【清水利彦コラム】ブランドン・バールスワース物語  全米カレッジ最強のウォーク・オン選手 2025.04.3

清水利彦(S52年卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com

私の蔵書の中に、スポーツイラストレイテッド誌の「The College Football Book」という写真集があります。フットボール創生期の貴重な写真や、最高の瞬間を捉えた写真が満載で、大変重宝しています。

その中に一枚、下の変わった写真がありました。

試合中のアーカンソー大OL#77ブランドン・バールスワース      出典:The College Football Book, Sports Illustrated

 

フットボール選手が分厚い黒縁メガネをかけているのが異様です。選手名がブランドン・バールスワース(Brandon Burlsworth)ということだけわかりましたので、調べてみたところ、すごい経歴の選手であるとともに、感動と波乱の人生を送った青年であることがわかりましたので、皆様に紹介します。

ウォーク・オン部員とは

ブランドン・バールスワース(通称バールス)は、アーカンソー大学にウォーク・オン部員として入部し、オールアメリカ・チームに選ばれるまで成長し、NFLドラフトによりインディアナポリス・コルツに指名された人物です。このコラムの中でも「バールス」と呼ぶことにします。

まずウォーク・オン部員(Walk-on)という言葉の定義を確認してみましょう。
(浅学にて原稿を書いていますので、誤りがありましたら遠慮なくご指摘ください)

  • 大学チーム側から勧誘されて入部するのではなく、自ら志願して入部を申し出た部員
  • 大学から体育奨学金(Athletic Scholarship)を受けずに入部している部員

のことを指します。強豪一部校(NCAA DivisionⅠ、FBS=Football Bowl Subdivision、現在134校)においては体育奨学金を出すのは全部で85名までと規定されています。「フットボール部1チームに85名も奨学金を出せるのか?!」と驚きます。免除する授業料分だけでも大変な総額になりますね。この85名枠に入れなくても入部を希望する学生が、ウォーク・オン部員となるわけです。

85名も優秀な選手が居れば試合をするには十分なので、ウォーク・オン部員が試合で活躍することはほとんど期待されていません。通常はスカウティング・チームに入って、一軍選手達の「練習台」になること等が一般的です。4年間ずっと部活動に参加しても一度も試合でオンスーツになれないケースがありますし、遠征試合に帯同させてもらえない等の差別待遇を受けることが多いと聞きます。
ただし、ごくまれにフットボール能力を認められて「2年生になってから奨学金を与えられる」などの措置を受けて、奨学金支給部員に昇格する可能性もあります。(※その場合は、新入部員の奨学金支給者枠を一人減らして85名枠を超えないようにします)

ウォーク・オン部員からオールアメリカに選ばれたブランドン・バールスワース。アーカンソー大のヘルメットには、レイザーバックス(背中がカミソリのように切り立っている野生の豚)のロゴが描かれています  出典:Wikipedia

バールスが起こした奇跡

バールス(ブランドン・バールスワース)は、アーカンソー州北端の田舎町ハリソン(人口1万3千人)で生まれ育ちました。地元ハリソン高校でOL(オフェンスラインマン)として活躍しましたが、チームは強豪ではなく高校フットボール界で注目される存在ではありませんでした。

高校卒業時、二部所属の大学からは「うちでフットボールをやらないか」と誘われましたが、バールスの思いは「憧れのアーカンソー大学でプレーする」ことでした。プロスポーツがないアーカンソー州で、アーカンソー大フットボール部レイザーバックスは唯一、全国レベルの強豪チームだったのです。SECリーグに所属し、アラバマ大やテネシー大等の超強豪校と毎年切磋琢磨しています。

バールスは勉強にも励み、受験をして1994年アーカンソー大学経営学部に合格したので、ウォーク・オン部員になる決心をしました。ところが部室を訪れて入部希望を申し出たところ、思ってもみなかった返事をもらいます。
レイザーバックスのオフェンスライン・コーチ、マイク・ベンダーはバールスに、「我が部は体重300ポンド(136㎏)以上ある者しか、オフェンスライン(OL)として入部させない」と告げました。

バールスは身長193cmと長身でしたが、体重は111kgしかありませんでした。高校でプレーするには充分な体重でしたが、ベンダー・コーチには「この、度の強いメガネをかけた細身のラインマンは、我が部では使い物にならない」と見えたのでしょう。体重制限の件は彼の入部を断る口実でした。

しかしバールスはあきらめませんでした。その日からひたすら食べまくりブクブクに太って、3か月後には体重を136kgまで増やし、再び部室を訪れました。もうベンダー・コーチには入部を断る理由がなく、バールスはウォーク・オン部員として入部を認められたのです。

その時点でフットボールシーズンはほぼ終わっていたため、バールスは「レッドシャツ制度」の申請をおこない、次年度から更に4年間の選手登録が可能になるようにしました。そうすると計5年分の授業料を払うことになりますが、彼は少しでもプレーする機会・可能性を増やしたいと願っていました。

次にバールスがおこなったのは、太った体をシェイプアップして元に戻し、動ける身体にすることでした。一旦120kgまで下げて贅肉を落とし、そこからウエイトトレーニングで筋肉をつけ136kgまで再び増やしました。大学4年時には141kgの筋肉隆々たる大型OLに変身しています。

1995年秋、一年生部員として練習に参加したバールスは、真面目に、そして必死に練習メニューをこなしました。じわじわと力をつけ、日々向上してゆくバールスに、コーチ陣は次第に注目するようになりました。1996年(2年生)のシーズンを迎える際に、バールスには体育奨学金が与えられることになり、同時に右オフェンスガード(OG)のスタメンを獲得しました。

いつしかバールスはヘッドコーチ、ダニー・フォードのお気に入りの、模範的な選手になりました。コーチの練習中の口癖は、「バールスを見習え」、「バールスがやっていることと同じようにやれ」でした。コーチ陣が彼について最も高く評価している点は、「他の誰も見ていない時でも、バールスは必ず正しいことを、正しいやり方で、全力でおこなう」ことでした。バールスはいつの間にかアーカンソー大の模範であり、中心選手に成長していたのです。

3年生になったとき、バールスは4名のチームキャプテンのうちの一人に指名されましたが、チームは4勝7敗に終わりました。そして翌1998年、最終学年となったバールスに、これまでの努力が報われる時がやってきます。

1998年、アーカンソー大はシーズン開幕から8連勝しました。8連勝にはアラバマ大、オーバーン大、ミシシッピ大という強豪校を次々に破る大金星が含まれており、アーカンソー州の人々は歓喜・熱狂しました。9戦目が、その時点で全米ランク1位であったテネシー大とのアウェイ試合でした。アーカンソー大はテネシー大に一歩も譲らず互角に戦いましたが、24-28で惜しくも敗れました。

シトラスボウルに招待されてミシガン大に敗れたため、AP最終ランクは16位でした。それでもアーカンソー大が最終ランク20位以内に入ったのは9年ぶりのことでした。
バールスの成長と共に、チームも大きく成長していたのです。

バールスは勉学においてもいっさい手を抜かず全力を尽くしました。経営学部において、学士号だけでなく、大学院の修士号(MBA=Master of Business Administration)も取得しています。最終学年のボウルゲーム出場(1月)より前に修士号を取得したのは、フットボール部員としては部創立93年目で初めての快挙でした。

アーカンソー大の大躍進が注目され、シーズン終了後にバールスはオールアメリカ(College Football All-America Team)に選出されました。ウォーク・オン部員を希望したが一旦は入部を断られた選手がオールアメリカに選ばれるのは奇跡のような出来事でした。

周囲の人々は、次にバールスがNFLドラフトで指名されるかどうかに注目しました。

1999年4月17日に開催されたNFLドラフトで、バールスはインディアナポリス・コルツから第3巡63番目(253人中)に指名されました。力が強いだけでなく、OLとしては俊敏なバールスを、コルツは高く評価しており、OLコーチのハワード・マッドは、彼を新人ながらOGのスターターとして起用しようと考えていました。

バールスの突然の死

コルツがドラフト指名した日から、わずか11日後の4月28日、バールスが運転する自動車がトラックと衝突する事故により、バールスは22年の短い生涯を終えました。彼の輝かしいプロフットボール人生がこれから始まろうという矢先の悲劇でした。

コルツは1999年のシーズン、ヘルメットの後ろに「BB」というバールスのイニシャルを掲げて全員がプレーしました。チームでまだ一試合もプレーしていない選手への哀悼行為は異例のことでした。
アーカンソー大レイザーバックスは、バールスの背番号#77を永久欠番としています。

1999年、コルツのヘルメットに描かれた「BB」のイニシャル

早すぎる死をとげたことにより、皮肉にも、バールスの起こした奇跡は世間に広く知られ、大きな注目を集めることになりました。

アーカンソー州に本社を置くウォルマート(全米最大の小売業)等多くの企業が協力して、「ブランドン・バールスワース基金財団」が設立され、経済的に困窮する若者たちを救う制度や、恵まれないウォーク・オン部員を支援する制度など、様々な社会福祉活動がバールスの名のもとに展開されています。
財団はアーカンソー大のホームゲームチケットを毎試合、30枚購入して、州内の子供たちを招待しています。子供たちは「Burls Kid(バールスの子供達)」と書かれたTシャツを着て、全員が分厚い黒縁メガネをかけて、レイザーバックスを応援します。

財団のモットーは「常に正しいことを、正しいやり方で、全力でおこなう」。まさにバールスの生き様そのものを財団が引き継ぐ形となりました。

ブランドン・バールスワース基金財団の活動の一環として、アーカンソー大の練習に招待され、コーチの話に耳を傾ける子供達  出典:Brandon Burlsworth Foundation.org

2010年から、ウォーク・オン部員として入部した大学選手の年間最優秀賞として「バールスワース・トロフィー」が贈られることになり、ウォーク・オン部員達に対して、大きな希望を与える機会になっています。過去に受賞した選手の中には、ベイカー・メイフィールド(現バッカニアーズQB)がいます。メイフィールドは、テキサス工科大にウォーク・オン部員として入部し、のちにオクラホマ大に転校してバールスワース・トロフィーを受賞し、更にハイズマン賞を獲得したことになります。

2016年には、バールスの奇跡の生涯を描いた「Greater」という映画が制作・上映されています。

映画「Greater」のポスター  出典:Wikipedia

ブランドン・バールスワースの生前の姿は、下記You Tube画像でご覧ください。6分半

The heartbreaking story of the greatest walk-on ever, Brandon Burlsworth | College GameDay

ユニコーンズには体育奨学金という制度はありませんから、全員がウォーク・オン部員であると言えますね。我が部にもバールスのような「正しいことを常に全力でおこない、他の部員の手本となる選手」がたくさん育つことを願っています。

<お詫び> 前号コラムで、バッファロー・ビルズの「17年間プレイオフ出場なし」というのは、全米の4大プロスポーツ(フットボール、野球、バスケットボール、アイスホッケー)でのプレイオフ不出場期間最長記録と書きましたが、読み込んだ情報元が「ガセネタ」だったようで、ちょっと調べただけでも、大リーグ野球、カンザスシティ・ロイヤルズの1986~2013年、28年連続プレイオフ不出場等、もっと長い記録がいくらでもありそうです。お詫びして撤回します。ごめんなさい。

 


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