清水利彦(S52卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com
この原稿は1月24日月曜時点で書いております。
シンシナチ・ベンガルズの勢いが止まりませんね。今季のシンデレラチームになる気配があります。AFC北地区で首位になっただけでも驚きでしたのに、ワイルドカードでレイダースを破り、そして23日(日本時間)にはAFCのレギュラーシーズンで1位になったタイタンズにも敵地で勝利し、今季の四強に残りました。
そこでベンガルズが(特に歴史的に見て)どんなチームなのか調べ直してみました。
1.まだ一度もチャンピオンになったことがないチーム
NFL32チームの中で、「50年以上前に創設されたのに、スーパーボウルに勝った事がないし、スーパーボウル開催以前にも一度もチャンピオン経験がない」のは、ベンガルズ、ファルコンズ、バイキングスの3つしかありません。
(※バイキングスは1969年のNFL選手権に勝っていますが、続くスーパーボウルでAFLのチーフスに敗れたので、チャンピオンとは見做しません。ビルズはAFL時代に2回優勝しています。)
ベンガルズは1968年に新興AFLのチームとして発足し、1970年にNFLとの合併によりリーグ参加しています。球団創設54年目ですが、いまだに一度も優勝していないのです。
創設以来の戦績は373勝459敗5分 勝率.449と、当然あまり良くありません。昨年までの53年間で14回しかプレイオフに出場しておらず6勝14敗でした。ただし1981,1988年の2回スーパーボウルまで駒を進めましたが、どちらも接戦の末、QBジョー・モンタナ率いる49ersに負けています。
ベンガルズが一番ひどかったのが、1991-2002の12年間で、55勝137敗 勝率.286と、「どうやったらこんなに負けることが出来るのか?」と叫びたくなるような戦績でした。12年間で4回コーチがクビになっています。
また直近5年間(2016-2020)も25勝53敗(.321)でした。そんなチームが今季、突然勝ち続けているのです。今回タイタンズ戦の勝利は、球団創設以来初の「敵地でのプレイオフ勝利」でした。
2.若い崖っぷちコーチ、若いハイズマン賞QB、若い問題児RBが率いるチーム
ベンガルズのヘッドコーチは38歳のザック・テイラーです。テイラーは名門ネブラスカ大のスタメンQBを2年務めましたが、プロからはドラフトされず、選手としては開花できませんでした。カレッジやNFLのQBコーチとして渡り歩き、2019年ベンガルズのヘッドコーチに迎えられましたが、2年間で6勝25敗1分と惨憺たる戦績でした。今季勝てなかったらクビか、という崖っぷちから見事這い上がってきたわけです。
QBは25歳のジョー・バロー。彼はオハイオ州立大に入学しましたが、1年目レッドシャツ(非登録選手)、2年目・3年目は控えQBでした。この大学では一軍になれないと悟ったバローは、3年間で学業の単位を取ってオハイオ州立大を繰り上げ卒業し、出場可能な2年間を残してルイジアナ州立大に大学院生扱いで転校します。
残された2年間、ルイジアナ州立大では大活躍します。4年生の2019年、チームは全米チャンピオンとなり、バローはハイズマン賞を獲得して、ドラフトの「いの一番」でベンガルズに指名されました。NFLの一年目は、そこそこの活躍は見せましたがベンガルズは相変わらず勝てず、バローも途中から負傷欠場しています。そして2年目の今年、一気に花開いたことになります。
エースRBのジョー・ミクソンも25歳ですが、既にNFL5年目です。高校時代から注目されたミクソンは名門オクラホマ大に入りますが、入学間もない18歳の時、女子学生の顔面を殴って骨折させるという暴力事件で逮捕されます。一年生時は出場停止処分を受け、二年目・三年目で活躍したミクソンは、あと2年プレーできるにもかかわらずオクラホマ大を中退しNFL入りします。「ミクソンは優秀なRBだが、彼の性格を考えると獲得には二の足を踏む」と言う球団が居る中、結局ドラフト第2巡でベンガルズに指名されました。その後も順調に活躍を続けているのですが、女性保護団体から「女性への暴力に寛容なベンガルズのボイコット」を叫ばれるなど、いまだに暴力事件が尾を引いているようです。
この3人がそれぞれの思いを持ってチームを引っ張り、54年間待ち続けた熱烈ファン達がチームを必死に後押しする、というのが今季のベンガルズの姿と言えるでしょう。
3.ベンガルズは、名将ポール・ブラウンが初代コーチ
こう書きますと、「何を言っているんだ?ポール・ブラウンはクリーブランド・ブラウンズの初代コーチだろ?ブラウンズのチーム名はポール・ブラウンの名前から取っているんだぞ!」と叱られそうですが、ポール・ブラウンは実は二つのNFLチームで初代コーチになっています。
<ポール・ブラウン小史>1908-1991
コーチ戦績 カレッジ 5年 33勝13敗3分 .717 全米王座1回
ブラウンズ 17年 158勝48敗8分 .766 優勝7回
ベンガルズ 8年 55勝56敗1分 .495 優勝なし
1941年、33歳でオハイオ州立大コーチとなり、翌1942年バッカイズを初の全米王座に導きます。
1946年クリーブランドにおけるプロフットボールチーム(AAFCという新興リーグ)の立ち上げに、初代コーチとして招かれました。創設時に入団した選手の中にはポール・ブラウンの教え子や、彼を慕ってプロ入りした選手が多く、そのチームは「ブラウンズ」と名付けられます。
ブラウンズは球団創設からいきなり4年連続チャンピオンとなります。1950年にNFLに加盟してからも6年間で3回優勝。当時は「最強のプロチーム」と言えば、クリーブランド・ブラウンズを指していました。結局ポールは17年に渡りブラウンズを率いましたが、最後には球団オーナーとの仲が悪化し、1962年クビになります。
失意の浪人生活を送るポール・ブラウンに目を付けたのが、新興リーグAFLでした。シンシナチに新たにチームを作ることになり、1968年彼を初代コーチに招聘し、チームはベンガルズと命名されました。
1970年AFLがNFLに吸収されたため、皮肉にもベンガルズはブラウンズとAFC同地区のライバル同士となります。ポールは、自分の名前を冠したブラウンズを倒すために執念を燃やし、8年間ベンガルズを率いましたが、結局ベンガルズは一度も優勝できず、そのまま今日に至っています。一方ブラウンズも、昔はあれほど強かったのに、スーパーボウル発足以来、出場することさえ一度も出来ていません。
4.最も地味なユニフォームから、最もハデなユニフォームへ
ポール・ブラウンは、落ち着きのある渋い色調のユニフォームを好んだようで、ブラウンズ時代はヘルメットにロゴマークさえ付けておらず、現在もNFLで唯一ロゴなしヘルメットを着用しています。
のちにベンガルズのコーチになった時も、ヘルメットにはロゴではなく、「BENGALS」というシンプルな文字を描き、ユニフォームはブラウンズに非常によく似た地味な色調を採用します。このへんにもポール・ブラウンの旧チームへの対抗意識が表れています。
ところがポール・ブラウン・コーチが引退すると、1981年ベンガルズは驚くべき発表をします。ヘルメットを黒とオレンジの虎の縞柄にしたのです。「いくらなんでもハデ過ぎ」「ヘルメットを虎柄にするなら、いっそ虎の耳も付けろ」等と散々こき下ろされ、スポーツイラストレイテッド誌までが、ヘルメットを「膨れ上がったカボチャのようだ」と評しました。きっとポール・ブラウンは身体を震わせて怒ったことでしょう。しかし、この年ベンガルズは8年ぶりの地区優勝を果たし、スーパーボウル初出場まで成し遂げたため、幸い反対の声は消えました。
もう40年間このデザインを使い続けているため、若い方々は何の抵抗もないと思いますが、当初はかなり物議を醸したのです。
(1981年、ベンガルズが虎の縞模様のヘルメットを採用したことについて)
「まるで、頭がグッドイヤーのラジアルタイヤに挽き潰されたみたいですね。」
ロン・マーツ スポーツ記者
先ほど日曜のNFLの試合が終了しました。全て大接戦で驚くべき結果でしたね。
AFC シンシナチ・ベンガルズ 19-16 テネシー・タイタンズ
カンザスシティ・チーフス 42-36 バッファロー・ビルズ
NFC サンフランシスコ・49ers 13-10 グリーンベイ・パッカーズ
ロサンゼルス・ラムズ 30-27 タンパベイ・バッカニアーズ
チーフス以外はすべて上位チーム(ホームチーム)が敗れるという下剋上ウィークとなりました。
レギュラーシーズンの最上位チーム(タイタンズ、パッカーズ)が姿を消し、昨年の王者バッカニアーズも敗れました。NFCは決勝が「カリフォルニア州対決」となりましたが、9月にはこんな結果を誰も予想しなかったでしょう。
49ersはかつての常勝軍団(SB5回優勝)ですが、最後に勝ったのが1994年ですから、27年間チャンピオンから遠ざかっていることになります。ずいぶん前の話なんですね。
さあ、泣いても笑っても残りはあと3試合。どうなりますことやら。
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