【清水利彦コラム】オクラホマ大学、不滅の47連勝「バド・ウイルキンソン物語」 2025.10.16

2025/10/16
昭和52年(1977年)卒 清水利彦
shimizu.toshihiko2@gmail.com

もし私が「カレッジフットボール史上における、最も偉大な記録は何か?」と問われたら、おそらく「1953年から1957年にかけて作られた、オクラホマ大学の47連勝」と答えるでしょう。この47連勝の間には引分けが一度も無く、現在まで67年間、全米一部校の中では破られていない純粋な連勝記録です。多数の強豪校がひしめく現代のカレッジフットボール界においては、「オクラホマ大の47連勝は、おそらく永遠に破られることのない記録」なのであろうと私は考えています。
この記録を作ったヘッドコーチが、バド・ウイルキンソンでした。

引分けを間に挟む記録としては、かつてミシガン大の55連勝(1引分けを挟む)や、エール大の47連勝(1引分けを含む)等があるのですが、これらはいずれも百年以上前の記録です。

私はAP(Associated Press)による全米カレッジフットボール・ランキング制度が始まった1936年以降の全米王座獲得数を「正式記録」として受け入れています。1935年以前の記録は「参考程度」にとどめているのです。なぜなら1935年以前は複数の機関が独自にチャンピオンを選んでおり、一つの機関から選ばれるだけでも、その大学は「うちが今年度のチャンピオン」と名乗るので、一年に4つも5つもの全米王座校が誕生することが頻繁に起こっていたのです。

連勝記録や最多勝記録も同様で、古い記録はその価値を割り引いて考えるべきです。例えば、エール大は創部された1872年から1909年までの38年間で、334勝17敗18分、勝率.952というとんでもない戦績を残し、17回全米チャンピオンになったと同校は主張しています。しかし1890年を例にとると、この時点で本格的にフットボール競技をおこなっていた大学は全米でわずか18校。この他に「草フットボール程度」のレベルで競技をしていた大学が相当数あったと推測されます。エール大の勝利数には、こんな弱小校相手の勝利も含まれていたわけです。

1953年、シーズン初戦ノートルダム大に敗れて下を向くバド・ウイルキンソン。しかし、この後から47連勝が始まりました。 出典:I Remember Bud Wilkinson, by Mike Towle

その点、1950年以降に達成されたオクラホマ大学の連勝記録は正真正銘の本物と言えましょう。47連勝中は、レベルの高いBIG7(のちのBIG8)リーグで常に戦い、テキサス大やネブラスカ大に4戦全勝。1956年にはアウェイのノートルダム大戦での40-0の完勝が含まれています。
もう少し詳しくオクラホマ大学の47連勝記録の内容を見てみましょう。

<1953年>9勝1敗1分 総得点240 総失点63 最終APランク4位
初戦ノートルダム大に21-28で負け。第二戦ピッツバーグ大に7-7で引き分けという最悪のスタートでしたが、続くテキサス大戦に19-14で勝利して波に乗り、ここから8連勝します。BIG7リーグで優勝(7連覇)してオレンジボウルに出場し、メリーランド大に7-0で勝利。

<1954年>10勝0敗 総得点304 総失点62 最終APランク3位
初戦カリフォルニア大、第二戦テキサス・クリスチャン大と強敵2校から接戦で勝利を挙げ、そのまま全勝でシーズンを終えます。BIG7リーグ8連覇。ところがボウルゲームには出場しておらず、APランクも3位に終わりました。APが選んだ全米王座はオハイオ州立大でした。

<1955年>11勝0敗 総得点365 総失点54 全米王座獲得
初戦ノースカロライナ大に13-6と辛勝した以外は、大差の圧勝が続き全勝。BIG7リーグ9連覇。オレンジボウルにてメリーランド大に20-6で勝利して、オクラホマ大が2度目の全米王座獲得。この時点で30連勝となったため、翌年には1948~50年にオクラホマ大が創った31連勝を超えられるかと、世間は大騒ぎになりました。

<1956年>10勝0敗 総得点466 総失点51 2年連続全米王座獲得
史上最強と思われた前年より、オクラホマ大は更に強くなりました。オフェンスが猛威をふるって圧勝が続きます。途中ノートルダム大に40-0で勝利しますが、これはノートルダム大にとって歴史的な屈辱の大敗でした。完封勝利が6回ありました。BIG7リーグ10連覇。ボウルゲームには出場していませんが、APはオクラホマ大をチャンピオンに選びます。ここまでで40連勝

<1957年>10勝1敗 総得点285 総失点68 AP最終ランク4位
連勝記録がどこまで伸びるかと全米が注目していましたが、前年と比べると明らかに得点力が低下していました。第5戦コロラド大に14-13と薄氷を踏むような勝利となり、その後も47連勝まで勝ち続けましたが、11月16日の第8戦、ついに運命の日がやってきます。地元オクラホマ州ノーマンに遠征してきたノートルダム大と対戦し、守備合戦の大接戦の末、0-7で敗れ、連勝記録は47で終わりました。ノートルダム大は前年大敗の汚名を返上したことになります。オクラホマ大はその後2試合勝利して、BIG8リーグは11連覇し、オレンジボウルでもデューク大に48-21で勝ちました。

今回のコラムを書くための貴重な資料となった書籍、「I Remember Bud Wilkinson」の表紙 Cumberland House Publishing,  Written by Mike Towle

この47連勝を果たした5年間、オクラホマ大には傑出したエース選手が居たわけではありません。1952年にビリー・ベッセルズというスーパースターRBが居て、オクラホマ大初のハイズマン賞を獲得していました。彼の卒業後は戦力が落ちると予想されていましたが、落ちるどころかどんどん強くなり、大記録を打ち立てたのを見て、ファン達は「オクラホマの勝利は選手の力によるものではない。ヘッドコーチ、バド・ウイルキンソンの指導力による連勝記録だ」と考えるようになりました。
今回はバド・ウイルキンソンという人物について調べてみました。

バド・ウイルキンソン物語

バド・ウイルキンソンは1916年ミネソタ州ミネアポリスで生まれました。金融会社を営む父親のもとで比較的裕福な家庭に育ちました。7歳の時、母親が病死してしまったため、父は彼を寄宿舎学校に入れました。親元を離れ、厳格な規律の元で少年時代を過ごしたことが、のちの彼の人格に大きな影響を与えています。運動能力に優れたバドは、高校でフットボール部・野球部・バスケットボール部・アイスホッケー部に所属し、それぞれでめざましい活躍をしました。

バドは高校卒業後、地元の名門校ミネソタ大に進みました。アイスホッケー部(ミネソタ大はアイスホッケーの超強豪として有名)のスター選手として活躍する一方、フットボール部ではQBを務めました。オールBIG TEN一軍チームのQBとして表彰されています。
当時ミネソタ大フットボール部のヘッドコーチは、バーニー・ビアーマンでした。
フットボール理論に優れたビアーマン・コーチはミネソタ大をめきめきと強くし、1936年バド・ウイルキンソンが4年生の時、ミネソタ大は史上初めて全米王座を獲得します。つまりAPランキング制度が導入された後、初めての全米公認チャンピオンがミネソタ大だったのです。

バド・ウイルキンソンはNFLパッカーズからドラフト第3巡で指名されますが、入団を拒否し、フットボール・コーチの道を選びます。シラキュース大で3年間アシスタントコーチをした後、彼は海軍に入隊します。戦艦の甲板士を務めた後、アイオワ航空訓練学校フットボール部のアシスタントコーチとなりました。この時、同校のヘッドコーチは、やはり海軍入隊していたバーニー・ビアーマンで、バドはビアーマンから再びコーチング技術を習得する幸運な機会を得たことになります。

2年後に太平洋戦争が終結し、復帰したバド・ウイルキンソンを熱心に誘ったのはオクラホマ大学の新任ヘッドコーチ、ジム・テイタムでした。この当時、オクラホマ大学はまだ強豪校としての名声を築いておらず、東海岸や五大湖周辺の名門校と比べて「明らかに格下の、田舎大学」という印象でした。

1946年、ジム・テイタムとバド・ウイルキンソン(アシスタントコーチ)は力を合わせて戦力を向上させ、オクラホマ大学は8勝3敗という好成績を収め、APランキング14位となりました。するとジム・テイタムはメリーランド大(つまり当時の格上チーム)から引き抜かれ、たった一年でオクラホマ大学を去ってしまいます。

その時、大学に残された選択肢は、「バド・ウイルキンソンのヘッドコーチ昇格」しかありませんでした。こうして、弱冠31歳のオクラホマ大学体育局長(Athletic Director)兼ヘッドコーチが生まれたのです。当初オクラホマ大学の熱烈ファン達の反応はかなり冷たいもので「あんな、経験の少ない若僧に任せて大丈夫なのか」という声が上がっていました。

1947年、就任後すぐに2連勝しましたが、その後テキサス大に負け(14―34)、カンザス大に引分け(13-13)、テキサス・クリスチャン大に負け(7-20)と続いた時点で「バド・ウイルキンソンをすぐにクビにしろ!!」という声が上がっています。しかし、ここからチームは踏ん張り5連勝して7勝2敗1分でシーズンを終えました。BIG7リーグでも同率優勝を果たし、コーチに対する非難の声は消えました。
そして、その翌年1948年からオクラホマ大は怒涛の勢いで勝ち続け、黄金期を築くことになります。

<バド・ウイルキンソンの主な戦績>オクラホマ大在籍1947~63年、17年間
145勝29敗4分 勝率.833 全米王座獲得3回(1950、1955、1956年)
BIG7リーグ優勝14回(13連覇を含む)、BIG7リーグ内で76連勝
31連勝および47連勝の達成 ボウルゲーム8回出場(オレンジボウル4勝1敗、シュガー2勝1敗)

1953年、1敗1分のスタートから盛り返し、9連勝で終わったオレンジボウルの後、選手の肩に担がれるバド・ウイルキンソン  出典:Rites of Autumn, by Richard Whittingham

バド・ウイルキンソンのフットボール哲学は、次の2つの名言に集約されています。

「コーチがやらなければならない仕事とは、実はたった一つしかない。
それは、選手達に練習で同じ事を何度も何度も繰り返しやらせ、
完璧に実行できるようにさせ、試合の時にそれと全く同じ完璧なプレーを、
本能的に自動的に再現できるようにすることである。」

「チャンピオンになりたいと思うなら、対戦する敵よりも
つらい練習に耐える覚悟が必要である。」

バド・ウイルキンソン オクラホマ大コーチ

バド・ウイルキンソンの人となりを表すキーワードとしては、「常に冷静・温厚、理知的で、選手を平等・公平に扱い、規律に厳しく、礼儀正しいジェントルマン(紳士)」が挙げられるでしょう。フットボール・コーチと言えば、「選手を大声で怒鳴り上げ、尻を蹴っ飛ばす」のが当たり前のように思われていた時代の中で、彼は極めて異色のコーチでした。

バド・ウイルキンソン率いるオクラホマ大は、47連勝の前に、31連勝も記録しています。1950年度の最終戦シュガーボウルで、ケンタッキー大に7-13で敗れて32連勝出来なかったわけですが、この時ケンタッキー大のコーチは、若き日のポール・ベア・ブライアント(のちのアラバマ大伝説の名コーチ)でした。「あのバド・ウイルキンソンが、弱小ケンタッキー大の新米コーチに負けた!歴史に残る大番狂わせ!」とマスコミに書かれた有名な試合でした。

この試合の後に起きたエピソードが有名です。敗軍の将バド・ウイルキンソンは試合後、ケンタッキー大の更衣室を訪れ、まずポール・ベア・ブライアントと握手をして祝辞を述べ、そのあと選手達一人一人と握手を交わして健闘を讃えています。
この様子を見たポール・ベア・ブライアントは、目から鱗が落ちる思いでした。ベアはこれまで、負けた後は選手を大声で怒鳴りつけ、相手チームのコーチや審判員に対して悪態をつくのが当たり前だったのです。この日を境に、ポール・ベア・ブライアントはバド・ウイルキンソンを見習い、同様の紳士的振る舞いをするように改めました。このエピソードについては、私のブログ「ポール・ベア・ブライアントの生涯・第三章」に詳しく書きましたので参考にしてください。
「ポール・ベア・ブライアントの生涯」第3章 – アメフト名言・迷言集

ホワイトハウスで、ジョン・F・ケネディ大統領と会談するバド・ウイルキンソン。米国においては、カレッジフットボール・コーチの地位がこんなにも高いのかと驚かされます。
出典:Wikipedia

1960年、現職のオクラホマ大コーチでありながら、バド・ウイルキンソンは、アメリカ合衆国大統領、ジョン・F・ケネディが招集した「体育健康評議会」の理事に任命されます。
皮肉にもその年から、オクラホマ大の戦績は下降線をたどりました。(3勝6敗1分)彼の興味がコーチングから政治に移ってしまったのではないかと推察されます。

1963年シーズン終了後、バド・ウイルキンソンは47歳でオクラホマ大コーチから引退します。そして「翌年のオクラホマ州上院議員選挙に、共和党から出馬する」と発表し、世間は騒然となりました。
選挙結果は残念ながら民主党候補に僅差で敗れ、政治家を断念して、バド・ウイルキンソンはフットボールのTVコメンテーターに転身しました。

1978年、62歳でNFLセントルイス・カージナルスのヘッドコーチに就任し、再び世間を驚かせましたが、初年度6勝10敗、二年目に3勝10敗となってシーズン途中にもかかわらず解任されました。

バド・ウイルキンソンは本来ならば、全米カレッジフットボール界の歴代最高コーチとして名を残すべき人物ですが、このような「人生後半の尻すぼみ状態」が、いささか彼の評価を下げているものと考えます。しかし、不滅の47連勝と、彼が残した数々の名言は、いつまでも輝き続けています。
バド・ウイルキンソンは1994年に心筋梗塞のため77歳で亡くなっています。

「ムチを使うよりも、優しい言葉を使ったほうが、
ずっとうまく選手のやる気を引き出すことが出来る。」

「フットボールには、一つだけ不変の真理がある。
『スクリメージ・ラインを支配したチームが勝つ』のだ。」

「我々は試合中、敵と戦っているのではない。
おのれ自身と戦っているのだ。
全てのプレーにベストを尽くしているかを、常に試されているのだ。」

    バド・ウイルキンソン オクラホマ大コーチ

「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
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