【清水利彦コラム】連載企画「フットボールの歴史を彩る一枚の写真」第3回:カレッジフットボール、最古の写真 2022.10.14

清水利彦(S52年卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com

今回は、私が所蔵するたくさんの歴史写真の中から、米国カレッジフットボールの一番古い写真をご紹介します。

下はカレッジ最古の写真、1888年(明治21年!)のエール大学チーム集合写真です。中央の人が「Champions 1888」と書かれたボールを持っているので、全米王座獲得の際の記念写真とわかります。

1888年エール大全米王座獲得 出典:Rites of Autumn by Richard Whittingham

11名で撮影していますので、ベストイレブンだけに与えられる栄誉の写真であったと想像します。
一番左端に写っている選手が、エイモス・アロンゾ・スタッグ。のちにシカゴ大伝説の名コーチとなり1946年までに314勝199敗35分の戦績を残しました。35年後の1981年、アラバマ大のポール・ベア・ブライアントの記録(323勝)に抜かれるまで、全米最多勝コーチとして君臨しています。

この写真をじっと見ていて気付いたのですが、これはもしかして、「屋外ではなく、スタジオで撮影された写真」ではないでしょうか?つまり背景の木々や建物は絵画であり、ベンチや枯れ草はスタジオに実物を持ち込んで撮ったのではないかと思うのです。当時のスタジオ用カメラは巨大な固定装置であり、簡単に屋外に持ち出せるようなシロモノではありません。ライティングも屋外で撮ったにしては、うまく当たり過ぎています。もし私の想像が当たっているならば、この写真はとてつもない手間(と、おそらく費用も)をかけたものですね。

写真という概念はかなり古くからありますが、写真乾板が発明されて、持ち運びができるような(それでも巨大なカバンくらいのサイズ)カメラが登場したのが1871年。イーストマン・コダックの第一号カメラの発売が1888年ですから、その同じ年に撮影されたことになります。屋外で簡単にスナップ写真が撮れる時代ではありません。日本で古い写真と言えば坂本龍馬のものが有名ですが、下の写真は慶應2年(1866年)に撮影されたと言われています。

1866年の坂本龍馬。当時30歳でしたが、31歳で暗殺されました。長崎の上野撮影局(フォトスタジオ)にて 出典:日本版ウィキペディア

エール大学はアイビーリーグの一員であるため、現在はNCAA2部(正確に言うとFCS I-AAクラス)に所属しており、たとえシーズンを全勝で終えても、4校による全米王座決定トーナメントに進めるわけではありません。しかし、この写真の頃は正真正銘、誰もが認める全米最強のチームでした。

当時の強豪チームと言いますと、エール大(1872年創部)の他に、プリンストン大(1869年)、ハーバード大(1875年)、ペンシルバニア大(1876年)とアイビーリーグ勢が中心でした。

プリンストン大とラトガース大(同じく1869年創部)が全米最古のフットボール部であり、両校の対戦がフットボールの起源と言われています。1869年にホーム&アウェイ方式で2試合実施しました。

1869年11月06日 ラトガース 6-4 プリンストン 於ラトガース大
1869年11月13日 プリンストン 8-0 ラトガース 於プリンストン大

残念ながらこの時の写真は発見していません。当時のルールはラグビーに近いもので、敵陣にボールを持ち込むたびに、サッカーのように1点ずつの得点となりました。パスを投げるという概念はなく、ボールを持って突進か、キックを蹴るか、あるいは拳でボールをボコンと叩いて前に進ませるか、という手段が認められていました。

エール大フットボール部は上記二校に3年遅れて発足したことになります。アーミー(1891年)やノートルダム(1899年)は創部がもう少し後です。

つまり当時フットボールをしていたのは、アイビーリーグ等の超名門大学に限られており、それらの学校のフットボール選手達はすべて文武両道の誉れ高いエリートたちと言えるでしょう。まだ、ごく一握りの人たちしか大学に進めない時代です。

1880~1897年の18年間は、まさにエール大の黄金時代でした。188勝5敗6分(勝率.974)という信じ難い戦績を残しています。その中でも1888年はエール大史上最強と言われたチームで、13勝0敗。その頃は既にタッチダウンという概念が出来ていたようで、総得点694(1試合平均53.4)、総失点0(つまり全試合完封勝ち)の記録が残されています。シーズン最終戦は、やはり全勝で勝ち上がってきたプリンストン大との激突でしたが、10-0で勝利しています。

さて、ここまで原稿を書き進めるに際し、ネットで様々な古い時代のサイトを読んで編集を重ねてきたわけですが、英語版ウィキペディアの「Yale University Bulldogs Football」というサイトに、私が所蔵する写真よりも古いものが掲載されていました!! 1876年(創部5年目)のエール大写真です。

1876年エール大 出典:Wikipedia

選手達はスキー帽のようなキャップを被っています。当時これを被ってプレーしていたのか、あるいは撮影用の正装として帽子を着用したのかはわかりません。(たぶん後者?)帽子からYaleのイニシャル入りユニフォーム、ストッキング、長靴まで見事に統一されており、当時としては大変高価なユニフォーム一式であったろうと推察します。ただし、全員がパジャマを着て写真撮影をしているようなイメージがありますね。笑

中央の人(主将?)が持っているボールは、楕円形というよりはほぼ真ん丸のように見えます。ボールにChampionと刻字されているので、全米王座獲得記念写真と思われます。

College Football Reference.comによると、1876年のエール大の戦績は下記の通りです。

1876年11月18日 対ハーバード大 1-0で勝利
1876年11月30日 対プリンストン大 2-0で勝利
1876年12月09日 対コロンビア大 2-0で勝利

年間わずか3試合しかしていないのです。これで「全米王座」を名乗るのはちょっと無理かなという気がします。種明かしをしますと、当時は複数の出版社など5つの機関が、それぞれ独自の「全米ランキング」を発表していました。そのため同じ年に全米王座と評価される大学が複数になることが多々あり、その場合、選ばれた大学はそれぞれが「我が校が全米チャンピオンである」と主張することになります。同じ年に5つの大学が「我が校が全米王座」と名乗るようなこともあったということです。

エール大は過去27回全米チャンピオンになったと主張していますが、このうち19回は1899年以前のことであり、「主観的な基準によりチャンピオンと主張している」ケースが含まれているものと考えています。

1936年にAP(Associated Press)が、62人の「スポーツ記者と放送担当者」の投票による全米ランキングを発表するようになってからは、AP Pollを基準として(単独の)王座を決めるのが一般的になりました。私のコラムでも可能な限りこの基準に倣っています。

今回、昔の記録を調査して感銘を受けたことがあります。今から150年近く前におこなわれた試合においても、「〇年〇月〇日、○○○大学vs□□□大学 スコア〇-〇」という試合結果情報が全て記録として残されているのです。今はNCAAが記録を管理しているのかもしれませんが、NCAAが創設されたのが1910年ですから、それ以前の記録も各大学にてきちんと保管されていたものと確信します。

「名門校だから」とか「チャンピオン経験のあるチームだから」記録が残っているわけではありません。少なくともNCAAの一部と二部の全大学については、創部以来今日までの全記録が残されており、いつでも閲覧することができます。

逆に言えば、「記録が残っていなければ、部活動をしていたとは認められない。その試合がおこなわれたとは認められない」という感覚が、米国スポーツ界にしっかり根付いているのではないかと考えるのです。

日本のフットボール界で、記録の重要性を最も認識しておられるのは関西学院大学であると思います。関学のイヤーブックを見ますと、創部(1942年)以来現在までの全試合結果が、春のオープン戦にいたるまできちんと残され、毎年更新されており、心から敬服いたしております。

次回は「プロフットボール、最古の写真」をご紹介します。

「過去の歴史を知ろうとしない者に、未来を語る資格はない。」

ウディ・ヘイズ オハイオ州立大コーチ
205勝61敗10分 .761 全米王座獲得2回

フットボールの歴史だけではなく、戦争の歴史にも精通しており、どの軍人が、どの戦争で、どのように闘ったか等を、いつも部員に話して聞かせていました

日大戦勝利に想う

今回の原稿を書き上げたあとに、日大戦をオンライン放送で観ましたので追記します。

「引き離されては追いすがり、また引き離されては追いすがり、最後にひっくり返す」という、応援する者にとって最高の展開でした。9点差をつけられた後のあわてない着実な攻撃も良かったし、2点差に迫った後の日大を3&Outに抑えた守備も良かったです。残り3:30を切ってからは、まだ負けているというのに泣きながら観ていました。

日大戦勝利は2016年(慶應27-6日大、李卓主将の代)以来6年ぶり。日大と試合をしたのは5年ぶりでした。

日大に勝ったからと言って、事態が好転したわけではありません。2次リーグは下位グループ入りが決まっており、4校でおこなう下位総当たり戦では「上2校がBig8との入替戦出場。下2校はBig8へ自動降格」という崖っぷちの状況が続く事は全く変わりません。

変わったのは、「選手の自信」と「チームの士気向上」という心の中の問題だけです。この二つの変化を武器に、これからの試合を堂々と戦い、勝ち抜いてほしいと思います。

次節の日大vs立教で日大が敗れると、日大が下位グループに回ってきて再戦となります。我が部87年の歴史で、日大と年間に2回公式戦を戦ったことは一度もありません。(対法政はあります)

昭和33年(1958年)の秋季リーグで、慶應・日大・立教が三つ巴の優勝争いをおこない、3校で優勝決定戦をおこなう気配濃厚でした。しかし慶應が早稲田と引き分けてしまい、日大・立教が6勝1敗、慶應が5勝1敗1分となり、日大と立教が優勝決定戦(再戦)の末、日大が甲子園ボウルに進みました。この時が「日大と年2回試合し得た唯一の惜しいチャンスだった」と思っています。

「日大に年2回勝った唯一の代として、ユニコーンズの歴史に永遠に残る」というチャンス到来を楽しみに、「日大よ、是非もう一度試合をやらせてくれ」という心構えのもと今後の練習に励む、との考え方はいかがでしょうか?

 


「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
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