【清水利彦コラム】連載企画「フットボールの歴史を彩る一枚の写真」第4回:プロフットボール、最古の写真〜NFL初代王者 カントン・ブルドックス〜 2022.11.10

清水 利彦(S52年卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com

<全米カレッジフットボール速報>

強豪校同士が激突する秋が次第に深まってきました。(カッコ内は試合前のランキング)

ジョージア大(1) 27-13 テネシー大(2)

ノートルダム大 35-14 クレムソン大(4)

ルイジアナ州立大(10) 32-31 アラバマ大(6)

ルイジアナ州立大vsアラバマ大はタイブレークとなって、表裏、両校ともタッチダウン。表のアラバマ大がキックで1点を取ったのに対し、裏のルイジアナ州立大は2ポイントコンバージョンを強行。これを成功させて劇的な勝利となりました。

アラバマ大は7勝2敗となり、全米王座の望みがほぼ断たれたと言ってもいいでしょう。ただ、「勝って当たり前で、負けると大ニュースとなる」チームとして長年あり続けているのは本当に凄いことだと思います。

<プロフットボール最古の写真>

皆さんはプロフットボール殿堂(Pro Football Hall of Fame)がどこにあるかご存じですか?

殿堂はオハイオ州カントン市(Canton, Ohio)にあります。カントンは人口7万人ほどの田舎町で、エリー湖のほとりにあるクリーブランドから南へ80kmほど。ピッツバーグから西へ100kmほどに位置します。なぜこんな田舎に殿堂が建てられたかと言いますと、「地元チーム、カントン・ブルドッグスが、1922年にNFLと新たに名付けられ創設されたプロリーグで初代王座に輝いた」からです。ちょうど100年前のことですね。

ブルドッグスは残念ながら20年程で消滅してしまうのですが、のちにカントン市は「NFL発祥の地とも言うべきこの町を、プロフットボールの聖地のような存在にしたい」と考え、NFLに対して「土地を寄付するので、この地に殿堂を作ってはどうか」と提案しました。NFLはこれを喜んで受け入れ、1963年にプロフットボール殿堂が誕生しました。

カントンのプロフットボール殿堂、航空写真 スタジアム右下の円形の建物が殿堂展示室 出典:Wikipedia

殿堂には専用スタジアムが併設され、オハイオ州高校選手権なども開催されたとのこと。展示場と球場を併設するコンセプトは野球の大リーグ殿堂(ニューヨーク州クーパースタウン)も同じです。

実は、私はクーパースタウンの大リーグ野球殿堂を訪れたことがある珍しい人間です。クーパースタウンはNYマンハッタンから230kmも離れた人口1万人未満の超田舎町です。NYからバスで行ったのでほとほと疲れ果てましたが、湖のほとりの美しい町でした。

クーパースタウンの殿堂に併設された野球場は小ぶりですが、緑の天然芝が鮮やかで、まさに「フィールド・オブ・ドリームス」でした。常にどこかのチームがここで試合(見学無料)をおこなっているようで、私が行った時には子供(たぶん中学生くらい)が試合をしていました。審判員・スコアボード・場内アナウンス・ホットドッグの売り子など、プロ野球と全く同じ本格的環境の中で子供が試合をできるのです。2千人ほどの観客(殿堂見学客がほとんど)で満員となる中、子供たちのプレーに大人がやんやの喝さいを送っており、試合する方も、観る方も幸せ一杯で、「ベースボールの理想郷」そのものでした。

カントンの殿堂を訪れるのも、私の生涯の夢のひとつです。もしカントンのプロフットボール殿堂を訪れたことがある方がおられましたら、是非ご一報ください。

1905年、創設二年目のカントン・ブルドックス  出典:The Football Book, Sports Illustrated

これが私の所蔵するプロフットボール最古の写真です。NFL創設が1922年ですから、厳密に言うと、「プロフットボールが創設される前の、原始的なセミプロ組織であった時代の写真」です。

カントン・ブルドックスは、1904年にCanton Athletic Clubの名称で発足しました。当時はフットボールで金を稼ごうなどという意図は全く無く、「フットボールが好きで、自分もプレーしてみたい」人達のためのクラブチームでした。「ぶつかり合いが大好きな、荒くれ者の集団」というイメージです。

以前紹介したエール大選手達の写真と比べて、統一感・規律感に劣っている事を感じ取っていただけますでしょうか?

クラブチームが各地に出来ていったため、それらを組織としてまとめてリーグ戦をおこない、出来ればお金をとって見せたい、という考えが生まれました。そこで1920年にAPFA(American Pro Football Association)が発足し、14チームが参加しました。この中にブルドッグスの他に、デケイター・ステーリーズ(のちのシカゴ・ベアーズ)、シカゴ(現アリゾナ)・カージナルスが含まれています。翌1921年には一気に21チームに増えて、グリーンベイ・パッカーズも初参加しています。

1921年のグリーンベイ・パッカーズ

ピンボケで申し訳ありませんが、グリーンベイ・パッカーズ創設期の写真です。背景に見えるスタンドは、アミノバイタルフィールドよりも小さいですね。

1920年に創設された21チームの中には「2試合だけやって、負けたのでそのまま脱退した」ようなチームも現れました。全く組織として体を成していないチームが多かったのです。そこでリーグを再編成して、運営のうまくいっている強いチームだけでやりなおそうと、2年後にNational Football League(NFL)が結成されたわけです。

18チームでおこなわれたNFL初年度(1922年)はカントン・ブルドックスが10勝2分で優勝し、翌年も連覇しました。当時の模様をわずか2分間ですが下記You Tube画像で見ることができます。

(363) 2 分間のプロ フットボールの歴史: カントン ブルドッグス – YouTube

NFLは1926年に22チームになりましたが、逆に翌1927年12チーム、1928年10チームと一気に減っていきます。10チームの中で、今も残るのはベアーズ、カージナルス、パッカーズ、NYジャイアンツの4球団だけです。1930年にポーツマス・スパルタンズが11番目として発足し、のちにデトロイト・ライオンズとなります。チーム数が減ることにより、弱いチームが消えて各チームの戦力レベルが上がっていったと言えましょう。そして人気も次第に上がっていきます。

皆様に是非知っていただきたいのは、「カレッジフットボールとプロフットボールの成り立ちの違い」です。

カレッジにおいては当時、名門一流大学だけにフットボール部があり、「フットボール選手達は皆、文武両道のエリート学生」であり、「母校の名誉と誇りをかけて真剣勝負をおこなっていた」わけです。例えばバム・マクラングは1891年にエール大を卒業した優秀な選手でしたが、のちに米国財務長官に就任しています。1912年アーミー(陸軍士官学校)の俊足バックスであったドワイト・アイゼンハワーは第34代アメリカ合衆国大統領になりました。

要するに当時の大卒フットボール選手達は、一般庶民とは全く異なるキャリアパスを持ち、エリート人生を歩むことを約束されていたのです。

エール大卒業後、財務長官となったバム・マクラング この写真も背景は絵画で、スタジオで撮影されたものと思います。 出典:Wikipedia

それに対し、プロフットボールは「街の荒くれ者、ならず者達が賞金稼ぎのためにやる見せ物のようなもの」と考える人が大半でした。大卒選手がプロ入りするようになったのは1930~40年代からで、それまでは大学を出ているプロ選手はほとんど居ませんでした。

プロとカレッジでは、知的レベルや品格が全く違っていたわけです。

この差が、両者の人気の差となりました。カレッジの人気カードにはいつも6万、7万の大観衆が集まるのに対し、NFLの試合は5万人収容できる野球場で2万人未満の観客でおこなう、というようなことが頻繁に起こっていました。

カレッジとプロの差を一気に縮めたのが、既にコラムで紹介した二つの出来事でした。

一つ目が、「2022年5月19日付コラム NFL史上最も偉大な試合(The Greatest Game Ever Played)」です。1958年初めて全米TV中継されたNFL選手権試合が、QBジョニー・ユナイタス等によって後世に語り継がれる名勝負となったため、多くの人たちが「プロフットボールって、こんなに面白いのか!」と知りました。また「プロフットボールは儲かる」ことが証明されたのもこの試合からでした。まだお読みでない方は是非下記の三田会コラム・アーカイブ・サイトからご覧ください。

三田会コラム | アメリカンフットボール三田会 (keio-unicorns.com)

二つ目は、1964年「流血のクォーターバック、Y.A.Tittle」の写真が世に出たことでした。この写真により、プロフットボールは「見せ物」などではなく、「超一流の選手達による身体を張った真剣勝負」と認識されました。

こちらは上記のサイトで「2022年7月15日コラム Y.A.ティトル NFLのイメージを変えた一枚の写真」をご覧ください。

こうしてプロフットボールがカレッジの人気に追いつく形で繫栄し、今では両者ともに隆盛しています。残念ながら日本では、アメリカンフットボールを始めて90年近く経つのに、いまだマイナースポーツの域を出ません。私は、サッカー・ラグビー・野球・バスケットボール・バレーボール等のどのスポーツよりも、アメリカンフットボールが「観て面白いスポーツ」だと確信しています。

ユニコーンズを応援する方々、是非試合場に足を運んでください。まずはアミノバイタルフィールド(収容3000人)を満員札止めにすることから始めましょう!

<追記>

高校関東大会で慶應高校が駒場学園に14-7で勝ちましたね!!更なる活躍に期待しています!

この試合は下高井戸の日大グラウンドにておこなわれました。この試合の画像を送ってもらって強く感じたことを報告します。実は高校ではなく、大学の話です。

日大グラウンドの脇に建っている部室の壁に、「慶應大学戦まで、あと7日」と書かれた大きな紙が貼ってあるのに気が付きました。日数のところを貼りかえられるようになっており、日大の選手たちが毎日カウントダウンしながら慶應戦に備えている様子が良くわかりました。「昔の日大ならば、こんな貼り紙などしなかっただろうな」とも感じました。

慶應はもちろん必死ですが、日大も必死なのです。

日大が慶應戦、立教戦と続けて劇的な逆転負けを食らい、慶應と日大のいずれかがBig8に自動降格する可能性があります。こんなに切羽詰まった崖っぷちの状況で慶應と日大が対戦するのは、両部の歴史でお互い初めてのことと確信します。(日大は慶應に負けると二次リーグ2勝1敗でも、3位扱いとなり自動降格する可能性があります)おそらく日大は一次リーグの時とは全く異なり、目の色を変えてカッカした状態で、慶應に牙をむき立ち向かって来るでしょう。

慶應の部員諸君はそのことを十分承知の上で、冷静に、そして賢く日大と対戦してほしいと願います。こちらもカッカして、無理して強引なプレーをしたり、反則を繰り返したりするのは得策ではありません。おそらく「無理をせず、冷静にじっと耐えて、我慢する」という状況が必要な試合になるだろうと思っています。

そして日大に堂々と勝利し、我が部の歴史で初めて、「日大に年2回勝った代」として名を残してもらいたいと心から願う次第です。

 

「清水利彦のアメフト名言・迷言集」

https://footballquotes.fc2.net/

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