清水 利彦(S52年卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com
清水まえがき
かつて私はJAXAとJICA(国際協力機構)の区別さえついていないほど無知でした。ユニコーンズの会合で初めて速水助監督とお目にかかり、JAXAの名刺をいただいた時、「ああ、この方はアフリカ等で井戸掘りとか、医療支援をなさっているのだろう。大変なお仕事だな。」と思っておりました。(笑)
今回、山田信濃町監督から「現在、ヒューストンのNASAジョンソン宇宙センターで速水助監督が働いています。」とお聞きした際も、「助監督ではなくて、元助監督でしょ。米国に住みながら信濃町チームの助監督など出来るわけがない。」と勝手に決めつけていましたが、現役助監督とお聞きして本当に驚きました。たいそうエネルギッシュな方だなと心から敬服いたしております。
誤解だらけの私に対して、今回、熱く、かつ懇切丁寧なメッセージをいただきましたのでお読みください。
<速水聰(はやみず さとし)助監督とのインタビュー>
Q1. JAXAにご勤務されているとのことですが、どのようなきっかけでしょうか。
まず正直に申し上げて山田深監督からの推薦がきっかけです。推薦を受けた当時、私はリハビリテーショ医学の専門医として東京都城南地区の在宅医療・地域医療に携わっておりました。現在私が就いているフライトサージャン(FS)は宇宙飛行士の健康管理に責任を持つ医師で、チーム医療が必須であると同時に多職種の人々と協働する現場に身を置きます。リハビリテーション医学の専門医の現場と大変似ていることや、リハビリテーション医学の対象となる分野の知識や経験がFS には大変役に立つと丁寧に説明いただき JAXA への転職を決めました。
Q2. JAXAではどのようなお仕事をなさっているのでしょうか?
2016 年 5 月から非常勤職員として JAXA 筑波宇宙センターに月 1~2 回出勤し、大雑把に言うと フライトサージャン(FS)という職種は何ぞや?を学ばせていただきました。2017 年 4 月 1 日より任期付きの JAXA 常勤職員として転職後、FS 候補者として 1 年間の研修期間を経て 2018 年4 月にFS と して多国間宇宙医学委員会にて認定されました。同年 6 月に金井宇宙飛行士が地球帰還後に実施したリハビリテーションには全参加させていただきました。同年 3 月に既に ISS 搭乗指名されていた 星出宇宙飛行士の専任 FS として同年 7 月に指名されて以降、専任 FS 業務を中心として活動し、 2022年3 月末をもって星出宇宙飛行士の専任 FS業務は解除されました。前述したようにJAXAの FS と は、JAXA 宇宙飛行士の健康管理に関係する様々なことに責任を持つ医師のことです。直接的な宇宙飛行士の健康管理(地上でも宇宙でも)以外にも多くの国際調整に携わります。最新の医学研究や医療実践に基づき、ISS へ行く宇宙飛行士に対する医学基準を各宇宙機関の FS と協議しながら更新することも FS 業務の一環です。今後は再度 JAXA 宇宙飛行士の専任 FS に指名されるまで主に専任 FS 業務以外の全ての FS 業務に携わります。
Q3. いつから NASA にご勤務なさっていますか?どんな仕事をなさっていますか?
星出宇宙飛行士の専任フライトサージャン(FS)としてヒューストンへ赴任したのが 2019 年 6 月です。 それ以降は基本的にNASA Johnson Space Center(JSC)を拠点として、飛行前(打上げ前)には星出宇宙 飛行士の訓練における医学管理のための帯同や定期的に実施する医学検査を中心として JSC に勤務し ていました。カリフォルニア州の SpaceX 本社やNASA Kennedy Space Center(KSC)で行われる星出宇 宙飛行士の訓練に数日間帯同できたのは今となっては良い思い出です。星出宇宙飛行士 らが 2021 年 4 月 23 日に ISS へ向けて SpaceX 社のクルードラゴン宇宙船運用 2 号機で出発する直前の約 1 週間は KSC で彼らと一緒に検疫生活を送りました。ある意味で合宿みたいな一面もあり、FS が宇宙飛行士 らと信頼関係を築く、とっておきの機会でもありました。星出宇宙飛行士が ISS 滞在中は基本的に Johnson Space Center(JSC)へ毎日出勤し、飛行士の健康管理に関係するあらゆる調整や決定の最前線 におりました。毎週 1 回予定される星出宇宙飛行士との医療面談(いわゆるオンライン診療のような感 じ)は専任 FS にとっては大切な時間で色々と事前準備したのが既に懐かしいです。
そして2021年11 月8 日(米国中部時間)に星出宇宙飛行士らが地球へ帰還後は JSC まで星出宇宙飛行士を医学支援しながら一緒に戻りました。特に最初の 1 週間は重力への再適応による身体変化が大きいため、リハビリをはじめ多くのイベントに帯同しました。実は星出宇宙飛行士の直前に野口宇 宙飛行士が 2019 年 11 月中旬から半年近く ISS に滞在していました。JAXA としては初めて経験する長期滞在 JAXA 宇宙飛行士の連続ミッションだったのですが、私は野口宇宙飛行士のバックアップ専任 FS として指名されていたこともあり、約 1 年間近くISS に滞在する JAXA 宇宙飛行士に関わるFS として働く貴重な機会を与えてもらうことができました。
住まいはJSCから車で数分、JSCを三田校舎に例えれば、我が家は田町駅よりも少し近いくらいの距離感でした。JSC自体がヒューストンのダウンタウンから南東へ時速120kmの車で30分くらい移動した場所にあります。非常に長閑な地域で治安も比較的良好でした。
Q4. 星出彰彦宇宙飛行士との関わりや、エピソードなど。
まず星出さんとは慶應義塾大学の先輩・後輩の関係になります(私が後輩)。そして星出さんは理工学部卒業で 理工学部ラグビー部に所属されていたので同じ楕円球を追っかけていた学生時代と思っています。飛行前(打上げ前)のエピソードとしては、ロシアの「星の街」にあるガガーリン宇宙飛行士訓練センター (通称:GCTC)で行う訓練に帯同した時のことが印象的です。宇宙船が予定外の場所に着地した時を想定したサバイバル訓練やセントリフュージという遠心加速器に搭乗する訓練(最近では前澤友作氏の YouTube にも一部登場しています)では JAXA FS が医学支援することになっています。星出さんは今回が3度目の宇宙飛行となるため、いずれも初めての訓練ではなかったとはいえ、仲間へ対する気遣 いが常に細かくチームプレーの意識が行き届いており、極めて冷静沈着な行動に目を見張るばかりで した。星出さんが今回 ISS の船長として滞在している間に約 1 時間にわたって ISS が傾き、正常な姿勢を保てなくなった比較的珍しいトラブルが発生した時も船長として難なく対処された事も納得がいきました。
もう一つ、ISS への打上前約 1 週間に星出さんを含む宇宙飛行士と一緒に生活した時のエピソードを挙げたいと思います。打上数日前の夕飯に先立って、私が予め作っておいた宇宙飛行士 4 名の誕生日色を織り交ぜた大きなおりがみで作った折鶴を他のNASA スタッフの許可を得ておいた上で宇宙飛行士らへプレゼントしました。その折鶴の写真を ISS 滞在中に星出さんがツイッターに上げていただいた時、星出さんの心優しさに触れた気がしました。
Q5.米国におけるフットボールとの関りは?観戦などなさいましたか?
コロナ禍前には Houston Texans の応援でNRG スタジアムまで何度か足を運びました。JSC 内で結成されているフラッグフットボールチームの練習にも出たことがあります(ほぼ草フットボールレベルではありましたが 笑)。
Q6. ご自身がフットボールをなさったきっかけは?どんな選手でしたか?
きっかけは私が 8 歳~14 歳まで父親の仕事の関係で米国シカゴに住んでいた頃、シカゴベアーズが スーパーボウル XX(1985 年)で優勝した影響はとても大きかったと思います。高校の部活でフットボールを始めようと思っていたところ、入学した慶應義塾志木高にアメフト部はありませんでした。大学進学時に医学部アメフト部があることを知り、2 学年先輩だった田中部長の一言で入部を決めたことを今でも憶えています。シカゴ在住時より既に楕円球の魅力に憑りつかれており(笑)、投げる・捕るのが大好きでしたので、それが実現できるポジション(QB・WR)をやらせていただきました。C の山田監督からスナップを受け取る QB として公式戦を戦ったこともあります。
Q7. 信濃町でフットボールをなさったことが、その後あなたの人生にどのような影響を与えていますか?
もっとも大きい財産は卒前・卒後にフットボールを通じて出逢えた人とのつながりです。卒業前で言えば医学部アメフト部のコーチ、先輩や後輩そして同級生になります。そして卒業後はフットボールやフラッグフットボールを通して、さらに多くの素晴らしい人々と出逢い、私の人生をより豊かにしてくれていると感じています。一つ具体例を挙げますと、私が 2009 年に幼稚舎フラッグフットボールにある学年チームのヘッドコーチに就いた時の話があります。まだ信濃町の助監督に就く前に遡ります。私 自身が現役時に恩師、故小布施均ヘッドコーチから教わった全てを私なりに咀嚼し直して小学生選手達へ伝える最高のチャンスが天から与えられたのだと感じて引き受けました。ただ私独りではおよそ力不足であることをすぐに自覚するのですが、同じ学年チームのコーチ達がまさに一体となり選 手達と向き合っていることに気付きます。そして 2014 年 12 月、集大成の NFL フラッグ日本大会にて日本一(小学生部門)に彼らが輝いた姿を見た時、コーチ陣のチームプレーも選手達のそれにうまく 融合できた結果なのだろうとピンときた瞬間を今でも鮮烈に憶えています。その選手らが現在、大学ユニコーンズで活躍する姿を Unicorns Net で拝見し目を細めています。実はその翌 2015 年に山田監督から声をかけていただき、信濃町の助監督に就くこととなります。幼稚舎フラッグで得た経験や私なりのノウハウをそのまま大学生にも適用するチャンス(実験?)が到来したのでした。私の結論としては、大学生も小学生も特に本質的に伝えることを変える必要なしということでした。
Q8. コーチをしていたユニコーンズ OB との思い出など
私が現役時代は慶應立科山荘にて毎年夏合宿が 1 週間程度行われていました。仕事の合間を縫って立科山荘まで泊りがけでコーチしに来てくださっていたユニコーンズ OB との接点が最も印象的です。昼間はフットボールの厳しさを、夜はフットボールの楽しさを丁寧に教えて下さりました。私が幹部学年の時には、多い時は毎週のように、少なくても月 1 回以上の頻度でユニコーンズ OB の方々が熱心に作戦会議を開いて下さり、春は練習試合に向けて、秋は公式戦に向けて平日夜にもかかわらず丁寧に指導いただきました。その中心にいたのが故小布施均ヘッドコーチと米本篤弘コーチでした。
Q9. 米国に居ながら、信濃町助監督をなさっているとのことですが、どのようにして何をなさっていますか?
直接的なサポートは物理的に難しいため、マネジャー業務のほんの一部をリモートワークでサポートしていました。実際に物理的には参加できない新入生歓迎会では挨拶文を読み上げてもらう等していましたが、コロナ禍になってからはオンライン参加となり、早朝から参加できることもありました。
Q10. 田中アメリカンフットボール部部長との思い出 について
私は田中謙二部長の 2 学年下になります。大学入学後の勧誘期間中に当時医学部 3 年生の田中部長から「この部に入部すればヒーローになれるよ」という一言で入部を決めたことを鮮明に記憶しています。ポイントは単に「ヒーロー」という言葉に私が釣られたのではなく、田中部長の人を信じさせる力、納得させる力に圧倒されたからかもしれないと後になって思いまし た。ただ一方で、「この人は私を分かってくれるかもしれない、信じて良さそうだ」と当時の私が直感したのも確かなのです。それから 30 年弱の時を経て、2021 年 5 月末に三田評論 7 月 号の取材で、私が田中謙二部長と対談する絶好の機会を神様は与えてくださいました。インタ ビュアーであった田中部長は私が伝えたいと思っていたこと全てを見事に引き出したのですが、何よりも私自身が対談中に田中部長の優しさに沢山触れる場面がありました。
三田評論記事はこちら https://www.mita-hyoron.keio.ac.jp/spotlight/202107-1.html
JAXA機関誌最新号にも速水氏の記事(p.14-15)あり。 文中の「大学の先輩」とは山田監督のこと。
https://fanfun.jaxa.jp/jaxas/no087/files/jaxas-087.pdf
そんな田中部長 と一緒に味わった 1 部医科歯科リーグ総合優勝の経験が、必ず部長という立場でも活きてくる ことと信じて止みません。
Q11. Unicorns Net読者へのメッセージをお願いします。
どんなことでも続けていると良いことがある、という話を聞いたことがあると思います。私の場合はそれがフットボールだと思い込んでいる口です。繰り返しになってしまいますが、フットボールを通じて知り合ってきた沢山の人々との関係がきっかけになって、さらに豊かな人間関係が拡がっていると私は感じずにいられません。本当に感謝しかないなと改めて感じる日々を過ごしています。
今後とも「さすがの慶應」を心に秘めて一日一日を丁寧に生きていこうと思います。
清水あとがき
「宇宙開発に携わる仕事をする」とは、なんという夢のあるご勤務でしょう。大変な激務・責任の重い任務であることは重々理解していても、正直「素晴らしいな、うらやましいな」という思いがあふれます。
逆に言えば、このような国家の重要な任務がお二人に与えられるのは、「慶應義塾大学医学部のステイタスと評価の高さ」を表わすものであるとも言えるでしょう。そしてこういう立派な方々が多忙な時間を割いて、信濃町(医学部・看護学部・薬学部)ユニコーンズの指導も続けておられるわけです。コラムへのご協力に感謝するとともに、これからも先生方の宇宙開発部門等における更なるご活躍をお祈り申し上げます。
皆様ご存じのように、我がユニコーンズは1987年以来、竹内勤先生、小安重夫先生、渡辺真純先生、田中謙二先生と4代にわたり、医学部の先生がアメリカンフットボール部長にご就任いただいています。危険を伴う勇壮なスポーツをおこなう我々にとって、ドクターである部長先生方の存在が最高の安全・安心を与えて下さっていることに感謝しなければなりません。
そして更に渡辺真純部長、田中謙二部長は、信濃町ユニコーンズでのフットボール選手経験がおありです。医学を究めているだけでなく、フットボール競技にも精通した先生方が指導者となり、熱い想いを持って部員達を率いてくださるのは本当に有難いことです。
以前もUnicorns Netで幾度か述べましたが、私は「信濃町ユニコーンズは、我がユニコーンズ・ファミリーの宝」であると考えています。我々は信濃町チームの存在に感謝し、彼らとの交流・協力を更に深め、一体となって将来を築いていくことを目指すべきです。
ここであまり難しいことを申し上げるつもりはありませんが、まずは大学・高校のみならず、信濃町、女子タッチ、ジュニア(中学)、幼稚舎、グランドユニコーンズと、ファミリーの各試合を、皆で、大勢で応援しにいくことを提案します。
それぞれが真剣にフットボールに取り組んでいる姿勢がひしひしと感じられて感動しますよ!!
「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
https://footballquotes.fc2.net/
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