清水 利彦(S52年卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com
NFLプレイオフのワイルドカードゲーム、タンパベイvsワシントンをBS放送で見ていたら、画面に突然ジョー・ネイマスが登場したので本当に驚きました。
往年の名QBジョー・ネイマス(NYジェッツ)は1943年生まれですから、77歳になります。背骨がすっかり丸く曲がってお爺さんの風貌ですが、ゴルフ場でラウンドしながら、「ジェッツの連中は(残念ながら)この時期になると大抵ゴルフ場にいる。プレイオフのシーズンになってもフットボールが出来るのは本当に幸せなことだ。でも、明日このゴルフ場で私とゴルフを楽しむことになってしまうのは一体誰なのかな?」と皮肉とユーモアたっぷりにコメントしていました。
数年前、「ネイマスは重度のアルコール依存症」という記事を見ていましたので、元気そうな姿を見て嬉しく思いました。
若いOB/OGの皆さんは、ジョー・ネイマスをご存じないでしょうから、彼のコメントの面白さがわからないと思いますので少しご紹介しますね。
スポーティングニュース誌が選んだ「NFL歴代最高の選手100人」に、ニューヨーク・ジェッツからただ一人選出されている名QBです。プレーでの活躍もさることながら、ルックスの格好良さによるモテモテぶり、美女たちを連れてNYの街を遊び歩く派手な性格、自分のトークショー番組を持ち、アクション映画に多数主演し、ナイトクラブのオーナーになるなど、「ブロードウェイ・ジョー」のあだ名の通り、現役時代も引退後も絶大な人気を誇っていました。
ネイマスは貧困層の家に育ちました。彼の祖父はもともと「ネメス」という苗字のハンガリー人で、食うや食わずの生活から抜け出るために、1911年蒸気船パノニア号に乗って、ニューヨークのエリス島にやってきた移民でした。祖父も父も鉄工所の作業員をしていました。
男4人兄弟の末っ子だったジョーは、運動神経抜群で、高校時代からフットボール、野球、バスケットボールのスター選手でした。高校卒業時に大リーグの5球団から勧誘されますが、母親の「大学に行ってほしい」という希望により、野球をあきらめてフットボールを選び、アラバマ大学に進みます。
当時アラバマ大学のコーチは名将ポール・ベア・ブライアントでした。選手に猛練習を課し、厳格な規律を重んじるブライアント・コーチと、奔放な性格で遊び人のネイマスとは、水と油のような違いが有り、さしものポール・ベア・ブライアントも、ネイマスの指導教育には相当手を焼いたようです。2年・3年時にはエースQBとして活躍したネイマスですが、3年生のシーズン終盤に、彼の一生に影響を与える事件が起こります。
当時、ブライアント・コーチは部員に「シーズン中は禁酒」という規則を課していました。ところがネイマスが酒を飲んでいたことが発覚し、怒ったブライアント・コーチはネイマスに残り2試合の出場停止を命じます。
これを聞いてアラバマ大学のフットボール・ファン達が激怒します。
「禁酒と言うのは単なる部則であって、法律破りをしたわけでもなんでもない。こんなことでエースQBを大事な決戦に出さないのは馬鹿げている。」との声が沸き上がりましたが、ブライアント・コーチは一歩も譲りません。
「どうしてもネイマスを試合に出せということであれば、私がコーチを辞任する」との声明を出しました。これを聞いてネイマスは初めて自分の軽率な行動を後悔し、コーチに涙ながらの謝罪をします。
「私が出場停止処分を受けますので、どうかブライアント・コーチは辞めないでください」
結局この事件がネイマスの人間的なレベルを格段に押し上げることになりました。翌年、4年生のシーズンは、行いを改め、リーダーシップを身に着けたネイマスがチームを全勝に導き、全米チャンピオンとなっています。
NYジェッツにドラフト1位で入団したネイマスはさっそく活躍を見せ、最優秀新人賞を獲得しました。遊び人としてもプロ入り直後から全開モードとなり、夜な夜なNYの街に繰り出して、チームメイトから「ブロードウェイ・ジョー」と呼ばれるようになりました。
1960年の創部以来勝ち越しの無かったジェッツを、ネイマスは入団3年目で初の勝ち越しに導き、4年目の1968年、チームは11勝3敗でついに第3回スーパーボウルに出場します。ただし、この年の対戦相手は当時「NFL史上最強のチーム」と呼ばれていたボルチモア・コルツ。そしてコルツのQBは、こちらも史上最高と言われていたジョニー・ユナイタスでした。
マスコミは、「『女性にモテる』という項目を除けば、すべての要素でユナイタスがネイマスを上回っている。コルツの勝利は間違いない。」と書き、コルツのノーム・バンブロックリン・コーチは「ネイマスはプロ入り4年目で初めて、真のプロチームの恐ろしさを知ることになるだろう」と述べました。ところがジョー・ネイマスは「スーパーボウルは必ず我々が勝つ。私が保証する。」と放言しまくり、マスコミから「ホラ吹きジョー」と呼ばれることになります。
しかしスーパーボウルは16-7でジェッツが勝利し、この試合はNFL史上最大の番狂わせと呼ばれ、ネイマスはMVPに輝きました。以降ネイマスのことをホラ吹きと呼ぶ者はいなくなりました。
この時から52年の歳月が流れていますが、残念ながらNYジェッツはその後一度もスーパーボウルに出場できていません。
ネイマスはアラバマ大学4年生の時、膝を負傷し、プロ入りしてからは試合中もニーブレスを装着して、走れないQBでしたが、卓越したパス力により1967年にパス獲得距離4007ヤードの新記録を樹立しました。この記録は12年後ダン・フォーツ(4082ヤード)によって破られましたが、ネイマスは年間14試合、フォーツは年間16試合での記録でした。
NFL引退から8年後の、1985年にネイマスはNFL殿堂入りを果たしますが、授賞式でスピーチに立った際、1983年に死去したポール・ベア・ブライアントについて語り、「あなたに出会うことがなければ、私という人間がNFLで活躍することはなかった」と泣きながら恩師への感謝の言葉を述べています。
ジェッツに12年間在籍したネイマスでしたが、その間68勝71敗とさしたる成績は挙げていません。
しかし彼の奔放な行動、歯に衣着せぬ言動、そしてユーモアたっぷりの性格はファンに愛され、記憶に残り続けています。2019年にはAPによる「NFL’s greatest character 」(史上最高の性格・キャラクターをもつ男)に選出されています。
彼の現役時代の映像を見たい方は、You Tube で「Joe Namath」を検索してみてください。
「スーパーボウルに勝利した後、選手たちはロッカールームに戻って、妻に感謝の祈りを捧げたが、私はニューヨークに住む、数百名の金髪娘たちに感謝の祈りを捧げなければならなかった。」
39歳まで独身だったジョー・ネイマス
(インタビュアーから「ジョー・ネイマスからデートに誘われたら応じますか?」と訊かれて)
「あんなクイック・リリース(※)の得意な男と、誰がデートなんかするもんですかっ!!!」
当時人気絶頂の歌手 コニー・フランシス
※クイック・リリース
①パスを素早く投げること
②手あたり次第、女性に手を出しては、すぐに放り投げることの二つの意味を重ねた、コニー・フランシスの絶妙な名言でした。
「私は先日、オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブに招待されて、初めてマスターズの聖地でゴルフを楽しんだ。最高の気分だった。この話をジョー・ネイマスにして自慢したところ、あいつは、『あなたをオーガスタでプレーさせるなんて、ニューヨークの最高級ホテルの来賓室に、ブタを招待するようなもんですよ。』と、ヌカしおった。」
ポール・ベア・ブライアント(アラバマ大コーチ)