清水 利彦(S52年卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com
今回は、私が所蔵するノートルダム大の古い写真から、興味深い一枚をご紹介します。球技場内でフィールドを撮影するのではなく、スタジアムを遠くから撮影するという、珍しいアングルになっています。
ノートルダム大は1899年に創部されていますが、当初から強豪であり勝ち続けました。最初に負け越したのは1933年で、二回目が1956年。つまり創部以来の58年間で2回しか負け越しがなかったのです。しかもその58年間に全勝(引分けのあった年を含む)したシーズンが12回あります。
1918年に弱冠30歳でヘッドコーチとなったヌート・ロックニは、13シーズンに渡ってチームを率いて、106勝12敗5分という驚異的な戦績を残し、4回全米王座を獲得しています。
1931年に43歳の若さで小型飛行機墜落事故のため、人気絶頂のままこの世を去ったことが、ヌート・ロックニを神格化させ、彼は伝説の名将となりました。
この写真(1920年、地元サウスベンドでのパデュー戦)は彼の就任3年目にあたります。2年目の1919年が9勝0敗で、ノートルダム大が初の全米王座に輝いていますので、まさに熱狂的な地元ファンの声援に迎えられて試合に臨んだことでしょう。
翌1920年もノートルダム大学は9勝0敗でしたが、何故かこの年は全米チャンピオンとして認められていません。プリンストン大学(6勝1分)とカリフォルニア大学(9勝0敗、ローズボウル覇者)が王者とされています。複数の機関が独自の基準・判断で全米王者を決めていた時代でした。
上の写真の試合場はカルティエ・フィールドという名称で、現在の大学構内の陸上競技場の地にありました。現在のノートルダム・スタジアムは1930年にヌート・ロックニによって建てられていますので、この時はまだ存在しません。
当日の観客数は12000人と記録に残されていますが、写真を見る限りぎっしり満員で、立ち見客が大勢居る様子がわかります。重量オーバーでスタンドが崩壊するのではないかと心配する程の混雑ぶりでした。実はこの時が地元開催で初めて一万人を超える観客を集めた試合だったのです。(それまでノートルダムの重要な試合は、シカゴの野球場などでおこなっていた)シーズン終了後に観客席が拡張され、この年以来、ノートルダム大学の試合で観客が一万人を割ることはなくなってゆくのです。
この試合を契機にフットボールファンが爆発的に増えて、ノートルダム大学が超人気チームに昇りつめていく、ちょうど過渡期であったことがよくわかります。
上の写真のもう一つの興味は、無造作に並べられた自動車が映っていることです。まだ「駐車場」という概念が確立されておらず、クルマで乗り付けた人たちが勝手にあちらこちらに駐車している様子がうかがえます。試合が終わった後、クルマがごちゃごちゃで大混乱だったでしょうね。当時サウスベンドでは、まださほど自動車の普及率が高くなく、駐車場の配慮がされていなかったのではと想像します。
もう一枚の写真と見比べてください。こちらは1924年度(1925年1月)ノートルダム大学が初めてローズボウルに出場した時(ノートルダム27-10スタンフォード)の、ローズボウル周辺の駐車場の様子です。
2枚の写真は時期がたった4年しか離れていませんが、毎年ものすごい勢いで自動車が普及していった様子がわかります。どうやったらこんなにビッシリと並べて駐車できるのでしょうね。笑
人気チーム、ノートルダム大学の出場で1925年ローズボウルの観衆は53000人と、初めて5万を超えましたが、これがフットボール史上初の観客5万人超えでした。
さて、駐車場にみられる当時のクルマの多くは「T型フォード」と呼ばれるフォード社の製品でした。
「T型フォード(Ford Model T)」は、フットボールのTフォーメーションとは異なり、クルマの形がTだったわけではありません。ヘンリー・フォードがこの世に産み出した自動車が最初のA型に始まり、N型、S型などを経て、T型の時に爆発的な売り上げを記録し、1908年から1927年にかけては、ほとんどT型のみを作り続けたのです。当時全米で生産される自動車のうち半数以上がT型フォードであったと言われています。
累計で1500万台を売るベストセラーとなり、1972年にフォルクスワーゲンの「ビートル」(2100万台)に抜かれるまで、世界一の同一車種販売台数を誇っていました。
T型フォードが売れた理由は次の通りです。
- 非常に価格の安い大衆車でありながら、十分な実用性を備えた完成度の高いクルマだった。
- ベルトコンベアによる流れ作業など、近代化された大量生産手法により、徹底的に生産効率の向上、ひいてはコストダウンを追求し、それを売価に反映させた。
他社のクルマがいずれも1000ドル以上していた時代に、最初(1908年)850ドルで売り出され、しかも毎年少しずつ価格を下げていって600ドル、500ドルとなり、1925年には290ドル(今の価値に換算すると50万円弱程度)まで下がったというのですから、爆発的に売れたのは当然です。
ただし生産効率を上げるために、長い期間「ボディカラーは黒一色」と定められていました。色が全部黒で、形もほぼ同じなのですから、スタジアムの巨大な駐車場で自分のクルマを見つけるのは大変だったでしょうね。
かつて「自動車は金持ちだけが乗れるもの」であったのを、「一般庶民も皆、自動車を所有できる」ように変えたのがT型フォードでした。
こうして見ていきますと、「カレッジフットボールの爆発的人気上昇」と「自動車の爆発的普及拡大」が、まさに同時進行していった様子がわかります。「クルマに乗って、フットボールを観に行く文化」がこの頃始まっていったのです。
下の写真は、1919年ノートルダム大学が初めて全米チャンピオンになった時の記念撮影です。左端のスーツ姿がヌート・ロックニ。選手が全部で19名映っていますが、これが当時の全部員だったのか、あるいは一軍選手だけで撮影されたのかは不明です。皆、いいツラ構えをしていますね。
5回続けたノートルダム大学シリーズはとりあえず今回で終了します。しばらくしたら、角度を変えた企画で、また紹介したいと考えています。
「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
https://footballquotes.fc2.net/
「今週の名言・迷言」を木曜日ごとに更新しています。
左下の「三田会コラム」という黒い小さなバーをクリックしていただくと、
これまでのコラムのアーカイブがご覧いただけます