清水利彦(S52年卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com
11月8日付コラムで、「ヒューストン・オイラーズのエースRBアール・キャンベル物語」を書きましたが、なにせヒューストン・オイラーズというチームは1996年までしか存在していませんので、若い卒業生の方には、「えっ?ヒューストン・テキサンズは昔、オイラーズという名称だったの?」と驚かれた人も居られるかと思います。
ヒューストン・オイラーズは、テキサンズではなく、現在のテネシー・タイタンズにあたります。
チームの移転と名称変更がおこなわれた経緯について、今回調べてみました。アール・キャンベル物語の続編とも言うべきコラムとなります。
ヒューストン・オイラーズHouston Oilersは、1960年NFLに対抗して創設された新興リーグAFL(American Football League)の一員として誕生しました。AFLの発足については、「コラム:チーフスの歴史」の中で詳しく述べましたので参考にしてください。
チーフスのオーナー、ラマー・ハントの呼びかけに応じて7人の富豪や実業家が新興リーグ設立に参加しました。そのうちの一人がオイラーズ・オーナーのバド・アダムスです。
バド・アダムスの父親、ケネス・アダムスは38歳の若さでフィリップス石油の2代目社長となり、30年かけて会社を巨大企業に育て上げた伝説の人物として知られます。2022年Fortune500において、全米29位の売り上げを誇る大企業です。フィリップス石油のロゴマークは、きっと皆様も見たことがあるでしょう。
つまりオイラーズは、潤沢なオイル・マネーによって生まれたチームであり、その通りに命名されたチームだったのです。ヘルメット・ロゴは油田に立ち上げたヤグラを示しており、私は昔、カッコ悪いロゴマークだなと思っていましたが、今では「クラシックなロゴで、すごくカッコいい」と感じます。
バド・アダムスは37歳でオイラーズを立ち上げ、初代オーナーとなりました。そして90歳で亡くなるまで53年間オーナーであり続け、死後は娘のエイミー・アダムスが二代目オーナーとなって現在に至っています。つまりテネシーに移転したのはチームが売却されたためではなく、オーナー(アダムス家)の意志により本拠地を移したということです。
1960年に新設されたAFLにおいてオイラーズは、初年度から2年続けてチャンピオンとなっています。この時のQBはベテランのジョージ・ブランダ。35歳でベアーズからトレードされたブランダはQB兼プレースキッカーとして42歳になるまでオイラーズで奮闘しました。シーズン36TDパスという自己最高記録を作っています。
そこで引退するかと思いきや、オークランド・レイダースに移ったブランダは更に6年間活躍を続けます。通算プロ生活26年というとんでもない数字を築き上げ、結局48歳でキャリアを終えましたが、この記録はNFL最年長選手記録としていまだに破られていません。
ただし私は、ブランダの持つ一番すごい記録は、「959回エクストラポイント・キックを蹴って、943回成功させた、成功率98.3%」ではないかと思っています。しかも失敗した16回のうち6回は、引退直前の47,48歳の時のもので、その前は24年間で10回しか失敗していません。
「初老のオジサンのような風貌のジョージ・ブランダ」がプレーする様子は、下記You Tube画像(4分)をご覧ください。
オイラーズが初代と二代目のAFLチャンピオンとなり、バド・アダムスは「これから何度もこのような栄光が繰り返されるに違いない」と思ったことでしょう。ところが現実には、1961年の優勝が最後で、昨年まで62年間一度も優勝していません。「オイラーズ(タイタンズ)は勝てそうで勝てない、悲劇のチーム」となったのです。
1978,79年にアール・キャンベルの活躍で、あと一つ勝てばスーパーボウルという所まで進みながら2回ともスティーラーズに完敗しました。
1970年にNFLに加盟して以来、結局一度もスーパーボウルを経験せずに、1997年ヒューストンからテネシー州ナッシュビルに移転しました。移転の時点でヒューストン市の人口は約195万人で、ニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴに次いで全米第4位の大都市でした。一方、ナッシュビルはテネシー州最大の都市とは言うものの、人口53万人程度。ずいぶんと小さいマーケットへの移転進出ということになります。(現在は70万人ほどに増えています)
移転の理由としては「新しいフットボール専用スタジアムの建設というオーナー側の要望(野球場と兼用のアストロドームを使用していた)を、ヒューストン市長が断ったため、バド・アダムスが不満を抱いた」というような記述が見られます。
地元のNFLチームを失ってしまったヒューストン市民は、5年間の空白の後、2002年にヒューストン・テキサンズという新設チームを得ることが出来ました。しかしテキサンズも創設以来22年間、一度もスーパーボウル出場がありません。
ダラス・カウボーイズが28年間優勝から遠ざかっていることと合わせて、「優勝出来ないテキサス州」の現状を嘆いている地元州民の熱烈ファンが多いことと推察します。
テネシー州ナッシュビルに移転したオイラーズは、最初の2年だけ「テネシー・オイラーズ」と名乗っていましたが、さすがにこの名前では州の実態とチーム名が合わないと考えたのでしょう。1999年からテネシー・タイタンズと改名されました。
テネシー州に移転してからのタイタンズは通算227勝218敗、勝率.510と、決して弱いチームではないのですが、一度もチャンピオンにはなっていません。
タイタンズは一度だけ、優勝にあとわずかという所まで近づいたことがあり、2000年1月の一か月の間に、「奇跡的な勝利」と「奇跡的な敗北」の両方を経験したことで有名なチームです。次号ではこの二つの奇跡をご紹介しましょう。
奇跡の勝利は「ミュージックシティ・ミラクル」という名称で語り継がれていますし、奇跡の敗北は「ザ・ロンゲスト・ヤード」と呼ばれていますので、その言葉を聴いた事がある方は多いと思います。
<おまけ>
※以下は11月28日時点で書いています。
前回のコラムで、アーミーとインディアナ大学が記録的な「開幕戦からの連勝」を続けていることを掲げ、両校を応援すると宣言しましたが、11月23日にアーミー(CFPランキング18位)はノートルダム大(6位)に14-49で大敗。インディアナ大(5位)も、オハイオ州立大(2位)に15-38と歯が立ちませんでした。トホホ・・・
アーミーはランキングから完全に姿を消しましたが、インディアナ大はまだ10位に残っており、最終戦パデュー大(今期1勝10敗と絶不調)に勝てば、全米大学選手権(12位まで)に残れるでしょう。
インディアナ大は部創設以来126年の歴史で、ランク15位以内に入ったのは2020年(コロナ災禍でスケジュール大幅短縮)の一度だけです。
※12月1日、上記のコラム原稿を広報部会に提出しようとした寸前に、とんでもないニュースが舞い込みました。10勝1敗でランク2位のオハイオ州立大が、6勝5敗と低迷するミシガン大に、地元コロンバスで負けてしまったのです。昨年度全米王座に輝いたミシガン大でしたが、今年は様変わりの苦戦続きで、オハイオ州立大には大差で負けるだろうと予想されていました。ところが最後にミシガン大が意地を見せたことになります。
残念なのは、大激戦が終わった後、両軍の選手たちがフィールドの中央でケンカを始め、大乱闘の寸前までいってしまったこと。BIG TENリーグは両校に10万ドル(1500万円)の制裁金を命じたとのことですが当然でしょう。オハイオ州立大vsミシガン大の対戦は「The Game」の名で知られるカレッジ界最高峰の試合であるはずですが、こんなことで色褪せてしまうのは悲しいです。
試合の模様がさっそくYou Tube画像(8分)となっていますので、是非ご覧ください。最後にケンカのシーンも観ることができます。
Michigan vs. Ohio State: MINI-MOVIE of 2024 ‘The Game’ | FOX College Football 🎥 – YouTube
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