノックスビルが本拠地です。
ナッシュビルはカントリーミュージックの本家という存在で、「Music City」と呼ばれています。世界の四大音楽の街は、ニューヨーク・ロサンゼルス・ロンドン・ナッシュビルだそうで、この4都市の中ではナッシュビルだけ異質な感じがしますが、「人口当たりの音楽産業に携わる人の割合が一番多い」、「全産業の中で、音楽産業の占める売り上げ構成比が一番高い」という理由によりMusic City の名称を与えられているものと認識します。
石油富豪バド・アダムスによって設立されたヒューストン・オイラーズは、1997年にナッシュビルに移転しました。当初2年間だけはテネシー・オイラーズと名乗っていましたが、1999年にテネシー・タイタンズと改名しました。タイタンズ改名初年度である、この1999年度が、タイタンズファンにとって永遠に忘れられない年となったわけです。
<Music City Miracle>
その頃タイタンズではQBスティーブ・マクネア、RBエディー・ジョージの二枚看板が猛威をふるっていました。エディー・ジョージ(オハイオ州立大出身、ドラフト1位)の闘志むき出しの走りっぷりは、下記サイトでご覧ください。(9分)#9マクネアと#27ジョージはタイタンズの永久欠番です。
Top Ten Eddie George Plays Of All Time
地元の英雄となったエディー・ジョージは、現在ナッシュビルにあるテネシー州立大のヘッドコーチをしています。
1999年度、タイタンズは13勝3敗という好成績でレギュラーシーズンを終えました。シーズン13勝したのは球団史上初めての事でした。ところが同地区のジャクソンビル・ジャガーズが14勝2敗という更に素晴らしい戦績だったため、タイタンズは地区2位となり、ワイルドカードで11勝5敗のバッファロー・ビルズと地元ナッシュビルで戦うことになりました。
タイタンズvsビルズのワイルドカード試合は、2000年1月8日土曜、ナッシュビルに新設された直後のアデルフィア・コロシアム(のちのニッサン・スタジアム)にて、超満員67000人の観衆を集めておこなわれました。
前半、タイタンズは12-0(1TD、1FG、1セフティ)とビルズをリードして楽勝の気配がありましたが、後半に入ってビルズがじりじりと追い上げ、逆転また逆転の展開となり、第4Q残り16秒のFGで、ついにビルズ16-15タイタンズと試合をひっくり返します。
残り16秒で蹴ったビルズのキックオフに対して行われたのが「ミュージックシティの奇跡」と名付けられたプレーです。下記You Tube画像(7分)をご覧ください。このプレーは反則か反則でないかと大騒ぎになりましたので、審判が最後の結論を出すところまで全部観てください。
ビルズ戦に奇跡的勝利を挙げたタイタンズは、まるで神様の援護を受けたように勢いを増して、その後コルツとジャガーズを敵地で撃破して、第34回スーパーボウルに駒を進めました。AFL時代に2度優勝しただけのタイタンズにとって、38年ぶり優勝、そして初のスーパーボウル制覇がかかる試合となりました。
対戦相手のセントルイス(現ロサンゼルス)・ラムズも、48年ぶり3回目のNFL王座、そしてタイタンズと同様に初のスーパーボウル勝利を狙っており、実に新鮮な組み合わせとなりました。
1999年度のラムズは、RBマーシャル・フォークがコルツから移籍入団一年目で大活躍した年であり、また、光の当たらない下積み生活の長かったQBカート・ワーナーが突然開花し、「シンデレラ・シーズン」と呼ばれた年でした。カート・ワーナーの物語は、いずれコラムに書いてみたいと思っています。
<The Longest Yard>
2000年1月30日、ジョージア・ドームで第34回スーパーボウルが開催されました。
ラムズにとって思い通りの試合運びとなり、第3Q残り1分まで、ラムズ16-0タイタンズと一方的な試合でした。ここからタイタンズが入魂の反撃を見せ、第4Q残り2:12で、ついに16-16の同点に追いつきます。
ところが次のラムズ攻撃でロングパスから一気にTDを奪われ(R23-16T)、1:54残してタイタンズの最後の攻撃シリーズとなりました。試合の内容・結末については、下記You Tube画像でご覧ください。(20分)QBスティーブ・マクネアの「人生の全てを賭けたかのような前進」に私は感動しました。
“The Longest Yard” (Rams vs. Titans, Super Bowl 34) – YouTube
あと1ヤード、いえ、半ヤード足りずにタイタンズは敗れました。「プロフットボールの歴史で最も遠い1ヤード」として、このシーンには”The Longest Yard”の名称が与えられています。
Sports Illustrated誌が選んだ「NFL史上最高のプレー10傑」には、7位にMusic City Miracle、8位にThe Longest Yardが掲げられています。
さて、2024年も残りわずかとなりました。今年10月で私は古稀を迎えましたが、おかげさまで体調は良く、元気に過ごしております。
かつて私はユニコーンズ関係者だけで200枚近い年賀状を出しておりましたが、郵便料金の値上げに背中を押されて、今回から年賀状郵送をとりやめ、メールアドレスを交換している方には、年賀状をメール添付の形式で送らせていただくことにいたしました。何卒ご了承ください。
最後になりましたが、今年一年間、度重なる原稿修正など様々なご迷惑をおかけしたにもかかわらず、気持ちよくご対応いただいたUnicorns Net編集担当者の皆様に心から感謝し、お名前を列記させていただきます。本当に有難うございました。
Unicorns Net編集担当者 山田健太さん(H7年卒)、高木慶太さん(H7年卒)、中橋正博さん(H9年卒)、林健司さん(H10卒)、横田孝さん(H11年卒)、岡田大行さん(H12年卒)、松田達さん(H18年卒)、新井崇志さん(H18年卒)、田淵咲輝さん(H30年卒)、山村健人さん(R4年卒)
「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
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