【清水利彦コラム】ダレル・ロイヤルが現役部員に送った檄文 2020.3.27

清水利彦(S52年卒)

この文章が「今回挫折を味わい、屈辱にまみれたユニコーンズ現役部員たち」への励ましの言葉になるのではないかと思い掲載します。

「ダレル・ロイヤル・コーチが現役部員に送った檄文」

親愛なるテキサス大部員諸君へ

屈辱にまみれ、挫折を味わうこと自体は少しも恥ずべきことではない。
しかし、打ち負かされたまま立ち上がろうともせず、グラウンドに横たわっていることは恥ずべきことである。

君たちに、一人の偉人の敗北の歴史を紹介しよう。

1809年 ケンタッキー州の裕福な農家に生まれる
1816年(7歳)父親が訴訟に負けてすべての財産を失う
1818年(9歳)母親が毒草を食べた牛の乳を飲み、死去
1832年(23歳)失業し収入を失う
1832年(23歳)州議会議員に立候補するも落選
1833年(24歳)事業に失敗し財産を失う
1834年(25歳)州議会議員 当選
1835年(26歳)婚約者の死去
1836年(27歳)神経衰弱を患う
1838年(29歳)州議会議長に立候補するも落選
1843年(34歳)連邦下院議員に立候補するも落選
1846年(37歳)連邦下院議員に当選
1848年(39歳)連邦下院議員再選ならず、落選
1849年(40歳)国土庁調査官を志願するも拒否される
1854年(45歳)連邦上院議員に立候補するも、落選
1856年(47歳)副大統領指名投票に臨むも、敗退
1858年(49歳)連邦上院議員に再度立候補するも、落選
1860年(51歳)第16代アメリカ合衆国大統領に選出される
1865年(56歳)拳銃にて暗殺される

読んでいて途中で気が付いた者もいるだろう。
これはエイブラハム・リンカーン大統領の履歴である。
リンカーンは、民主主義の基礎を築き、奴隷を解放し、南北戦争で分断された国家を一つにまとめた偉人だが、同時に「いくつもの敗北・挫折を味わいながら、あきらめず乗り越えてきた人間」として知られているのだ。

諸君の中にも大きな挫折を経験した者がいる。
諸君が常に自問自答すべきことは、「屈辱にまみれた後、今、自分は何をしようとしているのか」ということだ。いたずらに不平を述べ、現状を情けなく思うだけなのか、それとも闘志を燃やして再び立ち向かっていくのか、ということなのだ。
一度も敗北にまみれずに偉大なプレーヤーになった人間などいない。
諸君にもう一度言う。
屈辱にまみれ、挫折を味わうこと自体は少しも恥ずべきことではない。
しかし、打ち負かされたまま立ち上がろうともせず、グラウンドに横たわっていることは恥ずべきことなのである。

ダレル・ロイヤル

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※ダレル・ロイヤル 1957-1975年 テキサス大コーチ
通算184勝60敗5分 勝率.749 全米王座獲得2回

※タッチダウン誌に掲載された記事を、清水が多少編集しています。46年前にこの檄文の存在を知らせて下さった、亡き後藤完夫先輩に感謝いたします。