【清水利彦コラム】「続・スティーラーズ 強さの秘訣」 2021.08.26

清水利彦(S52年卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com

間もなく米国ではフットボールシーズンの開幕ですね。

NFLは9月9日が開幕日となります。

ワシントンは今季も「ワシントン・フットボールチーム」という名前で参加するようですね。開幕までに新チーム名が発表されるとばかり思っていたので意外でした。「来年、2022年前半には新名称を公表できるだろう」というチームからのアナウンスもあったようです。

 

さて、前回のコラムで、「ピッツバーグ・スティーラーズが1972年を境に強くなった」話をしました。今回はもう一つの強さの秘訣として、「スティーラーズがヘッドコーチに長期政権を委ね、長期的視野に立ってチームを強くしている」という話をしたいと思います。

 

スティーラーズは三代続けて、ヘッドコーチが長期政権を任されています。

 

<チャック・ノール>37歳で就任 1969-1991 23年間 193勝148敗1分 勝率.566
プレイオフ出場12回 スーパーボウル優勝4回

<ビル・カウアー> 35歳で就任 1992-2006 15年間 149勝90敗1分 勝率.623
プレイオフ出場10回 スーパーボウル優勝1回

<マイク・トムリン>35歳で就任 2007-現在 14年間 145勝78敗1分 勝率.650
プレイオフ出場9回 スーパーボウル優勝1回

 

過去52年間でコーチが3名しかいないのです。こんなチームは他にないだろうと思いまして一応調査してみました。過去50年間で何人のコーチが就任したか、一人当たり平均何年間コーチを務めているか、という調査です。やはり予想通りの結果となりました。

参考資料)NFLコーチ平均在籍年数

スティーラーズが断トツで長期政権(平均16.7年)を執っており、2位のレイバンズ(8.3年)の2倍の長さとなっています。一番多く交代しているのがクリーブランド・ブラウンズで、50年間で20人のコーチ(平均2.5年)が出たり入ったりしています。勝てなかったらすぐにクビという体制が長年続いているわけで「これでは勝てないな」と感じます。

 

この調査で、ヘッドコーチの平均在任期間は3.8年であることがわかりました。つまり4シーズン続けてコーチを務めることが出来れば、NFLでは「長く務めている」部類に入ることになるのです。

 

「スティーラーズがコーチに長期政権を委ねることによって強いチームが出来ている」と書きますと、「いや、それは考え方が逆だろう。チームが勝っているから結果的に長期政権になっただけの話だ。負け続けていれば、他のチームと同じように短期での解任を繰り返すことになるさ。」と考える方が居て当然だと思います。ただし、ちょっと3人のコーチの略歴を見て欲しいと思います。

 

<チャック・ノール>

フットボールでは無名のデイトン大学でOL、LBとしてプレー。主将を務める。

NFLドラフト20順目という低い順位でクリーブランド・ブラウンズに入団。選手としての評価は低かったが、名将ポール・ブラウン・コーチにプレーの理解度の高さを見出され、「コーチの選択したプレーをハドルで伝えるための伝令用選手」としてしばしば起用される。そうしているうちに、「コーチが彼にプレーを言い渡さなくても、次に何のプレーを使えばよいか言える」ほどになった。

一軍選手として定着できず、27歳で選手を引退。チャージャースのコーチ、シド・ギルマンから誘われ、守備アシスタントコーチとなり「教えるのが上手い」という評判を獲得する。

6年後、ボルチモア・コルツに移り、名将ドン・シュラの下で守備アシスタントコーチ、更に守備コーディネーターとなる。

4年後、当時最弱と言われたピッツバーグ・スティーラーズのヘッドコーチに37歳で就任。(当時NFLで最も若いコーチ)3年間負け越しが続くが、4年目から勝ち続ける。ノールの築いた強固なディフェンスは「スティール・カーテン」と異名を取る。

スーパーボウル4勝0敗という記録は彼だけのもの。

 

<ビル・カウアー>

ノースカロライナ州立大にてLB、主将。

選手としては注目されておらず、ドラフト外にてフィラデルフィア・イーグルス入団。NFLに6年間選手として在籍したが、一軍起用には至らず、ほとんどの時間をキッキングチーム要員として過ごす。ただし、この期間に「キッキングゲームの重要性と指導方法」「常に首切りの恐怖を味わいながらプレーする二軍選手達の心理」等を学び、のちにヘッドコーチとして活かされることになる。

28歳で自ら選手生活に見切りをつけ、大幅に年俸が下がるのを覚悟で、クリーブランド・ブラウンズのマーティ・ショッテンハイマー・コーチの下で、キッキングチームのアシスタントコーチとして働く。

32歳の時、ショッテンハイマー・コーチがカンザスシティ・チーフスのヘッドコーチに移る際に、行動を共にし、チーフスの守備コーディネーターとなる。

3年後、35歳で、チャック・ノールの後任としてスティーラーズのヘッドコーチに指名される。就任から6年間続けてプレイオフ出場。2005年度、着任14年目にして悲願のスーパーボウル制覇を達成する。翌年1年だけコーチを続け50歳の若さで引退。

 

<マイク・トムリン>

フットボールでは二流校のウイリアム&メリー大にてWR。NFLからは全く注目されず、卒業後アシスタントコーチとなり、5つの大学でWRコーチ、DBコーチ等を経験。

シンシナチ大学でDBコーチの際、その働きぶりを評価され、NFLタンパベイ・バッカニアーズからDBコーチのポジションをオファーされる。バッカニアーズで5年間働き、2003年チームはスーパーボウルにて優勝。この試合で守備陣は5回パスをインターセプトし、3回リターンTDするという快挙を達成し、トムリンの手腕が注目される。

2006年、ミネソタ・バイキングスのヘッドコーチ、ブラッド・チルドレスから指名され、34歳で守備コーディネーターに就任。この時、チーム内にはトムリンより年上の選手が二人居た。

翌2007年、トムリンは守備コーディネーターの経験がまだ一年しかないにもかかわらず、スティーラーズからビル・カウアーの後任としてヘッドコーチに指名される。この時彼は35歳。NFL全体で史上10人目のアフリカ系米国人のヘッドコーチであり、スティーラーズの歴史で初めてのアフリカ系ヘッドコーチとなった。

当時スティーラーズのオーナー、ダン・ルーニーはオーナー会議において、「ヘッドコーチを選ぶ際には、面接する候補者の中に、必ず人種的マイノリティを含むこと」という、いわゆる「ルーニー・ルール」を提案しており、トムリンの起用は、まさにオーナーが自らこのルールの模範を示した形となった。

トムリンは就任2年目の36歳でスーパーボウル優勝を果たし、「スーパーボウルを制覇した、NFL史上最年少ヘッドコーチ」となる。

その後も好成績を残し続け、14年間で負け越しは一度もない。

 

この3名には幾つもの共通点があります。その共通点とは、

  • 選手時代は全く無名。注目される存在であったことは一度もない。
  • 非常に若くして、(37歳、35歳、35歳)ヘッドコーチに就任している。3人ともスティーラーズが初めてのヘッドコーチ就任。つまり「ヘッドコーチとして起用され、好成績を挙げられるかどうかを判断する実績」が全くないのに、ヘッドコーチに抜擢されている。
  • スティーラーズにおけるコーチ歴・選手歴が誰もない。内部昇格でアシスタントコーチからヘッドコーチになったわけではない。つまり球団経営陣と彼らは「気心が知れた仲」ではなく、ヘッドコーチに指名するにあたり、経営陣は必死に彼らについて情報を集め、充分に分析・検討した上で、彼らの素質・力量を見込んで採用を決断したのだろう。

 

もしスティーラーズ経営陣が、「コーチ選任に失敗しても自分たちが非難されることがないように、無難な人選をおこなう」ことを優先していたのならば、内部昇格もしくは、ヘッドコーチとして実績のあるベテランを起用していたでしょう。しかし球団経営陣はあえてリスクをとり、「良い結果が出なければ、自分たちが責任を負う」ことを承知の上で、この若い3人の新任コーチを指名し、すべて成功させたのです。その結果が強豪チームとなり、長期政権となっているのだと思います。

 

球団経営陣のコーチ選任における「人物評価力」「情報収集力」「決断力」そして「勇気」こそが、長年にわたるスティーラーズの強さの秘訣なのではないかと、私は考えています。

「NFLって、何の略称か知ってるか?

Not For Long (そう長くは居られないぞ)っていう

意味なんだぞっ!!」

 

ヒューストン・オイラーズを強くさせたにもかかわらず

4シーズン目、プレイオフ出場しながらクビになった

ヘッドコーチ ジェリー・グランビル

(その後、ファルコンズでも4シーズンでクビ)

 

 

「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
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