【清水利彦コラム】テキサスA&M大シリーズ最終回「A&Mに起きた最大の悲劇―1999年、BONFIRE崩落事件」 2021.11.18

清水 利彦(S52年卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com

もし、2011年以前に、テキサスA&M大のフットボール・ファンに向けて、「A&Mにとって、フットボールにおける最大のライバル校はどこ?」と訊けば、ほとんどの人が「テキサス大!」と答えたでしょう。
ところが、テキサス大のフットボール・ファンに、「テキサス大にとって、最大のライバル校は?」と訊くと、おそらく全員が「オクラホマ大!」と答えると思います。誰もA&Mの名前など挙げてはくれないのです。

オクラホマ大とテキサス大は1900年からフットボール定期戦を結んでおり、今年で117回対戦しています。(テキサス大の62勝50敗5分。初期の頃、数回の休止あり)途中、テキサス大がSWCリーグ、オクラホマ大がBIG8と、別々のリーグに所属していた時期も長いのですが、それでも毎年9万人以上の観客を集め、定期戦として欠かさず対戦しています。
両校の定期戦は、昔「Red River Shootout(赤い河を挟んだ撃ち合い)」と呼ばれていましたが、さすがに銃の撃ち合いでは、今時まずいということになって、現在は「Red River Showdown(赤い河の対決)」と呼ばれています。スポーツイラストレイテッド誌は、かつて「全米カレッジフットボール対校戦・熱狂度ランキング」というものを発表したことがありますが、1位ミシガン大vsオハイオ州立大、2位アーミーvsネイビー、そして3位がテキサス大vsオクラホマ大でした。オクラホマとテキサスの血みどろの闘いの歴史は、いつかUnicorns Netで皆様に紹介したいと思っています。

ということで、テキサス大にとって最大のライバルがオクラホマ大であるのは仕方がないことなのですが、A&Mの関係者にとって、これほど悲しい、これほど悔しい事はありませんでした。自分たちがどんなに一生懸命になって「打倒テキサス大!」と叫んでも、相手はA&Mを格下と思っており、ライバル視してくれない、一種の「片想い状態」だったのです。実際、両校の対戦成績はテキサス大の76勝37敗5分と大きく引き離されていました。
テキサス大は、University of Texasが英語名ですが、A&Mの人たちはテキサス大をこのように呼ぶことはありません。必ず「t.u.」と呼びます。「T.U.」ではなく、小文字で「t.u.」と表現するところに、A&Mが長年テキサス大に踏みつけにされてきた悔しさが表れていると感じます。

両校の「いびつなライバル関係」は2011年で終了することになります。テキサスA&M大が、アラバマ、ジョージア、オーバーン等、超強豪校が居並ぶ最強のSECリーグに移籍し、両校の対校戦はなくなってしまったのです。A&Mにとっては「所属リーグがアップグレードした」という印象ですが、テキサス大からすれば、「A&Mが白旗を挙げて勝手に出て行った」ような感じを受けた人も多かったのではないでしょうか。伝統ある定期戦がひとつ消えたことに寂しさを感じます。

今回は、2011年よりもっと前、まだA&Mがテキサス大に牙をむいて闘いを挑んでいた頃の話です。
打倒テキサス大のための最大の伝統行事が「A&Mのボンファイア(BONFIRE)」でした。BONFIREとは「巨大な焚火」のことです。キャンパスの東端にフットボール場3個分くらいの大きな敷地があり、ボンファイア広場と呼ばれています。テキサス大戦は毎年11月Thanksgivingの週末におこなわれていました。
Thanksgivingの夜、広場に5千人を超えるA&Mの学生・卒業生が集まり、10mにも及ぶ丸太を組んで作り上げた巨大な焚火を囲みながら、応援歌を歌い、「t.u.をやっつけろ!」等と全員で叫んで盛り上がることが習わしとなりました。夜8時過ぎに丸太に火が点けられ、その火が12時を過ぎても消えずに燃え続ければ、テキサス大に勝てるという言い伝えも出来ました。

1998年までのA&Mの巨大なBonfire、 木材がウェディングケーキ状に積み重ねられている(出典:Rites of Autumn by Richard Whittingham)

長時間燃え続けさせるため、そして、より大きな炎を作り上げるために、丸太の数や長さが毎年巨大化していきました。丸太の長さは、長いものでもせいぜい10mくらいまでですが、「ウェディングケーキ方式」というアイデアが出され、組んだ丸太の上に更に別の丸太を、三重・四重に積み重ねていくようになりました。5千本を超える丸太を用いて、最大でなんと高さ30mに及ぶ焚火が用意されました。この時は、40㎞先からでもボンファイアが見えたと言われています。

丸太を組む作業は、素人の学生が手作業・ボランティアでおこなっているのに、焚火の規模は年々大きくなってゆきました。危険度が増していったのです。
そして1999年11月18日、ついに悲劇がおこります。
A&Mの学生達に数名の卒業生が加わり、58名で5千本の木材を幾層にも組み、ボンファイアの準備をしていたところ、突然丸太がガラガラと崩れました。大勢が巨木の下敷きとなり、12名が死亡(圧迫死)、27名が骨折などの重傷を負いました。テキサスA&M大史上、最大・最悪の悲劇でした。
You Tube 「Texas A&M Bonfire 98」には、事故の前年に大勢が自慢げに焚火をしている様子があり、You Tube 「Texas A&M Bonfire Collapse 」で、悲劇の模様を告げるニュース等がご覧いただけます。

1999年崩落したボンファイア この下に大勢の学生が下敷きになった(出典:Wikipedia)

当然、大学当局はBONFIREイベントの廃止を発表します。1907年から毎年続けられ、それまでに中止となったのはケネディ大統領が直前に暗殺された1963年一回だけ、という伝統行事でしたが、1999年悲しい結末を迎えました。12名の犠牲者のための追悼慰霊式には、元アメリカ合衆国大統領のジョージ・ブッシュ氏が息子のジョージ・ブッシュ氏(当時テキサス州知事、のちの大統領)を伴って出席し、何万もの大学関係者が参加しました。ボンファイア広場には、現在では慰霊碑が建てられています。

ところが、BONFIREの話はこれで終わりではありません。前にも述べたように、テキサスA&M大の学生は、「特殊な伝統をたくさん持ち、これを受け継いでいくことが自分たちの価値」と考える気風があります。どうしてもBONFIREの伝統を失いたくないと考える学生たちは、2003年、キャンパス外側の空き地で、自分達だけによる自主ボンファイアを挙行しました。学校側に知れると中止させられる恐れがあると、寸前まで秘密裡に準備がおこなわれましたが、安全に対する配慮は非常に行き届いたものでした。規模が縮小されたとは言え、高さ10mに及ぶ壮大な焚火BONFIREが5年ぶりに復活したのです。

復活したStudent Bonfire(出典:Wikipedia)

学生達の熱意に負けた形で、「大学構内ではやらない」ことを前提に、いくつかの安全条件を満たせば、学生が責任をもっておこなうStudent Bonfire としての実施を、大学は認めることになりました。
2004年以降も、一万人前後の学生が集まり、Thanksgivingの夜には焚火をしながら「テキサス大をやっつけろ!」と彼らは叫び続けました。テキサス大との対校戦がなくなった後も、年1回フットボールシーズンを盛り上げるための伝統行事として存続しています。
大学当局の言いなりになるのではなく、学生の自主性を尊び、自分たちが努力することによって母校に勝利をもたらそうと願う、テキサスA&M大の学生たちの気質を、私は大変気に入っています。まさに「独立自尊の校風」のようなものを感じるのです。
2020年はコロナ禍のため、「バーチャル・ボンファイア」を実施したと資料にありますが、一体どうやっておこなったのでしょうか。


(あとがき)筆者が応援しているテキサスA&M大なのですが、絶対王者アラバマ大を倒す大金星を挙げながら、今季も11/14現在7勝3敗と既に王座復帰の可能性はなくなっています。2013年にフロリダ州立大を全米チャンピオンに導いた実績のあるジンボ・フィッシャーをコーチに招き、万全の体制を築きながら、また勝てませんでした。来年再び、82年ぶりの王座を目指すことになります。所属するSECリーグは強豪校がズラリと並び、勝ち抜く事は容易ではありませんが、自分たちの選んだ道ですから仕方ありませんね。

「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
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