【清水利彦コラム】 新春特別企画「アメリカ合衆国大統領になったフットボール選手達」2024.1.11

清水 利彦(S52年卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com

皆様、あけましておめでとうございます。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。昨年の正月には「NFL珍品ヘルメット・コレクション」という新春初笑い企画をお届けしましたが、今年はちょっと格調高く「アメリカ合衆国大統領になったフットボール選手達」という、夢のある企画をお届けします。笑える迷言もたくさん載っていますよ!

私が調べた限りでは、カレッジフットボールでプレーした選手で、アメリカ合衆国大統領になった人は4名しかいません。まずはこの4人を紹介しましょう。

ドワイト・アイゼンハワー 34代大統領 1953-61 陸軍士官学校卒
リチャード・M・ニクソン 37代大統領 1969-74 ホィッティアー・カレッジ卒
ジェラルド・フォード   38代大統領 1974-77 ミシガン大学卒
ロナルド・レーガン    40代大統領 1981-89 ユーレカ・カレッジ卒
※現職のジョー・バイデンは46代大統領

<ドワイト・アイゼンハワー 陸軍士官学校(アーミー)卒>
まずは次の写真をご覧ください。

1912年、アーミーの選手達 左から3人目がアイゼンハワー 出典:The College Football Book, Sports Illustrated

小柄ながら、いかにも気の強そうな面構えをしています。俊敏なHBとして期待されていましたが、膝の負傷のため途中で選手を断念し、一時はチームのチアリーダーを務めていたこともあります。
もともとは野球選手志望でしたが、陸軍士官学校の野球部から入部を断られたことを当時は「人生最大の失望」と述べ、その後フットボールにのめりこみました。パントを蹴る写真が残っていますが、この姿を見るだけで相当なアスリートだったことが想像できます。
陸軍に入隊してからどんどん出世し、将軍の地位まで昇りつめました。NATO軍の最高司令官、コロンビア大学の学長などを務めたのち、大統領選挙に出馬し当選しています。

1912年パントを蹴るアイゼンハワー 出典:Rites of Autumn by Richard Whittingham

 

リチャード・M・ニクソン ホィッティアー・カレッジ卒>

1934年、ホィッティアー・カレッジでのニクソン(#23) 出典:Rites of Autumn by Richard Whittingham

アイゼンハワーが一流のフットボール選手であったのに対し、ニクソンには二流っぽい雰囲気が漂っています。ニクソンは貧しいクェーカー教徒の家に生まれ、父親は雑貨店兼ガソリンスタンドを経営していました。高校の時からフットボール選手となり、一生懸命練習しましたが試合ではほとんど起用されておらず、「フットボールよりも演説が得意な生徒」と言われていました。
大学は地元近隣のWhittier College(学生数わずか1800人の無名校)に進みフットボールを続けます。体重が72kgしかないのにエンドやタックルを務めていたそうですが、写真を見る限りあまり強そうではありませんね。その後デューク大学に転校して法律を学びましたが、強豪デューク大ではフットボール部に所属していません。
政治家を志してからは階段を一歩ずつ上り続け、アイゼンハワー大統領時代に副大統領に指名され、ついに大統領になりました。有名な「ウォーターゲート事件」により失脚しています。

二流のフットボール選手だったのに、ニクソンは自分のフットボール理論に相当自信があったようで、現職の大統領だった時にも、スーパーボウルの前夜に出場チームのヘッドコーチに電話をかけ、「明日のゲームプランをああしろ、こうしろ」と熱っぽく言うので、コーチ達は大迷惑しました。さすがにアメリカ大統領に向かって「大事な時に電話なんかするな!」と怒鳴りつけるわけにはいきません。
1972年のスーパーボウルに出場したマイアミ・ドルフィンズのコーチ、ドン・シュラにも試合前夜にニクソン大統領から電話がかかって、ああだこうだ言われた事の怒りを、シュラは「名前は忘れたが、昨晩どこかのバカから電話がかかっていた」という言葉で表現しています。

<ジェラルド・フォード ミシガン大卒>

1935年、ジェラルド・フォード 出典:Rites of Autumn by Richard Whittingham

4人の大統領の中で一番「ホンモノ」のフットボール選手と言えば、ジェラルド・フォードでしょう。
超強豪のミシガン大学で、センター兼LB兼ロングスナッパーとして活躍したスター選手でした。彼が2年生・3年生の時にはミシガン大学が全勝優勝を果たし、全米王座に輝いています。顔つきが他の大統領とは違いますね。

ニクソン政権第2期において副大統領に指名され、その8か月後にニクソンがウォーターゲート事件で失脚したため、急遽大統領になりました。つまり選挙を経ずに大統領となり、1期4年務めた後、民主党のジミー・カーターに敗れています。フットボールのスター選手だったのに、歴代大統領の中では地味な存在と言えるでしょう。

面白いのは、ニクソンの後を継いだフォードなのに、ニクソンからボロクソに言われたこと。
「ジェラルド・フォード氏の持つ唯一の欠点は、大学時代にヘルメットを被らずにフットボールをやりすぎたことだ。」(つまり、頭がイカレている、という意味 笑)とニクソンから侮辱されています。頭がイカレている人を副大統領に指名したアンタはどうなんだ?と言い返したくなります。名選手だったフォードに対するヤッカミもあったのでしょうか。

<ロナルド・レーガン ユーレカ・カレッジ卒>

大学選手時代のロナルド・レーガン 出典:Wikipedia

ニクソン以下の「二流フットボール選手」だったのが、ロナルド・レーガンでしょう。レーガンは生まれ故郷の近くの、イリノイ州ユーレカ市にあるユーレカ・カレッジの卒業生です。誰も校名を聞いたことがないのは当然で、現在の学生数600名足らずという超小規模の大学です。いちおうNCAA3部に所属しており、フットボール部もあります。レーガンはスポーツや演劇を趣味とする、極めて平凡な学生であったとのこと。選手としての記録は記載がありませんので、さしたるものはないと考えます。
卒業後、レーガンはアイオワ州でBIG TENリーグのスポーツキャスターをする等、次第にメディア系の仕事が増え、のちにカリフォルニア州に移って映画俳優となり成功をおさめます。
映画俳優組合の理事長を務め、その後カリフォルニア州知事、そして大統領へと駆け上がってゆきます。ユーレカ・カレッジは、「歴代大統領が卒業した大学の中で最も小さい」学校として知られるようになりました。

ロナルド・レーガンは役者出身ですからスピーチが巧いのは当然ですが、卓越したユーモアでも知られています。大統領在任中に英国のエリザベス女王が米国を訪問した時のことです。乗馬好きの女王をもてなすため、レーガンは自分の牧場に女王を招待し、二人で二頭の馬に乗って牧場内を散策しました。途中エリザベス女王の乗った馬が「ブリッ!」と大きな音で放屁をしました。レーガン大統領はすかさず女王の方を振り返って「どうぞ、お気になさらず!馬がやったことにしておきましょう!」と言ったとのことです。

私がレーガンに関して偉いと思うのは、ちっぽけな母校のユーレカ・カレッジを心から愛し、生涯大切にし続けたこと。大統領に就任した後も何度も母校を訪れて講演をおこない、多額の寄付をしています。大学側も彼の母校愛に感謝し、大学構内には、レーガン体育センター、レーガン平和庭園、ロナルド・レーガン・ミュージアム等、彼の功績を讃えて命名された施設がいろいろあります。

<その他の、政治家になったフットボール選手達>

小学校のチームメイトと共に 9歳の時のジョン・F・ケネディ 出典:Wikipedia

米国史上おそらく最も有名な大統領、ジョン・F・ケネディ(第35代)は子供の頃フットボールをしていましたが、若い頃は身体が弱かったこともあり、ハーバード大学ではプレーしていません。1963年テキサス州ダラスにて46歳で暗殺されました。
兄ジョンはフットボール選手として成功しませんでしたが、二人の弟は頑張りました。

1947年ハーバード大のベストイレブン 右端#86エンド ロバート・ケネディ 出典:Rites of Autumn by Richard Whittingham


弟ロバート・ケネディ
は、ジョン・F・ケネディ政権において司法長官を務めました。その後上院議員となり、兄の跡を継ごうとしましたが、大統領指名選挙の運動中、42歳で暗殺されました。
フットボール選手としては細身で華奢に見えますが、おそらく俊足だったのでしょう。
ワシントンDCには、ロバート・ケネディにちなんでRobert F. Kennedy Memorial Stadium (通称RFK スタジアム)という球技場があり、ワシントン・レッドスキンズが30年以上本拠地としていました。今では珍しくなった「フットボールと野球、両方の試合をすることを前提としてデザインされた球技場」でした。

1955年テッド・ケネディ 出典:Rites of Autumn by Richard Whittingham

末弟のテッド(エドワード)・ケネディの写真を見ますと、首が太く胸板が厚くてアスリートそのものです。1955年ハーバード大はエール大に7-21で敗れましたが、ハーバード大唯一のTDを挙げたのがテッド・ケネディです。上院議員となり、大統領選挙出馬を期待されましたが、女性がらみのスキャンダルを起こして断念しています。

迷言の中で傑作なのが、ジミー・カーター(第39代)政権で副大統領を務めたウォルター・モンデール(のちの駐日大使で親日家)の発言だと思っています。
「高校生の時はフットボール選手として活躍できたので、大学でもプレーを続けようと思っていました。しかし、ミネソタ大学に入学しフットボール選手達の体格を見て、これはとてもかなわないと考え入部をあきらめて、これからの人生を口先だけで勝負しようと政治家を志したのです。」

1977年ウォルター・モンデール副大統領 出典:Wikipedia

NFL選手で政治家になった人と言えば、誰もがジャック・ケンプの名を挙げるでしょう。
カリフォルニア州のオキシデンタル・カレッジ(学生数二千人弱)という無名のNCAA三部校でQBをしていたため、ドラフト第17巡という低い評価でプロ入りしました。しかしプロではビルズ他で大活躍し、先発QBとして65勝37敗、プロボウル出場7回、年間最優秀選手賞2回という輝かしい記録が残っています。すごくハンサムな風貌もあり、超人気選手でした。
現役プロ選手だった頃から、シーズンオフには共和党選挙事務所でボランティア活動をする等、当初から政治活動に強い興味を示し、選手引退から5年後には下院議員に当選しています。副大統領候補に名前が挙がったこともあります。下記のケンプの言葉が面白いです。

「プロフットボール選手の経験が、私に政治家になるための重要な資質を与えてくれた。私は政治家になる前から、大勢の人々からおだてられたり、強烈なブーイングを浴びたり、クビを切られたり、呪われたりすることに慣れっこになっていたのだ。」

ジャック・ケンプ 下院議員

1963年ビルズQBジャック・ケンプ 出典:Best Shots, DK Publishing, Photo by Lou Witt

最後にアメリカ大統領の素敵な迷言と名言をひとつずつ紹介します。

「子供の頃、私はよく親友と二人で丘に登り、遠くを眺めながら
将来の夢について語り合った。
親友は『大人になったらアメリカ合衆国大統領になりたい』と言い
私は『大リーグの野球選手になるのが僕の夢だ』と言った。
結局、二人とも夢は実現しなかったことになるね。」

ドワイト・アイゼンハワー 第34代アメリカ合衆国大統領

「私は国民を心から信じている。
国民に真実を伝えることさえ出来れば、
国民はあらゆる危機を乗り越え、生き長らえてゆくだろう。
大切なのは、私が国民にあるがままの事実を隠さず伝えることだ。」

エイブラハム・リンカーン 第16代アメリカ合衆国大統領
在任1861-65年 56歳で暗殺される

日本の歴代閣僚には、この名言を読んでもらいたいですね


「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
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