【清水利彦コラム】 シリーズ「クォーターバック黄金列伝」第1回 ノーム・ヴァン・ブロックリン物語 2025.07.27

清水利彦(S52年卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com

NFLアーカイブの資料の中から、NFLアナリスト、エリオット・ハリソンが2019年7月に発表した、『NFL歴代QBベスト25』という論文を見つけました。

Top 25 quarterbacks of all time: Patriots’ Tom Brady leads list

NFL組織が作成したランキングではなく、あくまでハリソン氏個人の評価ではありますが、統計を綿密に調査し比較検討している力作ですので、参考にする価値はあると考えます。

私が所蔵しているスポーティングニューズ誌などの「ランキング本」にも同様のランキングは掲載されていますが、なにせ書籍自体が2000年頃に出版されているので、21世紀の選手が全く載っておらず、話になりません。

エリオット・ハリソン氏によるランキングは次の通りです。(数字はNFL在籍期間)

  1. トム・ブレイディ  ペイトリオッツ他 2000~2022
  2. ジョー・モンタナ  49ers他 1979~1994
  3. ペイトン・マニング  コルツ他 1998~2015
  4. ジョニー・ユナイタス コルツ他 1956~1973
  5. オットー・グラハム ブラウンズ 1946~1955
  6. ドリュー・ブリーズ セインツ他 2001~2020
  7. ダン・マリーノ ドルフィンズ 1983~1999
  8. ロジャー・ストーバック カウボーイズ 1969~1979
  9. ジョン・エルウェイ ブロンコス 1983~1998
  10.  アーロン・ロジャース      パッカーズ他 2005~現役
  11. サミー・ボー      レッドスキンズ 1937~1952
  12. ブレット・ファーブ   パッカーズ他 1991~2010
  13.  バート・スター    パッカーズ 1956~1971
  14. トロイ・エイクマン    カウボーイズ 1989~2000
  15. スティーブ・ヤング   49ers他 1985~1999
  16. シド・ラックマン   ベアーズ 1939~1950
  17. テリー・ブラッドショー  スティーラーズ 1970~1983
  18. ラッセル・ウィルソン  シーホークス他 2012~現役
  19. ベン・ロスリスバーガー       スティーラーズ 2004~2021
  20.  カート・ワーナー   セントルイス・ラムズ他 1998~2009
  21. ジム・ケリー      ビルズ 1986~1996
  22. ウォーレン・ムーン   オイラーズ他 1984~2000
  23. フラン・ターケントン      バイキングス他 1961~1978
  24. レン・ドーソン     チーフス他 1957~1975
  25. ノーム・ヴァン・ブロックリン   LAラムズ他 1949~1960

まさに「珠玉のNFL名クォーターバックの系譜」であり、ぞくぞくするような名前が列挙されています。

リストを見て、「パトリック・マホームズ(チーフス)が載っていない!!」とお叱りを受けるかもしれませんが、このリストが発表されたのが2018年度終了後です。マホームズがスターターになったのが2018年からですから、まだランク入りしていないのは当然ですね。

QBノーム・ヴァン・ブロックリンのトレーディング・カード

このNFL歴代QBベスト25を見ていて、私は「クォーターバック黄金列伝」という連続企画を思いつきました。歴代の名QB達の足跡を追い、掘り下げてみたいと思います。彼らはそれぞれのチームにおいて黄金時代を築き上げた人達ですから、彼らを追うことが各チームの「DYNASTY(王朝、転じて黄金期)」に触れることにもなると考えております。

ノーム・ヴァン・ブロックリン物語

黄金列伝の記念すべき第1回は、リストの最下位(25位)ノーム・ヴァン・ブロックリンに登場してもらいます。将来、リストが更新されたらパトリック・マホームズが上位に入ってきて、ノーム・ヴァン・ブロックリンがリストから外れることになるでしょうが、彼も素晴らしい経歴をもつQBですよ!

ノーム・ヴァン・ブロックリンはちょうど私が生まれた頃(1954年、70年前!)が選手としての最盛期でしたので、私は彼の現役時代を全く知りません。私がノーム・ヴァン・ブロックリンの名前を初めて意識したのは、オークランド・レイダースの名コーチ、ジョン・マデンが次のように語る記事を読んだときです。

「私はドラフト下位で指名され、フィラデルフィア・イーグルスにOLとして入団したが、怪我が多く、選手としては全く使い物にならなかった。しかし、一年間イーグルスの選手ミーティングに参加させてもらい、ヘッドコーチのバック・ショーや、一軍QBノーム・ヴァン・ブロックリンが明快にフットボール理論を語るのを、目から鱗が落ちる思いで聴いていた。その時、私は『フットボールチームの戦績は、選手の運動能力によって決まるのではなく、フットボール理論とコーチング能力によって決まる』と理解した。だから私は選手生活に一年で見切りをつけ、コーチへの道を歩み始めたのだ。」

つまりノーム・ヴァン・ブロックリンは優れた選手である以上に、優れたフットボール理論家であったわけです。彼のプレーぶりについては、下記のYou Tube画像でごらんください。語り手は、こちらも往年の名QBソニー・ジョーゲンセン(レッドスキンズ他)です。4分

#83: Norm Van Brocklin | The Top 100: NFL’s Greatest Players (2010) | NFL Films

ノーム・ヴァン・ブロックリンは1926年(昭和元年)サウスダコタ州に生まれました。父親は時計職人で、兄弟姉妹9人の中の一人でした。子供の頃、一家がカリフォルニア州オークランド近郊に引っ越し、ノームは地元高校でフットボール・野球・バスケットボールの選手として活躍しましたが、高校3年生の時、第二次世界大戦が激化し、彼は米国海軍に入隊し、3年間兵役に就いています。

1945年、戦争が終結し、ノーム・ヴァン・ブロックリンは復帰してオレゴン大学に進み、フットボール選手の道を歩みます。

オレゴン大はPCC(Pacific Coast Conference、のちのPac-12)の一員でしたが、常に下位に定着しており、「リーグのお荷物」的存在でした。しかしQBノーム・ヴァン・ブロックリン(当時3年生)の活躍により1948年、突然快進撃をみせます。

レギュラーシーズンを9勝1敗、PCCリーグ内では7勝0敗で終えます。唯一の敗北は、その年に全勝で全米チャンピオンとなったミシガン大戦でした。当時PCCは「優勝校がローズボウルに進み、BIG TENの優勝校と対戦する。その他のボウルゲームには出場しない」というルールでした。

ところがカリフォルニア大も7勝0敗だったため(その年カリフォルニア大とオレゴン大は対戦なし)、「同率優勝の場合は、PCC各校コーチの投票でローズボウル出場校を決める」というワケのわからないルールも存在しました。投票の際、オレゴンに1票入れると思われたワシントン大が、カリフォルニア大に投票したため、結局カリフォルニア大が僅差でローズボウルに進むことが決まりました。現在まで続く、オレゴン大とワシントン大の激しい憎しみ合いのようなライバル関係は、この時に生まれたと言われています。

惜しくもローズボウル出場を逃したオレゴン大に、「特例として、2位校も他のボウルゲームに参加してよい」という措置が取られ、コットンボウルへの初出場が認められました。オレゴン大にとって30年ぶり3回目のボウルゲーム出場でしたが、サザンメソジスト大に13-21で敗れています。

この敗北で嫌気がさしてしまったのか、あるいは「大学ではもう燃え尽きた」と感じたのか、ノーム・ヴァン・ブロックリンは「3年でオレゴン大を中退し、NFL入りする」との声明を出しました。当時「大学に進学した者は4年間在籍しないとプロ入り出来ない」というルールがあったのですが、海軍兵役を3年間経験していたノームには特例が認められました。1949年、ドラフト第4巡でロサンゼルス・ラムズから指名を受けます。

プロ初年度から大活躍したノーム・ヴァン・ブロックリンは、3年続けてラムズをNFL選手権に出場させ、3年目の1951年にラムズはNFLチャンピオンとなりました。この時がラムズの第1期黄金時代と呼ばれています。

1954年、ラムズでプレーするノーム・ヴァン・ブロックリン 出典:The Football Book, Sports Illustrated

1954年、ラムズでプレーするノーム・ヴァン・ブロックリン 出典:The Football Book, Sports Illustrated

1957年のシーズン終了後、ノーム・ヴァン・ブロックリンは「9年間のプロ選手生活から引退し、オレゴン州で実業家になる」と発表しました。ところが僅か5か月後には前言を翻し、フィラデルフィア・イーグルスと契約を結びました。実際にはラムズのコーチ、シド・ギルマンと折り合いが悪く、またイーグルスのコーチ、バック・ショーのフットボール理論を彼が崇拝していたからと言われています。

バック・ショーから攻撃を任されたノーム・ヴァン・ブロックリンは、3年目の1960年、イーグルスを見事NFLチャンピオンに導きます。この時の模様は、コラム「最後の60ミニッツマン、LBチャック・ベドナリック」の中で詳しく述べています。

【清水利彦コラム】”THE HIT” 最後の60ミニッツマンLBベドナリックが放った恐怖のタックル 2023.12.07 | アメリカンフットボール三田会

この時のNFL選手権の対戦相手は、ビンス・ロンバルディが率いて2年目のグリーンベイ・パッカーズでした。17-13でイーグルスが勝利するわけですが、試合最後の結末が当時「NFL史上、最もエキサイティングな8秒間」と言われた有名なシーンです。You Tube画像は25分の長尺ですが、最後の4分間だけでも是非見てください。

(133) 1960 NFL Championship Game Film, Eagles vs Packers – YouTube

ビンス・ロンバルディは5回NFLチャンピオン(2回のスーパーボウル勝利を含む)となっていますが、ロンバルディが生涯ただ一度、優勝決定戦で負けたのが1960年のイーグルス戦であり、この時イーグルスを率いていたのがQBノーム・ヴァン・ブロックリンだったわけです。

イーグルス時代のノーム・ヴァン・ブロックリン

イーグルス時代のノーム・ヴァン・ブロックリン

ノーム・ヴァン・ブロックリンは1960年NFL選手権勝利を最後に、35歳で引退しました。しかし驚くことにそのわずか1か月後に、「新たに創部となったミネソタ・バイキングスのヘッドコーチに就任する」ことが発表されます。

ヘッドコーチ経験がないどころか、アシスタントコーチ経験でさえ一日もない35歳の人間に、NFLエクスパンション(新生)チームのヘッドコーチを任せるとは、大変危険な賭けですが、ノーム・ヴァン・ブロックリンのフットボール理論がいかに高く評価されていたかの証しとも言えます。

エクスパンションチームを勝たせることは非常に難しいとされています。名将トム・ランドリーでさえ、ダラス・カウボーイズの創部1年目は0勝11敗1分でしたし、カウボーイズが初めて勝ち越すのはランドリーの就任7年目でした。(ただし、そこから20年間連続で勝ち越し黄金期を築いています)

ノーム・ヴァン・ブロックリンもバイキングスの最初の2年間は5勝22敗1分とひどく負けましたが、そこからの4年間で24勝29敗3分と持ち直し、1966年に退任しています。

その後、1966年にエクスパンションチームとなったアトランタ・ファルコンズは、初代コーチのノーブ・ヘッカーが1968年、3年目で4勝26敗1分となった時点でシーズン途中にクビになり、無職となっていたノーム・ヴァン・ブロックリンに突然コーチ就任の要請があり受諾しています。

彼は7年間ファルコンズの指揮を執り37勝49敗3分の戦績を残しました。1973年には9勝5敗となり、プレイオフ出場まであと一歩でしたが惜しくも逃しています。

ノーム・ヴァン・ブロックリンは2チーム合わせて13年間ヘッドコーチとして指揮を執りました。「NFL歴代QBベスト25」の中で、ヘッドコーチとしての最長在任歴は彼が1位です。(次点はバート・スターの9年)優勝やプレイオフとは縁がありませんでしたが、名QBがコーチとしても活躍した稀有な例です。引退後の1985年、心臓発作のため57歳の若さでこの世を去りました。

ノーム・ヴァン・ブロックリンの弱点と言いますと、「足が遅いため、スクランブルからのQBランが全く期待できない」ことでしょうか。最後にケッサクな迷言を二つご紹介します。

(鈍足で有名だった名QBノーム・ヴァン・ブロックリンの思い出について)

「彼は足を一生懸命動かしているのに、全く前に進まないのです。
まるで、マイケル・ジャクソンのムーン・ウォーク・ダンスを
見ているようでしたよ。」

ジョン・オーウェン スポーツ・コラムニスト

※マイケル・ジャクソンのムーンウォークをご存じでない若い方は下記You Tubeを参考にしてください  1分30秒

Michael Jackson’s Best Moonwalk Ever! Must Watch

(鈍足で有名だった名QBノーム・ヴァン・ブロックリンの思い出について)

「彼の走る姿は、ガードルを脱ごうとして、もがき苦しんでいる女性のようだ。」

ファーマン・ビッシャー スポーツ・コラムニスト

クォーターバック黄金列伝シリーズは、連載ではありませんが、今後少しずつ紹介してゆきます。
どうぞお楽しみに。


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