【清水利彦コラム】アール・キャンベル物語<超俊足のゴリラ> 2024.11.08

2024/10/17
昭和52年(1977年)卒 清水利彦
shimizu.toshihiko2@gmail.com

今から44年前、1980年のことです。クリーブランド・ブラウンズのヘッドコーチ、サム・ラティグリアーノ(在任7年で47勝50敗)は記者会見において次のような質問を受けました。
「ラティグリアーノ・コーチ、来週対戦するヒューストン・オイラーズのエースRBアール・キャンベルについて、どのような印象を持っておられますか?」
するとサム・ラティグリアーノは次のように答えました。

「もしも相手チームの選手たちの中に、本物の活きたゴリラが1頭混じっていたら、とても厄介だ。
しかも、もしそのゴリラが、ボールを持って走ることが出来る、超俊足のゴリラであるならば、もっと、もっと、ずっと厄介だ。」

珍妙な返答に、おそらく記者会見会場は爆笑に包まれたことと思いますが、ある意味、アール・キャンベルの本質について、これほど的確に表現した回答は他にないでしょう。

シカゴ・ベアーズのヘッドコーチ、ネイル・アームストロングも、アール・キャンベルの凄さについて次のように表現しています。

「運転手が乗っていない無人の大型トラックが、坂道を転がり降りてきて、君の方に向かってきたら、君はどうやってそのトラックを止めるかね?アール・キャンベルのランを止めるというのは、そのくらい大変な事なんだよ。」

1980年、超俊足のゴリラ、アール・キャンベル 出典:Football’s Greatest, Sports Illustrated

 

アール・キャンベルは、スポーツイラストレイテッド誌の選んだ「NFL歴代最高の選手たち」の中で、RB部門の7位に挙げられていますし、スポーティングニューズ誌の「NFL歴代最高の選手100人」では全体の33位(RBとしては7位)に選ばれています。

Sports Illustrated誌  1位ジム・ブラウン、2位ウォルター・ペイトン、3位バリー・サンダース、4位O・J・シンプソン、5位ゲイル・セイヤーズ、6位エミット・スミス、7位アール・キャンベル
Sporting News誌 1位ジム・ブラウン、2位ウォルター・ペイトン、3位バリー・サンダース、4位ゲイル・セイヤーズ、5位O・J・シンプソン、6位マリオン・モトレー、7位アール・キャンベル

アール・キャンベルの「超俊足のゴリラ」ぶりについては、下記You Tube画像をご覧ください。激しいタックルを受けてジャージがビリビリに破け、ほとんどショルダーパッドだけになっても、まだ前進しようとするキャンベルの有名なシーンが含まれていますので、是非観てください。(4分)

#55: Earl Campbell | The Top 100: NFL’s Greatest Players (2010) | NFL Films (youtube.com)

もう一つ、「アール・キャンベル歴代最高のプレー10選」というサイトもあります。(6分)

Top Ten Earl Campbell Plays of All Time

アール・キャンベルは180cm、105kg。今ではこのくらいのサイズのRBはNFLに何人も居ますが、当時(40年以上前)としては破格の「重戦車型パワーRB」でした。
1955年3月テキサス州生まれ。ユニコーンズでは昭和52年卒の岡本主将の代が同期に当たります。
高校では初めLBを務めていましたが、RBに転向してから大活躍が始まりました。高校卒業時には、テキサス大のダレル・ロイヤル、オクラホマ大のバリー・スイッツアーという二人の名コーチが激しいキャンベル争奪戦を繰り広げ、結局テキサス大に進みました。
争奪戦に敗れたバリー・スイッツアーは、「私が知る限り、高校を卒業してすぐにNFL入りしても大活躍しただろうと思える選手は、アール・キャンベルしかいない。」と語っています。

テキサス大4年生の時にハイズマン賞を受賞。ドラフト「いの一番」でヒューストン・オイラーズ(現在のテネシー・タイタンズ)に入団しました。この時のオイラーズ・コーチは名将バム・フィリップスでした。

バム・フィリップスは「試合前半はパスを含めたバランスアタックを展開するが、後半、特に両軍選手が疲労した第4Qになると、徹底的にアール・キャンベルにボールを持たせ、ラン攻撃を繰り返して体力勝負で勝つ」という作戦を立てました。この単純な戦法でオイラーズは3年間で32勝16敗。あと一つ勝てばスーパーボウル出場という場面まで2回進みましたが、いずれもピッツバーグ・スティーラーズに敗れています。

ヒューストン・オイラーズのバム・フィリップス。 試合中、テンガロンハットを被ってサイドラインに立つ姿は、フットボールコーチというよりは、「ロデオ大会を主催する牛飼いの親分」のような風貌で、テキサス州のファンから熱烈に愛されました。記録よりも記憶に残るコーチでした。

 

1980年10月のオイラーズvsチーフス戦で、キャンベルはなんと一試合38回ボールキャリアになっていますが、この試合を当時米国に住んでいた私はTV生中継で観ていました。
第4Qになるとキャンベルは、タックルされた後、自分一人では立ち上がれないほど疲れ切っており、チームメイトに肩を支えられてヨロヨロとハドルに戻りました。ところが、次のプレーコールもまた「キャンベルの中央突破」なのです。
こんな鳥肌が立つようなシーンが何度も何度も繰り返されました。スタジアムの観客席で感激した白人の老夫婦が立ち上がり、泣きながら拍手を送り続けている様子をTVカメラが捉えていました。
私が生涯に観たフットボール試合の中でも、最も感動したシーンの一つでした。

雪の中を疾走するアール・キャンベル
出典:Best Shots, by DK Publishing, Photo by Pete J. Groh

 

プロ入りして最初の3年間(1978~80)リーディングラッシャーとして大活躍したアール・キャンベルでしたが、結局この3年間が彼の頂点でした。NFLで8年間プレーしましたが、戦績やラッシングヤードは次第に下り坂となっています。

大学とプロで合計2952回ボールキャリアとなって、激突を繰り返したことが次第に彼の身体を壊し、ボロボロに蝕んでいきました。現在もテキサス州で存命ですが、足が不自由で、まだ69歳なのに外出の際には車椅子が必要とのことです。

テキサス州の人々は、今もかつての英雄アール・キャンベルを愛し続けています。キャンベルのニックネームは地元出身地タイラー市にちなんで、The Tyler Rose(タイラーの薔薇)となり、タイラー市に向かう道路は「アール・キャンベル・パークウェイ」と名付けられています。

「アール・キャンベルにタックルするたびに、
私の知能指数は少しずつ低下する。」

                                                                 ピート・ウィソキ       ワシントン・レッドスキンズLB


「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
https://footballquotes.fc2.net/
「今週の名言・迷言」を木曜日ごとに更新しています
左下の「三田会コラム」という黒い小さなバーをクリックして
いただくと、これまでのコラムのアーカイブがご覧いただけます