【清水利彦コラム】デトロイト・ライオンズの歴史、及び、デトロイト市の歴史

2024/2/8
昭和52年(1977年)卒 清水利彦
shimizu.toshihiko2@gmail.com

デトロイト・ライオンズの歴史、及び、デトロイト市の歴史

<AFC決勝戦>チーフス 17-10 レイブンズ
<NFC決勝戦>49ers 34-31 ライオンズ

2月11日(日本時間12日)のスーパーボウルは、チーフスvs49ersという組み合わせになりました。
チーフスは2年連続4回目、49ersは29年ぶり6回目のスーパーボウル王座を狙います。

ライオンズは前半終了時点で24-7と49ersをリードしていましたので、「惜しかったなぁ」とあきらめきれないファンが多かったのではないでしょうか。私もこの試合、断然ライオンズを応援しており、勝つことを前提に「コラム デトロイト・ライオンズと、デトロイト市の歴史」の原稿を用意しておりました。

トホホですが、負けても原稿を没にすることなく、このまま掲載させていただきます。これを読んで、私がなぜライオンズを応援したのかご理解いただければ嬉しいです。

<デトロイト・ライオンズの歴史>

皆さんはデトロイト・ライオンズというチームに、どのようなイメージを持っておられますか?

「とにかく、すごく弱いチームじゃない?スーパーボウルに一度も出場したことがないんでしょ?」という感想をお持ちの方が一般的であり、現時点では私もそれが正しい感想だと思います。

1930年の創設以来、93年間で591勝707敗34分。勝率.455
1983-2022年の40年間で、250勝388敗1分。勝率.392 地区首位3回のみ

特に最悪だったのが2001~2010年の10年間で、39勝121敗、勝率.244。4試合して1つ勝てるかどうかというチームでした。2008年には地獄の0勝16敗を経験しています。

プレイオフでの勝利は1991年以降昨年まで32年間なし。32年間で8回だけプレイオフに進みましたが全てワイルドカード1回戦で負けています。近年はベテランQBマシュー・スタッフォードが孤軍奮闘しているチームでしたが、2021年にスタッフォードと、ラムズの新鋭QBジャレッド・ゴフを大型トレードで交換。その途端、スタッフォード率いるラムズがスーパーボウル優勝。ゴフが率いるライオンズは3勝13敗1分という明暗分かれる屈辱も味わいました。

1967年1月の第1回スーパーボウル(今年で58回目)開催時にNFLに所属していたチームで、まだ一度もスーパーボウルに出場していないのはデトロイト・ライオンズとクリーブランド・ブラウンズの2チームだけです。そのライオンズが今季は破竹の進撃を見せたので大騒ぎになっていたのです。

 

ライオンズ黄金期、強烈なタックラーとして恐れられたLBジョー・シュミット 出典:The Football Book, Sports Illustrated

スーパーボウル開始以前は、ライオンズは強豪チームの一つとしてNFLに君臨していました。

1930年(昭和5年)オハイオ州のポーツマス市(人口当時4万人の小都市)で、ポーツマス・スパルタンズとして設立されました。現存するNFLチームとしては5番目に古い(ベアーズ、パッカーズ、カージナルス、ジャイアンツに次ぐ)加盟でした。

1934年、経営危機に陥ったスパルタンズを、NBC Blue Networkというラジオ局(現在のABC放送)が8000ドル(!)で買収し、本拠地をデトロイト市に移します。ライオンズという名前の由来は、

  • 「NFLの王者になってほしい」という思いから「百獣の王ライオン」をイメージした。
  • デトロイト・タイガースという大リーグ野球チームがあるので、虎と一対となるライオンにした。

という二つの説がありますが、多分両方とも正しいのでしょう。

創設6年目の1935年、NFL選手権で初優勝。この年は野球のデトロイト・タイガースもワールドシリーズに勝っており、デトロイトがダブル優勝という歓喜に沸いた年でした。

ライオンズは1952、53、57年にもNFL選手権に勝ち、計4回NFLの王者になった、かつての強豪チームです。強かったライオンズの主力選手としては、ベテランQBボビー・レイン、強烈なタックラーとして恐れられたLBジョー・シュミット、清水のコラム(2022/9/30号)で既に紹介したDBナイトトレイン・レイン等が挙げられます。

1960年代後半からは全く勝てないチームになってしまいます。1989~1998年は、バリー・サンダースというスーパースターRBが在籍し走りまくったため戦績はやや上向きましたが、プレイオフの壁はなかなか破れませんでした。結局60年以上、勝てないチームであり続けたわけです。

バリー・サンダースの「試合中、彼一人だけコマを早送りして映っている」ような感動的な俊足とカットについては、下記のYou Tube画像(10分)でお楽しみください。

Barry Sanders Top 50 Most Ridiculous Plays of All-Time | NFL Highlights (youtube.com)

なんというボディバランスでしょう!1995年、ライオンズRBバリー・サンダース 出典:Best Shots, DK Publishing. Photo by Allen Kee

 

往年の強豪デトロイト・ライオンズは、1960年代以降、超長期にわたる不振・低迷に陥ったわけですが、その理由と背景を探るためには、まず「デトロイト市の歴史」を知らねばなりません。

(浅学にて書いていますので、もし記載内容に誤りがありましたら遠慮なくご指摘ください)

<デトロイト市の歴史、その繁栄と没落>

1701年、まだアメリカが、先住民がわずかに居るだけの一面荒野であった時代です。フランス人の開拓者キャディラック氏が現在のデトロイト市のあたりに足を踏み入れ、集落を作り「ここをフランス領地とする」と宣言しました。この地を「デ・トロイト」(仏語で「海と海の間の狭い場所」の意味)と命名したのは、ここが五大湖のヒューロン湖とエリー湖を結ぶデトロイト川のほとりという、船の物流拠点の要所であったためです。キャディラック氏の名前は後年自動車の高級ブランド名として残されています。

その後、英仏米の間で、長く激しい土地の奪い合いがあり、1813年からはアメリカ合衆国の一部となり、デトロイトはミシガン州の州都と制定されました。のちにアメリカとカナダを結ぶ、船による輸送の拠点として繁栄してゆきます。

1903年にヘンリー・フォード氏がデトロイト市内に「フォード・モーター」を設立。その後GM(General Motors)、クライスラーとともに「米国自動車製造の三強」を市内で築き上げ、デトロイトは世界の自動車産業の中心として急速に発展してゆきます。デトロイトの人口は1920年に99万人となり、ニューヨーク、シカゴ、フィラデルフィアに次いで、全米で4番目の大都市になりました。

1950年にはデトロイトの人口が185万人まで膨れ上がり、ちょうどこの頃NFLライオンズが黄金期を迎えたわけです。

この写真が1910年頃(明治43年)のデトロイト市内であることを信じていただけるでしょうか?世界中の都市の中でもトップクラスの近代的な街並みでした。まだ第一次世界大戦(1914-18)の前のことです。 出典:Wikipedia

このまま永遠に繁栄を続けるように見えたデトロイトの産業でしたが、1960年代になって翳りが見えてきます。この街を支配しているのは裕福な白人であり、一方、自動車工場等で低賃金にて酷使されているのは黒人や外国からの移民たちでした。特に黒人層の不満が強く、各所で暴動騒ぎが勃発します。これを州政府が無理やり力で制圧しようとしたため、白人vs黒人の血みどろの闘いとなりました。

デトロイトは治安の悪い「暴動の街」として有名になってしまい、白人富裕層にデトロイトを捨てて逃げだす者が続出しました。デトロイト市の主力企業が弱ってしまったことが、ライオンズのチーム強化資金力にも影響を与えたのでしょう。時を同じくしてライオンズの低迷が始まります。

1970年代のオイルショックが更に事態を悪化させます。ガソリン価格が急騰し、国民は小型で燃費の良い欧州車や日本車へと一斉にシフトし、デトロイトの自動車産業が大打撃を受けました。

デトロイトの産業や経済は衰退の一途をたどり、人口が減っていきました。

1950年 デトロイト市人口 185万人(内 白人約85%)人口ランク全米第4位
2020年 デトロイト市人口  64万人(内 白人約15%)人口ランク全米第29位

デトロイトは「全米で最も人口衰退が顕著で、治安の悪い大都市」のレッテルを貼られてしまいます。

2013年には市の財政が破綻したことを政府が発表しています。
※2020年、デトロイト市の人口は64万人ですが、周辺人口を含めると380万人程おり、今でも全米で12番目に大きな人口集積地ではあります。つまり「周辺地域はまだマシだが、デトロイト市内は人が住むのには危険な地域」になってしまったと言えます。

デトロイト・ライオンズにとって不幸だったのは、チームの長期低迷と、デトロイト市の衰退の時期が見事に重なってしまい、「ライオンズの低迷=デトロイト衰退の象徴」のように人々の頭の中に刷り込まれてしまったことです。

そんな不幸を背負ったライオンズですが、今季大躍進を果たし、本当にあと一歩のところでスーパーボウル出場を逃しました。それでもデトロイトのファン達は、「あの強いライオンズが戻ってきた!」と喜んでいることでしょう。そして今度は「ライオンズの復活=デトロイト復興の象徴」としてライオンズに期待し応援を続けることと思います。

ライオンズ、コワモテの熱血コーチ、ダン・キャンベル

今年のライオンズ大躍進は、やはりヘッドコーチのダン・キャンベルに負うところが大きいでしょう。現在47歳。196cm、120kgの巨漢。硬派で知られるテキサスA&M大でタイトエンドとして活躍。ドラフト第3巡でジャイアンツに指名され、3チームで10年間プレーし、TDレシーブ11回という記録が残っています。引退後NFLのアシスタントコーチとして渡り歩き、11年間の下積みの後、3年前ライオンズのヘッドコーチに就任しました。コワモテで強気な熱血漢のコーチという印象を受けます。

キャンベルは一年目3勝13敗1分、二年目9勝8敗、三年目12勝5敗+プレイオフ2勝、と急速に戦績を上げてきました。29歳のジャレッド・ゴフも成長してエースQBとして活躍しています。来季以降のライオンズも期待できるでしょう。

もしも来季、ライオンズがスーパーボウル優勝を果たしたら、おそらく新聞には「ライオンズ、スーパーボウル初優勝」と書かれるのでしょうが、私としては正確に「ライオンズ、67年ぶり5回目のNFL王座奪還」と書いてやってほしいと心から願います。きっとデトロイトのオールドファン達も、そう願っているはずです。決して「まだ一度も優勝したことがない弱小チーム」ではないのです。60年以上前、すごく強くて、誰もが恐れたチームだったのです。

頑張れ! デトロイト・ライオンズ!!

「清水利彦のアメフト名言・迷言集」

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