「限られた時間の中で」MGR松井俊

 

はじめまして。今年度6月より、TEからMGRになった4年の松井俊と申します。

選手からマネージャーへと環境を変えて迎えた最後の秋シーズン。日々新たな発見があり、4年目ながら新鮮な気持ちで部活動に臨むことができています。 今回は、私の部活動への考え方、コンバートに至った経緯、そしてそれから学んだことをお伝えできればと思います。

 

慶應義塾體育會、この組織には4年間しかいることができません。たとえ何回留年したとしても、部に在籍できるのは4年間だけです。各部員は、この限られた時間の中で、チームの日本一に一番貢献できる選択をし続けなければならない。これが私の部活動への考え方です。この考えが、コンバートに至った大きな要因となりました。

 

2016年4月、私は練習中に骨折をしました。全治2か月。アメフトの怪我としては比較的軽いものですが、この怪我によって春シーズンへの出場が不可能となりました。これまで、試合に出場できるかどうかの当落線上にいた私にとって、春シーズンでのアピールが出来なくなることは死活問題であり、この時、自分の部でのあり方を真剣に考え始めました。部にいられる期間はもう1年もない。自分の実力はどうだ。怪我から復帰したあと活躍するためには今何ができるんだ。チームの状況はどうだ。そもそも、選手でいることがベストな選択なのか・・・。様々に考えた末の結論は、選手として夏合宿で最高のアピールをし、秋シーズン活躍する、というものでした。これを実現するためにリハビリに励み、2か月が経ちました。

 

2016年6月2日、復帰2日目の練習で私は再び骨折をしました。全治3か月。夏合宿への参加も不可能となりました。辛かった。苦しかった。信じられなかった。4月に悩みに悩んだ末に立てていた目標は、わずか2日で崩れ去ってしまいました。しかし、悲しみ続けるわけにもいきません。残りはいよいよあと半年。1日たりとも無駄にはできない状況です。私はまた、部でのあり方を考えることになりました。自分の実力、チームの問題、いま自分ができること・・・・。行き着いた結論は、「マネージャーとしてつなぎ役になること」でした。マネージャーと選手、コーチ、他スタッフ、そしてマネージャー間。これらのつなぎ役となることが、今の自分が部の日本一に一番貢献できることだと考えました。そして自分のこの考えを信じ、私はマネージャーとなることを決断しました。長々と語ってしまいましたが、これがコンバートに至った経緯です。

 

マネージャーになってから約3か月が経過しました。あくまで裏方、あくまでつなぎ役なので、形として表れる成果などはありませんが、自分の些細な取り組みでチームのみんなの笑顔が見られると幸せな気持ちになります。あの時決断をすることができて本当に良かったと心から思えます。 4年間の部活生活が順風満帆にいく人は少ないでしょう。自分が苦境に立たされたとき、どうすればいいのかわからなくなったとき、そういう時こそ部での自分のあり方を考えてみるべきではないでしょうか。4年間。限られた期間です。終わりは決まってしまっているのです。その中でいかに日本一に貢献するか、自分の力を発揮するか。自ら考え、決断することで、個人としてもチームとしても強くなれるのではないでしょうか。

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1 Comment

  1. チームの皆さんのセカンドエフォートの総和は計りしれません。それぞれの役割で勝利に貢献していきましょう。

    当方も試合会場にてSTATSボードを開設し、応援に来られている皆様が、より楽しく、より奥深く応援して頂けるよう、ちょっとした演出をしておりますので、お節介ながらスポッターの方々も、参考になるようでしたら是非ともご覧下さい。

    甲子園、期待してます!

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