清水利彦(S52年卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com
もし皆さんが「バッファロー・ビルズって、どんなチーム?」と尋ねられたら、どのように答えますか?20代の若手卒業生ならば、「すごく強い、魅力のあるチームだよ!QBジョシュ・アレンが最高!でも、最後の肝心なところで勝ちきれていないという印象もあるなあ」という答えが返ってくるのではないでしょうか。
私が同じ質問を受けるならば、次のように答えます。
「『すごく強い時期』と『めちゃくちゃ弱い時期』が、長いうねりの中で何度も繰り返されてきたチーム。そして、すごく強い時期もあるのだが、どうしても最後の肝心なところで勝ちきれず、NFLチャンピオンになれないチームですね。」
どうも「最後の肝心なところで勝ちきれず、どうしてもNFLチャンピオンになれないチーム」というのが、ビルズの歴史で皆さんが共通する認識と言えるようです。
ビルズ65年の歴史を、強い時期・弱い時期に整理して見てみましょう。
① 強1960-66 7年間 AFL時代 56勝37敗5分 .602 AFL優勝2回、プレイオフ出場4回
② 弱1967-87 21年間 AFL→NFLに編入 108勝195敗3分 .356 プレイオフ出場3回のみ
③ 強1988-99 12年間 124勝68敗 .646 スーパーボウル敗北4回、プレイオフ出場10回
④ 弱2000-16 17年間 112勝160敗 .412 プレイオフ出場なし
⑤ 強2017-現在 8年間 86勝45敗 .656 プレイオフ出場7回
通算 65年間 486勝505敗8分 .490 プレイオフ出場24回

フットボールが大好きだった、ビルズ・オーナーのラルフ・ウィルソン
出典:Ralph Wilson Jr. Foundation
第1期黄金期=最後の黄金期?(1960-1966)
バッファロー・ビルズが、NFLに対抗する新興リーグAFLの最初のメンバーとして1960年に設立された話は前回コラムでお伝えしました。創設者オーナーのラルフ・ウィルソンは有能なビジネスマンであると同時に「フットボール大好き人間」で、ビルズを成功させるために心血を注ぎ込みました。
創設直後の2年間は負け越しましたが、3年目ヘッドコーチにルー・セイバンを起用してから強くなり、1964,1965年に2年連続でAFLチャンピオンとなりました。(NFL王者ではない)ここまでは順調だったので、ラルフ・ウィルソンは、NFLに参入したビルズが、まさかここからの60年間一度もチャンピオンになれないとは夢にも思っていなかったでしょう。結局NFLでの優勝を一度も見ないで、ラルフ・ウィルソンはオーナー職についたまま2014年に95歳で亡くなります。
最初の暗黒時代(1967~87年)
1967年からビルズは急に勝てなくなります。1970年NFLとAFLが合併しましたが、ビルズは「AFLの中では弱小チーム」としてNFLに参加したことになります。一旦は退任したルー・セイバン・コーチを再任させましたが、それでも戦績は上がりませんでした。
1968年にビルズは1勝12敗1分という最悪のシーズンを過ごしましたが、そのおかげで翌年のドラフトでO・J・シンプソン(USCのRBとしてハイズマン賞受賞)を1位指名することが出来ました。O・J・シンプソンは9年間ビルズのエースRBとして君臨し、1973年には史上初めてランで2000ヤード獲得しましたが、結局チームは勝てず、孤軍奮闘にとどまりました。

左 O・J・シンプソン 右 東国原英夫氏(そのまんま東)
O・J・シンプソンと東国原英夫氏が似ていると考えているのは私だけでしょうか?(笑)
21年間で勝率.356という暗黒時代でしたが、弱かったためにドラフトで上位指名権を獲得し、優秀な人材を加えていった時代でもあります。その代表格がDLブルース・スミスです。
バージニア工科大で”The Sack Man”の異名をとり、オールアメリカンに選ばれたブルース・スミスは、1985年、ドラフトいの一番でビルズから指名されました。193cm119kgとディフェンスエンド(DE)としては軽量なのですが、類まれなるスピードでサックを量産し、通算200回のQBサックは今もNFL最高記録として残っています。
スポーツイラストレイテッド誌が選んだ「NFL史上最高のDL10人」の中では第4位に選ばれています。ブルース・スミスのプレーぶりはYou Tube画像でご覧ください。5分
5分
Bruce Smith Highlights

1992年のブルース・スミス 出典:Football’s Greatest, photo by Rick Stewart
あと一つが勝てない“Four Falls”時代(1988-99)
21年に亘る暗黒時代に8人のヘッドコーチの首をすげかえたビルズでしたが、9人目のマーブ・レビーが歴史の流れを変え、急に強くなりました。
マーブ・レビーはアイオワ州のCoe Collegeという、学生数わずか1300人の無名3部校でフットボール、陸上、バスケットボールの選手でした。卒業後ハーバード大の大学院に進んで修士号を取得していますので、勉学にも優れた人物です。当時はまだフットボールコーチを職業にするつもりなどさらさら無かったのでしょう。
ところが26歳で無名校のフットボール部とバスケットボール部両方のコーチとなり、この時コーチングの面白さに目覚めたと思われます。2年後母校のCoe Collegeに戻ってコーチを続け、その後ニューメキシコ大学で初めてヘッドコーチとなります。
18年間各地でカレッジのコーチをしたマーブ・レビーは、44歳でNFLイーグルスのアシスタントコーチとなりました。7つのプロチームを渡り歩き、ビルズのヘッドコーチに就任したのは61歳の時と、超遅咲きのコーチでした。
ここから鬼神のようにビルズは勝ちまくり、11年後の72歳で引退しましたので「マーブ・レビーは老齢の名コーチ」という印象が強くあります。(今年8月で100歳を迎えるマーブ・レビーは健在です)

1993年、老齢の名将マーブ・レビー(当時68歳)
ビルズをめきめきと強くさせたマーブ・レビーは、就任5年目の1990年度ついにスーパーボウル初出場を果たします。対戦相手はビル・パーセルズ率いるNYジャイアンツでした。
レギュラーシーズンでも両者は対戦があり、ビルズが勝っていましたので、評論家たちはこぞって「圧倒的攻撃力を誇るビルズが有利」と予想していました。
試合は手に汗握る大接戦となりました。第4Q、19-20とリードされたビルズは残り2:16から、QBジム・ケリーが入魂の進撃を見せ、残り8秒でジャイアンツ陣29ydまで進みます。
最後の47ydFGをキッカーのノァウッドに託し、ビルズのサイドラインにはマーブ・レビーを中心に、選手・スタッフが横一列に手をつなぎ行方を見守りましたが、蹴ったボールは無慈悲にもゴールポストの右に外れ、ビルズは敗れました。
今思えばこの時が「ビルズがNFLチャンピオンに限りなく近づいた瞬間」でした。もう、このような瞬間は現在までありません。このFGの模様はYou Tube画像でご覧ください。3分半
Super Bowl XXV: Bills vs. Giants (#8) | Top 10 Upsets | NFL
惜敗の悔しさを晴らすかのように、翌年以降もマーブ・レビー率いるビルズは勝ち続け、1993年度まで4年連続でスーパーボウルに駒を進めます。ところがその結果は
1990 ビルズ19-20ジャイアンツ
1991 ビルズ24-37レッドスキンズ(現コマンダーズ)
1992 ビルズ17-52カウボーイズ
1993 ビルズ13-30カウボーイズ
と、どんどん王座は遠のいていってしまいました。
私は「4年連続してスーパーボウルに出場して、4連敗」というのは、永遠に破られることのない記録であろうと考えています。「スーパーボウル3連勝」もまだ誰も果たせていませんが、「スーパーボウル4連敗」のほうがずっと難しいと思っているのです。
「スーパーボウル4連敗の悲劇」は、テレビ局用ドキュメンタリー番組「Four Falls of Buffalo」として制作・放送されました。Fall(転落・敗北)とFall(滝)とを掛け合わせた語呂合わせのタイトルで、ナイアガラ滝のすぐ近くを本拠地とするバッファロー・ビルズを皮肉っています。番組の宣伝用ポスターは、ビルズの主力選手達(#12QBジム・ケリー、#34RBサーマン・トーマス、#83WRアンドレ・リード、#78DEブルース・スミス)が、滝が流れ落ちるのを呆然と眺めるという、ビルズ・ファンにとってあまりにも屈辱的な構図になっています。

「Four Falls of Buffalo」の宣伝用ポスター 出典:Wikipedia
ペイトリオッツに翻弄された第2次暗黒時代(2000~2016)
マーブ・レビーの引退後、2000年からビルズは再び「勝てないチーム」に戻りました。2016年までの17年間、連続してビルズはプレイオフ出場を逃しています。その間の勝率は.412ですので、めちゃくちゃ弱かったわけではありません。勝率5割以上の年が5回あり、プレイオフ進出にあと一歩まで迫るのですが最後に勝ちきれずにいました。
実はこの「17年間プレイオフ出場なし」というのは、全米の4大プロスポーツ(フットボール、野球、バスケットボール、アイスホッケー)でのプレイオフ不出場期間最長記録なのです。とんでもなく不名誉な記録をビルズは保持していることになります。
※クリーブランド・ブラウンズの2003~2019の17年間不出場もタイ記録
この記録の原因は明白です。NFL同地区(AFC東地区)のライバル、ニューイングランド・ペイトリオッツがこの時期に「あまりにも強かった」からです。ビルズの暗黒の17年間と、ペイトリオッツの黄金期は見事に一致します。ビル・ベリチック・ヘッドコーチとQBトム・ブレイディに率いられたペイトリオッツは、ビルズ不調の17年間にプレイオフ出場15回、スーパーボウル出場7回、優勝5回と勝ちまくりました。同地区のペイトリオッツとは毎年2回必ず対戦するのですが、ビルズは17年間で5勝29敗と完膚なきまで打ちのめされました。
ビルズに立ちはだかるチーフスの壁(2017~現在)
バッファロー・ビルズが再び輝きを取り戻したのは、2017年、ショーン・マクダーモットがヘッドコーチに就任して以来です。
ショーン・マクダーモットは1974年生まれ(現在50歳)。高校ではDBとして活躍する一方で、レスリング選手としてペンシルベニア州高校選手権で優勝しています。ウイリアム&メリー大という学問レベルが極めて高い名門校(全米学力ランキング55位)に入学し、フットボールを続けました。この時のチームメイトにピッツバーグ・スティーラーズの現ヘッドコーチ、マイク・トムリンがいます。
卒業後2年目の1999年に、マクダーモットはNFLイーグルスのスタッフ職(スカウト)の仕事を得ましたが、ちょうどこの年にアンディ・リード(NFL通算273勝の名コーチ)がイーグルスのヘッドコーチに就任しました。マクダーモットはアンディ・リードによほど気に入られたのでしょう。12年間リードの下でイーグルスに在籍し、アシスタントコーチとしてどんどん出世していきました。そして2017年、43歳でビルズのヘッドコーチに迎えられたわけです。

ビルズを率いるショーン・マクダーモット 出典:Wikipedia
マクダーモットの就任以来、ビルズの戦績は下記の通りです。
2017 9勝7敗 地区2位 ワイルドカード敗退 3-10ジャガーズ(18年ぶりのプレイオフ出場)
2018 6勝10敗 地区3位
2019 10勝6敗 地区2位 ワイルドカード敗退 19-22テキサンズ(延長戦)
2020 13勝3敗 地区1位 ワイルドカード勝利 27-24コルツ
ディビジョナルラウンド勝利 17-3レイブンズ
AFC決勝戦敗退 24-38チーフス
2021 11勝6敗 地区1位 ワイルドカード勝利 47-17ペイトリオッツ
ディビジョナルラウンド敗退 36-42チーフス
2022 13勝3敗 地区1位 ワイルドカード勝利 34-31ドルフィンズ
ディビジョナルラウンド敗退 10-27ベンガルズ
2023 11勝6敗 地区1位 ワイルドカード勝利 31-17スティーラーズ
ディビジョナルラウンド敗退 24-27チーフス
2024 13勝4敗 地区1位 ワイルドカード勝利 31-7ブロンコス
ディビジョナルラウンド勝利 27-25レイブンズ
AFC決勝戦敗退 29-32チーフス
直近5年間で4回、チーフスにプレイオフで敗れ、あと一歩が超えられずスーパーボウル出場が叶っていません。私はこの現象を自分勝手に「ビルズ、第二のFour Falls」と名付けています。
宿敵チーフスを率いるコーチは、かつてイーグルスでマクダーモットを見出し、育て上げたアンディ・リードです。「立ちはだかる師匠の壁を、マクダーモットはどうしても超えられない」とも言えます。
このコラムをお読みいただいて、バッファロー・ビルズの経営陣・選手達・ファン達が、どれほど「ビルズがNFLチャンピオンになる瞬間を見届ける」ことを願っているか、おわかりいただけたことと思います。
あきらめずに来年度も頑張れ!!!バッファロー・ビルズ!!!
「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
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