【清水利彦コラム】スーパーボウルを終えて 2022.02.24

清水利彦(S52卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com

まず皆様にお詫びを申し上げねばなりません。

前号コラムで、「会社をサボらずに、スーパーボウルは録画して観てください」などと、トロい事を述べていましたが、今年のスーパーボウルは地上波でもBSでも、TVでのライブ放送はありませんでした。私自身この事を何も知らず、前日になって録画予約しようとして大慌てしました。本来ならば、私が「皆さん、今年はTVでの生放送はありません。視聴する方法としては、、、、、、」などとお知らせする立場なのに、本当に申し訳ありませんでした。昔のことだけは色々知っていますが、今の情報については極めて浅学です。何卒ご容赦ください。

スーパーボウルの試合結果

ロサンゼルス・ラムズ 23-20 シンシナチ・ベンガルズ

ベンガルズ創設54年目の初優勝は成りませんでしたね。シンシナチに住む老フットボール・ファンの中に、「ああ、やっぱり俺はベンガルズの優勝を一度も観ることなしに死んでいくのか」と感じた方が何人も居られるだろうな、と考えるだけで胸がつぶれそうです。

試合内容は、私より皆さんの方がずっと詳しいと思いますので、補足事項のみ述べさせていただきます。

 

1.ラムズの優勝は4回目ですよ!

今年の新聞も「ラムズは22季ぶり2回目の優勝」と書いているのでガッカリしました。

正しくは「22季ぶり4回目の優勝」もしくは「ラムズは2回目のスーパーボウル優勝(他にNFL選手権優勝2回あり)」と書くべき、というのが筆者の主張です。NFLのチャンピオンを決める試合に対し、あとから誰かが「スーパーボウル」という名称を付けたのです。それ以前(1933-1965)にはNFL選手権という名称の試合をやって正式にチャンピオンを決めているのに、「スーパーボウル発足以前の優勝は無かったことにする」というのはあまりにひどいと思っています。

何かの理由で甲子園球場が取り壊され、「甲子園ボウル」が別の名称・別の会場に変更されるとします。そうしたら甲子園ボウル歴代優勝校の実績はすべて「無かったことにする」というのと同じで、全くおかしなことだと考えるのです。

2.ラムズ創成期の貴重な写真がありました

ラムズが最初のNFL選手権優勝を果たした年の写真を偶然発見しましたので、ご紹介します。

1945年、NFL選手権に初出場し初優勝したクリーブランド・ラムズのサイドライン風景 
出典:“Best Shot” by D.K. Publishing

ラムズは1937年にクリーブランドで創設されましたが、当初は弱小チームで7年間一度も勝ち越すことが出来ませんでした。(1943年は第二次世界大戦勃発により、多くの選手が徴兵に取られたため部活動休止)ところが8年目の1945年、突然9勝1敗と強くなり西地区で初の首位となります。そして同年12月16日、東地区1位のワシントン・レッドスキンズとNFL選手権で対戦し、15-14で勝利して初優勝を遂げました。その日の記念すべき写真です。

スタンドがガラガラですが、選手権試合当日のクリーブランドは極寒の天候となったため、観客がほとんど試合場に来なかったものと推察します。選手たちはこのように藁を積んで足元を囲み、必死に身体を温めています。この時代はコーチ達がくわえ煙草やパイプ姿でサイドラインに立つことも有ったのですが、藁に火が付いたら選手たちが「かちかち山のタヌキ」状態になりますね。(意味をご存じない方は、Wikipediaで「かちかち山」を検索してください)

クリーブランドで優勝を果たしたにもかかわらず、ラムズは翌1946年、ロサンゼルスに移転します。あらゆるプロスポーツで、東海岸から西海岸まで広域にチームを持ったのはこの時のNFLが初めてでした。大リーグ野球では、ずっと後の1958年にブルックリン・ドジャースがロサンゼルスに移転、同年ニューヨーク・ジャイアンツがサンフランシスコに移転して、初めて西海岸進出を果たしています。

(49ersは1946年、サンフランシスコで新興リーグAAFCの一員として新設されている)

優勝したチームが翌年本拠地を移転した、というのはNFLの歴史の中でこの時ラムズの一回だけです。

あまりにも寒い環境から、温暖なカリフォルニア州に移転するのは、おそらく選手たちにとって嬉しい話だったのだろうと想像します。

 

3.40歳のオフェンスタックル

英語版実況中継を聴いていて、ラムズに40歳のオフェンスタックル(OT)が居ることを初めて知ってたいそう感激しました。そのOTアンドリュー・ホイットワースについて調べてみたところ、凄い人物であることがわかりました。

ラムズOTアンドリュー・ホイットワース 出典:Wikipedia

<アンドリュー・ホイットワース> 1981年12月生まれ、40歳

通算出場試合数239。そのうち235試合に先発出場。オールプロ選出2回。プロボウル出場4回。

NFL史上最高齢のOT。スーパーボウルで優勝したOLとしても史上最年長。

201cm、150kgの巨漢。ルイジアナ州立大にてOLとして一年生からスタメン出場。オールSECリーグ2回選出。2006年、シンシナチ・ベンガルズからドラフト第2巡で指名される。

2016年まで11シーズン、ベンガルズで活躍。32歳にして初めて左OTにコンバートされる。2017年にラムズに移り、本年度ラムズ5年目(通算16年目)にして、スーパーボウル2回目の出場でついにチャンピオンチームの一員となった。

本年度のウォルター・ペイトンNFL Man of the Year賞を受賞している。

ウォルター・ペイトンNFL Man of the Year賞
フィールドでの活躍の他に、チャリティー・社会奉仕活動など社会的貢献を果たした選手を、一年に一人だけ表彰する。受賞者は25万ドル(約2800万円)を「自らが定める対象に、チャリティーとして使用する権利」が与えられる。この賞にはシンボルマークがあり、受賞者は引退するまで、シンボルマークを自分のユニフォームに縫い付けてプレーする権利が与えられる。元はNFL Man of the Year賞という名称だったが、優秀なRBである以上に高潔な人間性を評価されたウォルター・ペイトン(ベアーズ)が1977年に受賞し、1999年に45歳で早逝したため、彼の名前が冠された。

2017年、左胸にNFL Man of the Yearのシンボルマークを縫い付けてプレーする、カージナルスWRラリー・フィッツジェラルド 出典:Wikipedia

NFLで40歳を超えてプレーした選手はたくさん居ますが、その多くはキッカー、パンター、そして一部のQBであり、オフェンスラインマンとして40歳は驚異的な長寿選手と言えるでしょう。ホイットワース選手にとって、4歳年下のマクベイ・ヘッドコーチのもとで働き、NFL16年目にしてスーパーボウル・リングを勝ち取ったことになります。

英語版Wikipediaで「Walter Payton NFL Man of the Year」と検索しますと、過去の受賞者一覧表が出てきます。ため息の出るような珠玉の名選手たちの名前がずらりと並んでいますので、是非ご覧ください。スーパーボウルMVP受賞者リストよりも、こちらのリストの方に、より価値があるのではないかとさえ思います。

 

4.うらやましい限りの SoFi Stadium

今年のスーパーボウルは、ロサンゼルスの新しいSoFi Stadium (ソーファイ・スタジアム)で開催されました。一年前はタンパでのスーパーボウルにバッカニアーズが優勝しましたので、2年続けてスーパーボウルで地元を本拠地とするチームが勝利したことになります。

この球場はまさに落成間近の時、コロナ禍に見舞われ、完成スケジュールが大きくぶれましたが、今年スーパーボウル開催年に間に合い、見事ラムズが優勝してロサンゼルス市民は大喜びしたことでしょう。

Social Financeという金融会社がネーミングライツを獲得したのでこの名前がつきました。2028年ロサンゼルスオリンピック大会の開会式・閉会式会場となることも決まっています。総工費50億ドル(約5800億円)と言われています。

SoFi Stadium 出典:USA Today.com

この写真は、ゴールポストの後方という本来一番観づらい席から撮影されていますが、このビューならば誰も文句は言わないでしょう。どの席からでもフットボールが臨場感いっぱいで楽しめて、本当にうらやましいです。フィールドの上に楕円形の帯状ビジョンボードがぶら下がっていますが、これが帯の表側・裏側ともに映像が映し出されるようになっており、スタジアムのどの席からも迫力のビジョンが目の前で楽しめるというスグレモノです。

このスタジアムの様子をもっと良く見たい方は、You Tubeにて、“Inside the $5 Billion SoFi Stadium” (5分)や”5 Best Stadiums in the NFL” (7分)などをご覧ください。

 

5.クイズ「5つの間違い探し」

本邦初のトライアル!!Unicorns Netコラムで初めてクイズを出題します。

下の写真は前号コラムで披露した「1954年のロサンゼルス・ラムズ」ですが、この中に5つの間違いがありますので見つけて下さい。正確に言うと「間違い」ではなく、「当時は確かに存在したが、今では絶対に見ることのできない光景」が5つあります。貴方はいくつ見つけられますか?

1954年のロサンゼルス・ラムズ 出典:Sports Illustrated “The Football Book”

①ガラガラのスタジアム観客席 今はNFLのチケットが大量に売れ残ることなど考えられませんが、当時は「5万人収容できるスタジアムに観客は2万人未満」などということもザラにありました。1967年1月に開催された第1回スーパーボウル(パッカーズ35-10チーフス)でさえ、93600名収容できるロサンゼルス・コロシアムに入場したのは61946名だけでした。エンドゾーン後方にかなり空席の目立つ画像が残されています。

②プラスチック製の透明フェイスガード 選手の視界を遮らないフェイスガードとして、当時は画期的だったのでしょうが、割れたりヒビが入ったりで具合が悪いシロモノだったのでしょう。いつの間にか消滅しています。筆者も実物を見たことはありません。それに肝腎な鼻の防御が全然出来ていませんね。昔はQBの前歯が折れたり、鼻を骨折したりと、QB受難の時代でした。

③ブーツタイプのスパイクシューズ 当時は雨が降ると泥田と化したフィールドで試合するのが当たり前でした。くるぶしを守り、泥が入るのを防ぐ長靴タイプのスパイクシューズが愛用されていましたが、QBまでがブーツではさぞかし走りにくかったと思います。靴ひもを結ぶだけでもかなり時間がかかりそうです。

④長袖のユニフォーム 半袖ジャージの下に長袖のアンダーシャツを着る人は今でもたくさん居ますが、ユニフォームが長袖というのは驚きでしょうね。当時のユニフォームは雨天では水を吸収してすごく重くなったはずで、パスが投げにくかったと思います。筆者が慶應高部員だった頃の写真を確認しますと、我々も七分袖のような肘が隠れる長さのユニフォームで試合していたことがわかりました!大学で入部すると半袖ジャージに変わっていますので、我々の代(1977年大学卒)が七分袖を着てプレーした最後の代なのかもしれません。年長OBの皆様には「フル長袖」でプレーした経験をお持ちの方が多いのではないでしょうか?

⑤フィールドの片隅でピクニックをしているように見えるオバサン達 おばさんか、若い女性かはわかりませんが、この人たちは一体何をやっているんだ??? リラックスした様子で、くつろいでおり、プレーには全く興味が無いように見えます。こんなところに座り込んでいては、サイドライン際の攻防のとき危険ですよね。はじめは「休憩中のチアガール」なのかと思いましたが、調べてみますとダラス・カウボーイズの歴史の中に「1967年に、当時のGMテックス・シュラム氏の発案により、カレッジ同様のチアリーダー部が初めて結成された」とありますので、1954年にはNFLにチアガールは居なかったはずです。彼女らは誰なのか?が、この写真における最大の謎と言えるでしょう。「たぶん、こうなんじゃないか?」というご意見のある方、連絡をお待ちしています。

1972年慶應高vs関学高定期戦(於駒沢第二球技場) 左・成田雅昭さん、右・#21小布施均さん(ともに故人)が七分袖のユニフォームを着用している 写真撮影:S52井上知行さん

スーパーボウルが終わり、フットボールシーズンが終了してしまいました。これからしばらくの間、私達は何を楽しみに生きてゆけば良いのでしょうか?

今年は、春の早慶戦や、秋のリーグ戦など、全てのユニコーンズ・ファミリーの試合が、支障なくスケジュール通りにおこなわれることを、心から祈っております!

 

「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
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