2025/5/15
昭和52年(1977年)卒 清水利彦
shimizu.toshihiko2@gmail.com
これまで、永遠のライバルシリーズとして「ノートルダム大vs USC」、「テキサス大vsオクラホマ大」、「ベアーズvsパッカーズ」を紹介してきましたが、今回「カリフォルニア大vsスタンフォード大」と聞くと、「え?その2校って、そんなにすごいライバル同士なの?カレッジフットボールの王座争いではあまり聞かない名前だけど」と思われる方が多いのではないでしょうか。
カリフォルニア大vsスタンフォード大の対校戦試合は、Big Gameと呼ばれることで有名です。
「Big Game(大試合)ならば、この2校に限らず、他にもいくらでもあるだろう」と言われそうですが、Big Game を英語版Wikipediaで調べると「カリフォルニア大vsスタンフォード大のフットボール試合」と、ちゃんと掲載されています。フットボール界で公認されている固有名詞なのです。
今回はこのBig Gameについてお話ししましょう。
※カリフォルニア大 University of California, Berkeley は正式には「カリフォルニア大バークレー校」であり、米国人は「UCバークレー」もしくは単に「バークレー」と呼ぶ人が多いです。ただしスポーツ界では「カリフォルニア大」と言えばバークレー校を指すことになっていますので、本文もそれに従い「カリフォルニア大」もしくは「CAL(キャル)」と記載します。
※バークレーは、オークランドの北近くにある人口12万人ほどの市の名前です。
まずはフォーブス誌が選んだ「2024年版 全米大学学力ランキング」をご覧ください。
(年=創立年度、※=アイビーリーグ所属、人=現在の学生数概数 を示す)
1位 プリンストン大 私立 1746年※ 8000人
2位 スタンフォード大 私立 1891年 18000人
3位 マサチューセッツ工科大学 私立 1861年 12000人 (通称MIT)
4位 エール大 私立 1701年※ 15000人
5位 カリフォルニア大 州立 1868年 46000人
6位 コロンビア大 私立 1754年※ 28000人
7位 ペンシルバニア大 私立 1740年※ 23000人
8位 ハーバード大 私立 1636年※ 22000人
9位 ライス大 私立 1912年 9000人
10位 コーネル大 私立 1865年※ 26000人
以下、ノースウェスタン大、ジョンズ・ホプキンス大、UCLA、シカゴ大、バンダービルト大と続きます。ランキングは毎年変動していますので、必ずしも今回の順位が大学同士の優劣関係を示すものではありませんが、このリストにある大学は全て「超一流、超優秀、超名門の大学」と言えます。
1位のプリンストン大には、ユニコーンズOB湯川武先輩(故人、昭和39年卒主将)が留学されていたと記憶しています。アイビーリーグの多くの大学が、アメリカ合衆国独立(1776年)より前に創立されていることに驚きます。また、慶應義塾大学(学生数約34000人)と比較しても、多くの米国名門大学が超少数精鋭主義であることにも驚きます。
TOP10のうち、7校が東海岸にあり、カリフォルニア大とスタンフォード大だけが西海岸カリフォルニア州にあります。(ライス大はテキサス州)
カリフォルニア大とスタンフォード大は、直線距離で48kmと極めて近くにあります。

両大学の位置を示す、サンフランシスコ・ベイエリア地図
つまりカリフォルニア大とスタンフォード大は、学力レベルにおいて、米国の西半分(ミシシッピ川より西側)において断トツに飛び抜けている二校であり、しかも両校はわずか50kmほどしか離れていないライバル同士ということになります。
両校がともに「我こそが西海岸で最高の大学」の誇りを持ち、あらゆる面で切磋琢磨しており、その象徴となるのが両校のフットボール対校戦 Big Gameとなるわけです。
<カリフォルニア大の歴史>
今回はカリフォルニア大の概要についてお話しします。
1868年創立の州立大学で、スタンフォード大より20年以上早い設立です。
もともとカリフォルニア州はメキシコの領土であり、アメリカがメキシコと戦争をして奪い取ったものです。1850年に合衆国の31番目の州と認められました。
1868年大学創立当時のカリフォルニア州の総人口がわずか56万人と聞いて本当に驚きました。(現在は約4千万人)そんな頃に教師10名、学生40名で大学を開いたのが歴史の始まりです。1870年には初めての女子大学生が入学していますので、最初から自由平等の精神にあふれていたのでしょう。(アラバマ大学は1820年に創立されましたが、女子学生の入学が認められたのはずっと後の1897年)

カリフォルニア大バークレー校 出典:Wikipedia
カリフォルニア大は学力ランキングでベスト10に入っている唯一の州立大学です。米国内に公立大学は300以上あると思いますが、カリフォルニア大はその頂点に立っていると言えます。
CALは物理学・化学・経済学などの研究で特に進んでいると言われ、カリフォルニア大出身のノーベル賞受賞者が56名います。原子爆弾を開発したロバート・オッペンハイマーは物理学部の教授でした。アップル共同創業者のスティーブ・ウォズニアックも卒業生です。日本人ではソフトバンクの孫正義氏が経済学部学士号を取得しています。
現慶應義塾塾長の伊藤公平先生は幼稚舎から大学まで慶應(庭球部OB)ですが、カリフォルニア大学物理学部にて修士号・博士号を取得しておられます。同じ幼稚舎出身であり、体育会OBでも、伊藤塾長と私とではアタマの中身が違いますね、トホホ
CALの学力レベルは最高峰ですが、スポーツにおいても秀でたアスリートを多数輩出しています。2024年パリ五輪で米国は126個のメダルを獲得しましたが、このうち23個はCALの学生または卒業生によってもたらされており、大学別メダル獲得数では2位でした。
古い話で恐縮ですが、1967年の映画「卒業」(マイク・ニコルズ監督)で、主人公のベン(ダスティン・ホフマン)が恋に落ちたエレーン(キャサリン・ロス)がCALの学生という設定で、カリフォルニア大キャンパスの映像が多々出てきます。私が映画で最初に観た米国の大学キャンパスであり、アメリカ人の学生生活がカッコいいなと、淡い憧れを抱いた事を鮮明に覚えています。この時代の名作ですので、TV再放送やレンタルで機会があれば是非観てください。American Film Instituteが発表した「アメリカ映画歴代ベスト100」で第7位に選ばれています。
CALはUniversity of California Systemという大学群組織の中の一員です。同組織にはUCLA、カリフォルニア大サンディエゴ校、カリフォルニア大デービス校など全部で10校あり、総学生数はなんと30万人に及びます。その中でカリフォルニア大バークレー校が、「最も歴史が古く、学生数が多く、最も学力レベルが高い旗艦校」と位置付けられており、そのため「カリフォルニア大と言えば、バークレー校を指す」わけです。
<カリフォルニア大フットボール部の歴史>
CALフットボール部の創部は1886年で、スタンフォード大の創部は1891年です。(慶應は1935年)
ところがカレッジのデータサイト「College Football Reference」を見ると、CALは1916年以降、スタンフォード大は1918年以降の記録しか載っていません。ハーバード大(1875年創部)やアーミー(1891年)の欄には、創部時代の記録が克明に残されているのにもかかわらず、なので不思議に思いました。何故だろうと調べてみると次のような事実がわかってきました。

1886年、創部直後のカリフォルニア大 出典:Wikipedia
1905年、時のアメリカ大統領テオドア・ルーズベルト(第26代、1901~1909年)は、新聞に「顔面血まみれの大学フットボール選手の写真」が掲載されているのを見て、強いショックを受けました。部下にカレッジフットボールにおける事故の状況を調査させたところ、恐ろしい事実が判明しました。
「毎年、全米のフットボール試合や練習で年間10名以上が死亡。重傷者はその数倍いて、骨折や歯が折れる等は日常茶飯事」だったのです。試合終了後はフィールド上に、血の固まりや折れた歯がいくつも落ちているのが当たり前の時代でした。事態を重くみたルーズベルト大統領は「このような状況が続くのであれば、法律でカレッジフットボールを禁止させる」との警告を発しました。
この警告に対し、各大学は主に次の3つの対応策のうち、いずれかを採用しました。
- フットボール部を活動停止とする。または活動規模を一挙に縮小させる。
- 部内でさまざまな安全対策を講じながら、従来通り部活動を続ける。
- 当時、より安全とされていた英国式ラグビーのルールに切り替えて部活動を続ける。
多くの大学が②の方策をとり、①を選んだ大学も10校以上ありました。そしてCALやスタンフォード大は③の方式を採用したのです。ラグビーのルールで試合を行うのですから、フットボール部とは言え実質はラグビー部であったわけで、そのため試合結果は記録として認められなかったものと推察します。10年以上経って元のフットボール・ルールに戻し、リーグ戦にも参加できるようになりました。

1912年、豪雨のため泥田のようなグラウンドでおこなわれた、カリフォルニア大vsスタンフォード大対校戦(ラグビー・ルールで挙行)は、Mud(泥)Bowlと呼ばれ、3-3の引き分けに終わっています。 出典:Wikipedia
1916年にCALはラグビー・ルールからフットボール・ルールに戻し、ヘッドコーチにはアンディ・スミスが就任し、カリフォルニア大に黄金期をもたらします。1920~24年の5年間でCALは44勝0敗4分と負け知らずで、1920~23年に4年連続で全米チャンピオンとなりました。(ただし、複数の大学が「我こそがチャンピオン」と名乗ることが出来た時代です)特に1920年は9試合で総得点510、総失点14と勝ちまくり、Wonder Team(驚異のチーム)と呼ばれました。
当時の試合ではディフェンスが圧倒的に強く、めったに攻撃で前進できなかった時代でした。そのため第1ダウン、第2ダウンでパントを蹴ることが多く、1試合に40回パントを蹴ることも珍しくなかったのです。「パントで陣地を回復させ、相手の攻撃をファンブルさせて得点する」のが勝利を得るための常套手段でした。
アンディ・スミスは10年間CALを率いて74勝16敗7分 勝率.822の輝かしい戦績を残しましたが、肺炎のため42歳で亡くなっています。彼が長生きしていたら、カリフォルニア大の歴史は大きく変わっていたかもしれません。

1920年、Wonder Teamと呼ばれ、全勝したカリフォルニア大 出典:Wikipedia
CALにとって、いにしえの試合で忘れられないのは1929年1月のローズボウルです。「カレッジフットボール史上最悪の逆走事件」としていまだに語り継がれています。詳しくは下記コラムにて。
【清水利彦コラム】フットボール史上最悪の方向間違い 2021.07.02 | アメリカンフットボール三田会
残念ながらカリフォルニア大はアンディ・スミスの時代が頂点であり、その後全米王座には着いていません。歴代通算598勝549敗31分 勝率.521
惜しかったのが2004年、10勝2敗でAP最終ランクが9位でした。この時のQBはのちにパッカーズ他で活躍するアーロン・ロジャースです。
2013~15年は現在デトロイト・ライオンズで活躍するQBジャレッド・ゴフ(NFLドラフトいの一番指名)がいましたが、8勝5敗が最高の戦績でした。
直近15年間でCALは76勝102敗.427と不調が続いています。頑張れ、カリフォルニア大!!
次回はスタンフォード大の歴史を紹介します。
「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
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