【清水利彦コラム】古豪復活なるか?イリノイ大学 2025.09.18

清水利彦(S52年卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com

全米カレッジフットボールでは、9月10日(第2節終了時点)のAPランキングが以下のようになっています。

1-オハイオ州立大、2-ペンシルバニア州立大、3-ルイジアナ州立大、4-オレゴン大、5-マイアミ大
6-ジョージア大、7-テキサス大、8-ノートルダム大、9-イリノイ大、10-フロリダ州立大

9位にイリノイ大が入っているのを見て「おおっ!」と思わず声を上げました。なぜならイリノイ大は「かつての超強豪校で、100年ほど前に全米王座獲得経験もあるが、60年間くらい、ずっと鳴かず飛ばずだったチーム」なのです。

今回はイリノイ大の歴史をご紹介しましょう。

イリノイ州および近隣州の地図。緑丸がシカゴ市、赤丸がイリノイ大学のあるUrbana-Champaign

イリノイ州とは

皆さんはイリノイ州についてどんなことを知っていますか?「シカゴが州最大の都市だよね。シカゴと言えば商業の中心だよね。」というような返事が来るのではないでしょうか?

たしかにイリノイ州最大の都市はシカゴで、人口280万人ほど(州全体で1300万人弱)です。ところが、イリノイ州で二番目に人口が多い都市はオーロラで、たった18万人しか住んでいません。シカゴが「一強多弱」の中で商業や金融の中心となり他を圧しています。それなのに「シカゴはイリノイ州の州都ではなく、人口11万人のスプリングフィールドが州都」なのです。スプリングフィールドなんて誰も知らないと思いますが、私はかつて慶應の資料を読んでいた時に、「スプリングフィールド三田会」が存在するとあったので驚いた記憶があります。

イリノイ州は、シカゴだけが別格の商業都市で、その他の地域は広々とした穀倉地帯が続く州なのです。大豆の収穫量では常に全米1,2位を争っています。

イリノイ大学も穀倉地帯にあります。大学の正式名称はUniversity of Illinois, Urbana-Champaignです。学校の土地がだだっ広く、アーバナ市(人口38000人)とシャンペーン市(88000人)にまたがって所在するのでこの名前になっています。土地の形がいびつなので一概には言えませんが、南北の一番長い所で10kmくらいありそう。日本の大学からは想像もつかないスケールの大きさですね。

イリノイ大学キャンパス内にあるメモリアル・スタジアム。6万人収容できます。大学の周囲は果てしなく広がる農業地帯であることにご注目ください。 出典:Wikipedia

イリノイ大学の歴史

「イリノイ州で最も優秀な大学は?」と質問されたら、多くの州民が次の3校を挙げるでしょう。(年号は創立年、人数は学生概数、ランクは2024年フォーブス誌全米大学学力ランクに基づく)

ノースウェスタン大(私立)        1851年  創立174年目       23000人 ランク11位

シカゴ大(私立)                           1890年 創立135年目     19000人 ランク14位

イリノイ大(州立)                   1867年 創立158年目   59000人 ランク38位

 

ノースウェスタン大はシカゴ市近隣にあり、イリノイ大だけが田舎にある大学と言えます。

イリノイ大は「州立大学であり、マンモス大学であり、田舎の大学」である点で、他の二校と異なりますが、超名門校であることには変わりありません。

実は、私はイリノイ大学のビジネススクールに入学願書を提出したことがあるのですが、書類審査で不合格となりました。ノースウェスタン大やシカゴ大は秀才揃いで、私にはとても無理と考え、ちょっとだけ格下のイリノイ大学ならなんとかなるかと受験しようとしたのですが、門前払いを食らったことになります。トホホ

イリノイ大学は1867年(慶應3年!徳川慶喜の15代将軍就任直後)に州立大学として設立されました。最初の校名はIllinois Industrial University ですから「イリノイ産業大学」と呼ぶべきでしょうね。主に農業と工業を教えるのが目的でした。教員2名、学生77名で授業が開始されたと伝えられています。

その後、学部を増やし、Industrial という名称がふさわしくなくなったため、1885年にUniversity of Illinoisと改称されました。更に、イリノイ大学シカゴ校、スプリングフィールド校が設立されたため、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校が正式名称となりましたが、一般的にはイリノイ大学と言えば同校を指します。どんどんと学力レベルを上げ続け、現在の超一流校の地位を築き上げました。

イリノイ大学フットボール部の歴史

イリノイ大フットボール部は1892年に創設されました。1896年にWestern Conference(のちのBIG TEN)リーグが設立されたため、最初からメンバーとして所属しています。同リーグは当初7校で開始されました。(シカゴ大、ノースウェスタン大、イリノイ大、ミシガン大、ミネソタ大、パーデュー大、ウイスコンシン大)つまり7校のうち3校がイリノイ州の大学であり、BIG TENはイリノイ州を中心として、近隣の名門校を集めて発足したリーグと言えます。(シカゴ大はその後、勉学優先のためリーグを脱退して、今では三部校となっています)

オハイオ州立大はリーグ参加が1913年とずっと遅く、当初はBIG TENの中で「新参者」という扱いを受けていたのだろうと想像できます。

1904年、創設間もない頃のイリノイ大学フットボール部。胸の番号はジャージの背番号ではなく、選手名を紹介するために後から書き加えた番号です。学生マネジャーは「マネジャー」と記載されているだけで、名前が記されていないのが可哀そうですね。 出典:Wikipedia

 

イリノイ大はリーグ開始当初ぱっとしない戦績でしたが、1913年ボブ・ザプキ(もしくはロバート・ザプキ)がヘッドコーチに就任して以来、ぐんぐんと戦力を上げ、文武両道の強豪校として知られるようになりました。1923年(8勝0敗)、1927年(7勝1分)で全米王座に輝いています。1923年は総得点136,総失点20で、5試合に完封勝ち。1927年はミシガン大に14-0、オハイオ州立大に13-0で勝利するという完璧な内容でした。

ヘッドコーチ、ボブ・ザプキは1879年ドイツで生まれました。両親とともに移民し、ウイスコンシン州で育ちました。ウイスコンシン大学ではバスケットボール部に所属し、フットボールをやっていません。ところが卒業後、高校のフットボールコーチとなり州高校選手権で2回優勝し、その実績を認められて1913年イリノイ大のヘッドコーチとなります。

ボブ・ザプキは、イリノイ大で29年間指揮を執り、BIG TENリーグ優勝7回、全米王座2回という黄金時代を築きました。Iフォーメーションの考案者であり、ハドルという概念を初めて取り入れたのもザプキでした。革新的なアイデアをどんどん取り入れる一方で、ウィットのある発言をする人物であり、選手に常に「勉学とスポーツの両立」を求めるコーチとしても知られていました。ザプキの在任中に、イリノイ大が球場に集める観客数は5000人から60000人に増えたと言われています。

1920年、41歳の時のボブ・ザプキ  出典:Wikipedia

 

ところが7回もリーグ優勝しているのに、ザプキの就任期間中、イリノイ大は一度もローズボウルに出場していません。そのことに関する記述が見当たりませんが、おそらく「勉学を優先するため、ローズボウルへの出場は辞退した」ものと思われます。当時イリノイ州からカリフォルニア州に遠征するには、片道3~5日かけて汽車で行かなければならず、「勉強できない期間」をボブ・ザプキが嫌ったようです。

結局、イリノイ大がローズボウルに初出場するのは、部創設から55年後(ザプキの引退後)の1946年まで待たねばなりませんでした。

1963年に3回目のローズボウル勝利を果たしたのち、イリノイ大学は暗黒の時代に突入しました。

1968~70年の4勝26敗、1996~98年の5勝28敗など、往年の強豪ぶりからは信じられないような低迷を経て、2002年から2023年(22年間)という長い長い絶不調時代に入ります。22年間で96勝168敗、勝率.363。勝ち越しは4回だけという無残な姿を晒しました。
<ただし、暗黒時代に突入する少し前、イリノイ大はレイ・ニティキ(パッカーズ)、ディック・バトカス(ベアーズ)という、NFLの歴史に名を刻む二人の名LBを輩出しています。>

ところが昨年、イリノイ大はミシガン大戦勝利を含む、10勝3敗という好成績を突然挙げ、ファン達は歓喜・熱狂しました。シーズン10勝を挙げたのは23年ぶりのことでした。これに勢いを得て、今年もプレシーズンランキングで12位に挙げられ、今3連勝中でランク9位まで這い上がってきたのです

2024年、23年ぶりの躍進をとげたイリノイ大学

 

今年の開幕戦で、イリノイ大がウエスタンイリノイ大を完膚なきまで粉砕した試合をYou Tube画像でご覧ください。(3分)
Western Illinois at Illinois | Highlights | Big Ten Football | 08/29/2025

2回目の全米王座に着いたのが1927年ですから、イリノイ大学は今年「98年ぶり3回目の全米王座奪回を虎視眈々と狙っている」と言えます。

慶應ユニコーンズが最後に学生王座に着いたのが1949年であり、慶應は「76年ぶり3回目の学生王座奪回を目指している」ことになります。イリノイ大学躍進の様子を見ていると、慶應とイメージがダブってしまい、私はどうしてもイリノイ大学を応援したくなるのです。

群雄割拠のBIG TENリーグに所属するイリノイ大は、今後のスケジュールにUSC、オハイオ州立大など超強豪との対戦が控えており、12校での大学選手権に出れば更なる強敵と対戦するわけですから、王座復活への確率は、正直に言って極めて低いでしょう。それでもイリノイ大には、何としても勝ち進んで涙の王座復活を遂げてもらいたいと心から願っています。

頑張れ、イリノイ大学!!!

 

最後に伝説の名コーチ、ボブ・ザプキの名言と迷言をいくつかご紹介します。

<名言>

「才能によって勝ち取った試合よりも、

闘志によって勝ち取った試合のほうが、ずっと多い。」

「チームが持つ闘志は、個人が持つ能力よりも

常に重要である。」

 

「フットボールは野蛮なスポーツだ。

でも、もし君が野蛮なだけの人間ならば

君はフットボールをやるべきではない。」

   ボブ・ザプキ(イリノイ大コーチ) 全米王座2回獲得

   1913-1941年在籍 通算131勝81敗12分 勝率.612

 

<迷言>

「フットボールコーチはしばしば、無責任なマスコミによって

責任をとらされることになる。」

 

「トイメンに、どんなに大きくて強い奴が来ても、少しも気にすることはない。

ただし、それはトイメンが『人間』であればの話だが。」

 

「OB会から、我がチームがたくさんの支援を受けられるのは、

チームが全勝を続けている時に限られる。」

   ボブ・ザプキ

 


「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
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