【清水利彦コラム】「The Immaculate Reception」〜スティーラーズの歴史を変えた奇跡のプレー〜 2021.08.12

清水利彦(S52年卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com

※今回のコラムは、昔の文献の翻訳にいささか自信のない部分があります。誤りがありましたら遠慮なくご指摘ください。

もしも「ピッツバーグ・スティーラーズというチームを25文字以内で説明しろ」と誰かに言われたら、私ならば「昔は弱かったが、1972年を境にすごく強くなった」チームと答えます。ちょっと次のデータを見て下さい。

ピッツバーグ・スティーラーズ
(昔)1933年~1971年の39年間
166勝270敗18分 勝率.381 優勝0回、プレイオフ出場1回

(今)1972年~2020年の49年間
477勝286敗3分 勝率.625 優勝6回、プレイオフ出場31回

もう少し、ピンポイントで見ますと、

(1964-71年の8年間)30勝79敗3分 勝率.275 プレイオフ出場0回
(1972-79年の8年間)88勝27敗1分 勝率.765 全てプレイオフ出場 スーパーボウル優勝4回

1972年を境にまったく戦績が変わってしまったことが、わかっていただけると思います。

では、1972年から突然強くなった原因は何かと言いますと、まず次の二つが挙げられます。

  1. 名コーチ、チャック・ノールの就任4年目。着任初年度は1勝13敗と地獄をみたが、その後5勝9敗、6勝8敗と戦績を伸ばし、1972年11勝3敗と一気に勝てるコーチに変貌した。スティーラーズは常勝軍団となり、チャック・ノールは「スティール・カーテン」と呼ばれる鉄壁守備陣を築き上げ、結局23年間という長期にわたりスティーラーズを率いている。
  2. 弱かった時代にドラフトで上位の指名権を得たため、次々に有望選手をドラフトで獲得し強固なチーム作りが出来た。1969年DLジョー・グリーン(1位)、1970年QBテリー・ブラッドショー(1位)、DBメル・ブラント(3位)、1971年LBジャック・ハム(2位)、1972年RBフランコ・ハリス(1位)等がチーム黄金期の核として育ち、全てNFL殿堂入りした。また、1974年ドラフトでは、1位WRリン・スワン、2位LBジャック・ランバート、4位WRジョン・ストルワース、5位Cマイク・ウェブスターの4名が、のちにNFL殿堂入りしており、こんなことはNFLの歴史でこの時一度だけで、「史上最高のドラフト」と言われている。6年間に9人も殿堂入り選手が入団したのだから、強くなって当たり前。

そして、スティーラーズのオールドファンならば、3番目の理由として次のように述べる人がたくさん居るでしょう。
「そりゃ、The Immaculate Receptionという、奇跡のプレーが1972年に起こったからだ。」

ということで、今回は「The Immaculate Reception」について調べてみました。
まず、イマキュレートという単語を知らなかったので、ランダムハウス英和大辞典を見てみますと、

  1. (道徳的・宗教的に)汚れの無い、純潔な、潔白な
  2. 欠点のない、完全無欠な  と、あります。

つまり、「完全無欠なパスレシーブ」という意味なのでしょうか?

1972年、レギュラーシーズンを11勝3敗で終えたスティーラーズは、10勝3敗1分のオークランド・レイダースとの地区代表決定戦に臨みました。1933年の創部以来、40年目のシーズンですが、その間、勝ち越したシーズンがわずか7回。プレイオフ出場は1947年の1回だけ。その唯一のプレイオフにもスティーラーズは0-21でイーグルスに敗れています。つまりスティーラーズは「創部以来39年間、プレイオフで1点も取れていない、1TDも挙げていないチーム」だったのです。もちろんこんなチームは他にはありません。

「出ると負け」に慣れ切っていたスティーラーズ・ファンは、その年の快進撃が信じられない思いでした。地区代表決定戦は地元スリーリバー・スタジアムでおこなわれました。

12月23日、試合が始まりました。レイダースのコーチはジョン・マデン。通算103勝32敗7分。勝率.759は100勝以上挙げたコーチの中での最高勝率で、今も破られていません。
お互いのディフェンスが強固で、0-0で前半を終えました。第3Qに入って、スティーラーズが短いFGを成功させました。(PIT3-0OAK) これがスティーラーズにとって創設40年目で初めてのプレイオフでの得点でした。
第4Qに入って更にスティーラーズがFGを追加し、PIT6-0OAKとリードを広げます。チーム史上初のプレイオフ勝利が見えてきたかと思いましたが、ここでレイダースは当日不調のエースQBダリル・ラモニカに代わり、アラバマ大卒、3年目のQBケン・ステーブラーを投入しました。

ステーブラーはのちに殿堂入りする名QBであり、「スネーク(蛇)」という仇名を持つことは多くの方がご存じと思います。私は彼の持つ「勝利への執念深さ」「執着心」が仇名の由来かと思っていましたが、間違っていました。ステーブラーは高校時代から非常に足が速く、「敵の選手の間をクネクネと走り回りながら前進するQB」だったのです。高校卒業時には野球とバスケットボールからプロ入りのオファーを受けています。(膝の負傷のため走れなくなり、後年正統派のドロップバック・パサーに変身しました)
4Q残り1:13、ステーブラーがスクランブルからサイドラインを疾走。30ydを走り切り、逆転のTDを挙げました。(OAK7-6PIT) ピッツバーグのファンは「また今年もダメなのか」と肩を落としましたが、ここで奇跡のプレーが起こります。

「The Immaculate Reception」の解説写真(出典:The Football Book by Sports Illustrated)

レイダースのキックオフで再開された試合は、残り僅か22秒となりました。ボールはまだピッツバーグ陣40ydにあります。第4ダウン・残り10ydの絶体絶命の状態で、QBブラッドショーがロングパスを狙いますがWR陣はカバーされており、仕方なくミドルゾーンに浮いていたRBフュークアに向けてパスを投げました。
当時「NFL最高のDB」と言われていたレイダースのジャック・テイタム(仇名は「暗殺者」)が、これを見逃すはずがありません。フュークアが捕球しようとしたその瞬間、テイタムが激しいヒットを浴びせます。フュークアがボールを弾いたようにも見えましたが、実際にはDBテイタムのヘルメットに球が当たり、ボールが飛び出しました。DBのヒットで球がふらふらと真上に上がることは頻繁にありますが、この時は弾き出された球が、まるでクイックパスを投げたような軌道で、地面と水平に8ydほど真後ろに飛びました。この瞬間誰もが「ああ、この試合は終わった」と感じました。

ところが、そこにフォローのため走ってきたスティーラーズRBフランコ・ハリスが偶然いて、地面すれすれでボールを拾い上げたのです。ギリギリでキャッチしたハリスは、そのまま60yd独走し、残り数秒で奇跡の逆転TDとなりました。(最終スコアPIT13-7OAK)

残り20秒、60yd独走TDのフランコ・ハリス(出典:100 yards of Glory by Joe Garner and Bob Costas)

一度は負けを悟ったあとに起こった、信じられない光景を目の当たりにしたスティーラーズ・ファンは狂喜乱舞し、2m以上ある観客席のフェンスから続々と飛び降り、数多くのファンと選手達がフィールド上で抱き合いました。飛び降りた際、複数名のファンが足を骨折したという記事が残されています。
レイダース陣は、「RBフュークアに当たった球をハリスが拾ったので、パスは無効」、「RBハリスは一旦フィールドに落ちた球を拾って走ったので、パスインコンプリート」という二つの抗議を猛然とおこないましたが認められませんでした。

百聞は一見に如かず、です。YOU TUBEにて「The Immaculate Reception」と検索しますと、奇跡のプレーを動画で紹介するサイトがいくつも出てきますのでご覧ください。

私が疑問に思うのは、このプレーがなぜ「The Immaculate Reception」と名付けられたのか、ということでした。完全無欠のレシーブどころか、これは本来全くの失敗プレーであり、「ひょうたんから駒」のような偶然が起きたことにより奇跡の勝利を産んだだけのことなのです。
しかし調べてゆくうちに、これは「Immaculate Conception」という聖書の中の言葉を引用した、一種の「言葉遊び」のような命名だとわかり、鳥肌が立ちました。聖書において、聖母マリアは汚れの無い純潔のままで、イエス・キリストを受胎し出産した、とされており、これを「無原罪の懐胎(Immaculate Conception)」と言います。ピッツバーグ・ファンは奇跡のプレーを名付ける際に、どうしても聖書の中の言葉に結び付けたかったのです。

「あれは決して偶然とか幸運じゃない。神様のご意思があったから出来たんだ。それまで我がスティーラーズは負け続けの弱小フットボールチームだったが、あの奇跡の瞬間から我々は『神様のご加護』によって守られる強いチームに変貌したのさ。」
これがプレーの命名に関するファン達の真意でした。

この勝利の後、スティーラーズはAFC優勝決定戦に進みましたが、相手が強すぎました。マイアミ・ドルフィンズがスーパーボウル史上初めて、17戦全勝のパーフェクトシーズンを達成した年でした。(MIA21-17PITで敗退)

しかし、翌1973年からスティーラーズはまさに神がかりのような強さを見せます。
多くのファンが「これはThe Immaculate Receptionのおかげ」と信じていました。

1973年 10勝4敗 地区優勝決定戦にて敗退
1974年 10勝3敗1分 スーパーボウル優勝 16-6バイキングス
1975年 12勝2敗 スーパーボウル優勝 21-17カウボーイズ
1976年 10勝4敗 AFC優勝決定戦敗退
1977年 9勝5敗 地区優勝決定戦敗退
1978年 14勝2敗 スーパーボウル優勝 35-31カウボーイズ
1979年 12勝4敗 スーパーボウル優勝 31-19ラムズ

そして、その後もスティーラーズは強豪チームであり続けています。スーパーボウル優勝は全部で6回に及び、2004年以降昨季まで17年間負け越しのシーズンはありません。

私の手元の資料では、「ピッツバーグの空港には、The Immaculate Receptionにちなんで、地面すれすれでボールをキャッチするRBフランコ・ハリスの等身大フィギュアが展示されている」とありますが、20年以上前の資料なので、今はどうなっているのでしょう?ご存じの方、お教えください。

実はレイダースのQBケン・ステーブラーも、この試合で得をした一人です。第4Qでの活躍が認められ、翌年からはダリル・ラモニカに代わり、7年間レイダースの正QBとして君臨し、1976年にはスーパーボウル優勝を経験しました。「チームを勝利に導くQB」と高く評価され、先発QBとして150試合目で100勝を挙げましたが、これはトム・ブレイディ、ジョー・モンタナ、テリー・ブラッドショーに次いで、NFL歴代4位のスピード記録です。
2015年に69歳の若さで亡くなりましたが、翌2016年にNFL殿堂入りしています。

 

「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
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