清水 利彦(S52年卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com
スポーツイラストレイテッド誌は、2000年に「20世紀 最強の人々」という特別企画を組みました。
20世紀の100年間で、各スポーツ界における「ベストな人々」を選び、その栄誉を称えるという企画です。
そして、その中で「20世紀最強のフットボールのディフェンス・コーチ」に選ばれたのが、テネシー大伝説の名コーチ、ロバート・ネイランドでした。
※ボブ・ネイランドと言う名前で紹介されている文献もあります。またRobert Neylandは「ニーランド」と発音するべきと書かれた資料もあります。
ロバート・ネイランドはテネシー大ヘッドコーチであり、ディフェンス・コーチではありません。
しかし彼が率いるテネシー大は、173勝61敗12分 勝率.739でしたが、なんと173勝のうち112勝は相手に1点も与えず完封勝ちをしています。アラバマ大、ルイジアナ州立大、オーバーン大など超強豪が居並ぶSECリーグでの、この戦績は驚異的でした。恐ろしく守備の強いチームを常に育て上げていたわけです。テネシー大は1951年に全米チャンピオンとなっています。
ネイランドが残した記録の中で、最も偉大なのは1938年から1939年にかけて達成された17試合連続無失点勝利でしょう。この記録は今もNCAA記録として破られていません。また1939年はレギュラーシーズン10試合すべてを完封勝ちしており、こちらも最後のNCAAタイ記録として残っています。(※但し1939年の最終戦、ローズボウルではUSCに0-14で負け)おそらく、どちらも永遠に破られることはない記録と確信します。
ロバート・ネイランドは1892年テキサス州生まれ。軍人養成学校として知られるテキサスA&M大に一年間通った後、軍人として生きる決心をして、1913年陸軍士官学校(Army)に転校します。アーミーではフットボール部でラインマンとして活躍するかたわら、野球部ではエース投手となり、またボクシングの全米大学選手権でチャンピオンとなっています。卒業時には大リーグからのプロ入りの誘いを断り、1916年に陸軍に入隊し、ただちに第一次世界大戦でフランスの戦場に参加しています。
終戦後、マサチューセッツ工科大学(MIT)の大学院に進み、工学修士号を取得。再び陸軍に戻り、ダグラス・マッカーサー将軍直属の士官となりました。まさに文武両道を絵に描いたような人物だったわけです。軍人としてBrigadier General(准将)の地位まで上り詰めたため、のちに「カレッジフットボールの将軍」と呼ばれることになりました。
職業軍人でありながらも、フットボールコーチの仕事に魅力を感じたネイランドは、34歳でテネシー大学の軍事科学を教える教授となり、同時にフットボール部のアシスタントコーチとなります。そして一年後1926年にはヘッドコーチに就任し、最初の7年間で61勝2敗5分、勝率.968と勝ちまくります。
ネイランドのヘッドコーチ歴は、1926~34年、1936~40年、1946~52年という3つの時期に分かれますが、その空白期間は休んでいたわけではなく、軍人将校として戦地に赴いていました。
ロバート・ネイランドは、「パワーよりも、スピードを優先する」という、当時の指導者たちとは真逆の考え方を導入しました。
例えば、当時のユニフォーム(ジャージ)は「最も丈夫な素材で、最も頑丈に縫製して、絶対に破れないものが良い」とされていた考え方を、「破れても構わないから、出来るだけ軽く、しなやかで動きやすいものを着用する」という方針に改めました。防具(パッド類)も彼の発案により、軽く薄いものに改良されています。また、ヘッドセットを用いて、サイドラインのコーチが、スタジアム上部にいる者から情報を得る行為も、ネイランドが初めておこなっています。
1951年に全米王座に着いたネイランドは、翌1952年を最後にコーチを退き、60歳でテネシー大の体育局長に就任します。彼の人生最後の仕事は「テネシー大の本格的フットボールスタジアムを建設する」ことでした。それまでテネシー大の本拠地は収容わずか3200名という小さなものでしたが、ネイランドは自ら設計に関わり、46000名収容の巨大なスタジアムに生まれ変わりました。しかもネイランドは「将来10万人収容できるスタジアムとして拡張されても対応できる」ことを前提とした設計をおこなっています。
ロバート・ネイランドは1962年に70歳で没しました。フットボール場はネイランドスタジアムと名付けられ、度重なる拡張工事の末、現在の収容能力は10万2千人。全米で6番目、全世界で8番目に大きいスタジアムとなっています。世界の巨大スタジアムのランキングは下記を参照してください。
List of stadiums by capacity – Wikipedia
スタジアムの15番ゲートにはネイランドの銅像が実物の2倍の大きさで設置されています。ロバート・ネイランドは試合中、サイドラインで右ひざを着いて戦況を見守る癖があったため、彼の像も右ひざを着いたものになりました。
ロバート・ネイランドのフットボール哲学および理論は、現在でも多くのコーチ達によって支持され、様々なチーム内での重要な戒めとして語り継がれています。
「カレッジフットボールにおいては、
『うまくやった方のチームが勝つ』のではない。
『ミスをした方のチームが負ける』のである。」
「最もミスが少なかったチームが、チャンピオンになる。」
「フットボールとは、ミステイクや計算違いが山ほどあるスポーツだ。
だからパントでボールを常に敵陣に置き、相手にミスをさせるように
すればよいのだ。」
「フットボールとは、ディフェンスとフィールド・ポジションによって
勝ち負けが決まるスポーツである。」
「フォーメーション・ブックの中に幾つのプレーがあるかは、問題ではない。
その中の幾つを完璧にやり遂げられるか、が問題なのだ。」
「同等の力を持つチーム同士の対戦において、勝ち負けを分けるのは
身体能力の差ではなく、常に精神力の差である。」
「フットボールチームとは、軍隊のようなものだ。選手達は兵士と同様に
鍛え上げられた身体と、技術的能力と、激しい闘志を持つことが
要求されるのだ。」
「キッキングゲームの重要性を再認識せよ。
勝負を決める分岐点は、キッキングプレーにある。」
(勝つための秘訣を聞かれて)
「自軍のミスを最小限にとどめ、相手のミスを最大化させることだ。」
「フットボール選手の本当の資質は、
その選手がアラバマ大と対戦するまではわからない。」
「自軍のディフェンス能力に自信がある時は、
オフェンスチームは、『ミスをせず、攻撃権を敵に渡さない』ことだけを考えろ。
しゃにむにタッチダウンを狙って
ファンブルやインターセプトで相手に攻撃権を渡すのは最悪だ。
攻撃がうまくゆかなくても、じっと我慢し、
パントでフィールドポジションを回復させ、
あとはディフェンスチームの力を信じて辛抱強く待っていればよいのだ。
そうすれば、今度は相手のチームがミスを犯して、
勝利への流れは自然と我々のものになる。」
ロバート・ネイランド テネシー大コーチ
「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
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