2026/4/2
昭和52年(1977年)卒 清水利彦
shimizu.toshihiko2@gmail.com
元チームカメラマンの秋本宗一さんが私に寄贈してくださった本「スポーツイラストレイテッド誌が選ぶFootball’s Greatest」には、各ポジションのNFL歴代ベスト10選手が記載されています。
その中で、オフェンスラインマン(OL)の歴代最強ベスト10は下記のとおりです。
在籍年 所属チーム 出場試合 ポジション
- アンソニー・ムニョス 1980-1992 ベンガルズ 185試合 T
- ジョン・ハンナ 1973-1985 ペイトリオッツ 183試合 G
- フォレスト・グレッグ 1956-1971 パッカーズ他 193試合 G
- ブルース・マシューズ 1983-2001 オイラーズ(タイタンズ)296試合 G.T
- マイク・ウェブスター 1974-1990 スティーラーズ他 245試合 C
- ジョナサン・オグデン 1996-2007 レイブンズ 177試合 T
- ジーン・アップショー 1967-1981 レイダース 217試合 G
- ジム・パーカー 1957-1967 コルツ 135試合 G
- メル・ヘイン 1931-1945 ジャイアンツ 170試合 C
- ラリー・アレン 1994-2007 カウボーイズ他 203試合 T
この本には「オフェンスラインマンの選考が一番難しかった。統計と言えるものは出場試合数くらいしかないので、データで比較することは不可能だった。選考委員達はそれぞれが持つ『印象』で最高の選手を選んだ。」との注釈が添えられています。
抽象的なイメージでしか比較検討することが出来ないOLのポジションで、史上最強第一位となったアンソニー・ムニョスとは、一体どのような選手だったのか調べてみました。「ファン達の心に、最も強く残ったOL」と言い換えることも出来ます。1958年生まれ、現在67歳でご健在ですが、40代以下の皆さんには全く知られていない選手だと思います。

歴代最強OL第1位に選ばれた、ベンガルズのアンソニー・ムニョス(1989年) 出典:Football’s Greatest, Sports Illustrated
メキシコ系の家庭に育ったムニョスは、カリフォルニア州オンタリオの高校に進みました。身長198㎝体重126㎏という彼の体格は今では珍しくありませんが、1976年(50年前)としては破格の巨漢であり、並外れた身体能力を持つ選手でした。ムニョスは地元の強豪校USC(南カリフォルニア大学)から体育奨学金(Athletic Scholarship)をオファーされ入学します。
当時のUSCは圧倒的な戦績を誇る黄金時代を迎えていました。ムニョスが在籍した4年間の戦績は下記のとおりです。
1976年(1年生)11勝1敗 全米2位 ローズボウル勝利 ムニョスはシーズン中のケガで不出場
1977年(2年生)8勝4敗 全米13位 ブルーボンネットボウル勝利 ムニョスは全試合出場
1978年(3年生)12勝1敗 全米2位 ローズボウル勝利 ムニョスはシーズン中のケガで不出場
1979年(4年生)10勝1分 全米2位 ローズボウル勝利 ムニョスは開幕第1戦で重傷を負う
1年生・3年生の時はチームが強かったのに、ムニョスはケガでシーズン後半の重要な試合には全く貢献できていません。逆にムニョスがシーズンを通して活躍した2年生の時は、チームが平凡な戦績に終わるという皮肉な結果でした。3年間でムニョスはまだ一度もローズボウルでプレーしたことがありません。大学のわずか4年間で3回ひざの手術を受けています。
そして1979年、4年生となった時、USCは全米王座の有力候補に挙げられていたのに、ムニョスは開幕戦の第1Qでひざの靱帯を損傷しました。ジョン・ロビンソン・コーチは記者会見で「今年度、ムニョスが再び試合に出ることはないだろう」と述べ、ムニョスはレギュラーシーズンをずっと欠場しました。
USCはこの年、第6戦スタンフォード大と痛恨の引き分けとなりましたが、それ以外はすべて勝利し、10勝1分となり、4年間で3回目のローズボウル出場を果たします。
4年生になってケガをした時点で、ムニョスにとっては2つの選択肢がありました。
①.チームのことや、ローズボウルのことは忘れて、ひたすら自分の身体をいたわり、コンディションを整えて、シーズン終了後のNFLドラフトでの指名を待つ。
②.ケガで出られない4年生のシーズンをあきらめ、レッドシャツ(負傷のための意図的留年)の申請をして、翌1980年度に再び4年生として試合出場機会を狙う。
ところがムニョスは、二つの選択肢のどちらも選びませんでした。ムニョスが選んだのは、次の驚くべき選択肢でした。
③.自分の身体はどうなっても良いから、1979年度のローズボウルに出場する。レギュラーシーズンは全く出場していないし、ぶっつけ本番とはなるが、完治していない膝でも全力を振り絞ってプレーし、チームのローズボウル勝利を目指して貢献する。
近年、NFLドラフト下位で指名を受けそうな選手は、ボウルゲームでケガをして指名されない可能性が生じることを恐れ、あえてボウルゲームを欠場するケースがちらほら見られます。ムニョスはこの傾向と真逆の決断をしたことになります。
1979年ローズボウルの対戦相手は、その時点で全米ランク1位である11勝0敗のオハイオ州立大でした。USCは10勝1分(ランク3位)であったため、最強チーム同士の激突として全米の注目を集めました。(ランク2位はアラバマ大)
105,526人という大観衆を集め、ローズボウルの歴史に名を遺す大激戦が展開されました。ムニョスはLT(左タックル=ウィークサイドタックル)という重要なポジションを担い、スターターとして出場しています。
この年、USCには傑出したRBチャールズ・ホワイトが居ました。ホワイトは178cm86kgとカレッジ強豪校のRBとしては極めて小兵でしたが、ハイズマン賞を受賞しています。ホワイトの走る姿はYou Tube映像でご覧ください
Charles White USC #collegefootball
試合はUSCとオハイオ州立大(OSU)ががっぷり四つに組んだ力比べのような展開となりました。第3Qを終えてOSUが13-10とリード。第4Qに入ってOSUが更にFGを追加し16-10となりました。残り5分余りとなりUSCが自陣17ydから、最後のチャンスとなるかもしれない攻撃を開始します。この時ロビンソン・コーチのとった戦略は「ランプレーを繰り返し、力でOSUをねじ伏せる」ことでした。
幾度もRBホワイトにボールを持たせ、一般ファンの眼には「ホワイト、ホワイト、ホワイト」というランの繰り返しに見えました。しかし実際にはアンソニー・ムニョスがキーブロッカーとなるランプレーの繰り返しであり、「ムニョス、ムニョス、ムニョス」という、すべてをムニョスに託したラン攻撃だったのです。
8プレーで83yd前進し、最後はホワイトが残り1:32でエンドゾーンに飛び込み、USCが17-16でオハイオ州立大に勝利しました。ローズボウルのMVPには、247yd走ってローズボウル新記録を出したチャールズ・ホワイトが選ばれましたが、フットボールを良く知る多くのファン達は、この試合が「ケガにまみれたOLアンソニー・ムニョスが生み出した奇跡の勝利」であることを知っていました。
USCにとって、そしてムニョスにとって唯一の誤算は、「ランク1位のオハイオ州立大に勝利したのに、全米王座を獲得できなかった」ことでした。シュガーボウルでアーカンソー大を24-9で下した、2位のアラバマ大が12勝0敗となり、漁夫の利を得る形でAP認定のチャンピオンとなっています。
ローズボウルの試合内容は、ファンだけでなく、プロのスカウト達も注目していました。特にシンシナチ・ベンガルズの経営陣・スカウト陣は、ドラフトの方針を「オフェンスラインの強化」と定めていたため、ムニョスのプレーを注視しました。ムニョスの身体能力は誰もが認めるところですが、ケガがあまりにも多く、直近2年間での試合出場がわずかしかないことを不安に思っていたのです。
しかしローズボウルにおける鬼神が乗り移ったようなムニョスのプレーぶりを見て、スカウト達は「この男を獲るしかない」と判断しました。ベンガルズはドラフト第一巡第3位という高順位でムニョスを指名しています。「自分の身体がどうなっても良い」という捨て身の思いで出場したことが、逆にムニョスの評価を上げるという結果になりました。
プロ契約を結んだムニョスは、まず「ケガをしない身体を作る」ことから始めました。練習の鬼となり、チーム練習がある時もない時も、毎日6~7キロのランニングと、自宅に作ったトレーニングルームでのウエイトトレーニングを欠かさずおこないました。この努力が実って、ムニョスはNFL入りしてからの12年間でわずか3試合しか欠場していません。
アンソニー・ムニョスのブロッキング映像集(8分)をご覧ください。
Anthony Munoz Ultimate NFL Career Highlights
ベンガルズ入団初年度からムニョスはスターターとなり、誰よりも存在感のある選手となりました。ベンガルズ一筋で13年間プロ選手として活躍し、チームはその間2回スーパーボウルに出場しましたが、いずれも49ersに接戦の末敗れています。13年の内、11回プロボウルに出場し、オールプロ一軍に選出されたことが9回あります。ムニョスはNFL史上最高のOLとなったのです。
1992年に引退してから今日まで34年の歳月が流れました。ベンガルズはムニョスの背番号#78を永久欠番とはしていませんが、34年の間ベンガルズで#78を付けた選手は一人もいません。
2016年、USCがローズボウルに出場(USC52-49ペンシルバニア州立大)した際には、ムニョスがプレゲームセレモニーに招待されました。58歳になったムニョスがUSC選手たちの先頭に立って、フィールドに姿を現せた時、万雷の拍手で迎えられ、多くのUSCオールドファン達が立ち上がり、感動の涙を流したことは言うまでもありません。

2016年ローズボウルのプレゲームセレモニーで、USC選手たちの前に姿を現したアンソニー・ムニョス
「アンソニー・ムニョスのような偉大なラインマンは、
これまで一人も現れなかったし、今後も現れることはないだろう。」
ジム・マクナリー シンシナチ・ベンガルズ・コーチ
「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
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