【清水利彦コラム】 ライス大学の歴史 2025.08.07

清水利彦(S52年卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com

皆さんは、阪神タイガースに今年から加入している助っ人外人、ジョン・デュプランティエ投手をご存じですか?開幕当初はコントロールが定まらず苦戦していましたが、次第に調子を上げ、7月31日現在で先発14回、6勝3敗、防御率1.37と、準エース格の活躍をしています。
デュプランティエの経歴を見ていましたら「ライス大学出身」とありましたので大変驚きました。ライス大学は、極めて特殊な成り立ちの超名門校なのです。
今回は、このライス大学について、皆様に知っていただこうと思います。

ライス大学とは?

まずはフォーブス誌が選んだ「2024年版 全米大学学力ランキング」をご覧ください。
(年=創立年度、※=アイビーリーグ所属、人=現在の学生数概数 を示す)

1位 プリンストン大   私立                     1746年※   8000人
2位 スタンフォード大  私立                     1891年    18000人
3位 マサチューセッツ工科大学 私立        1861年    12000人 (通称MIT)
4位 エール大      私立                     1701年※   15000人
5位 カリフォルニア大  州立                     1868年    46000人
6位 コロンビア大    私立                     1754年※   28000人
7位 ペンシルバニア大  私立                     1740年※   23000人
8位 ハーバード大    私立                     1636年※   22000人
9位 ライス大      私立                 1912年     9000人
10位  コーネル大     私立                     1865年※   26000人
11位以下、ノースウェスタン大、ジョンズ・ホプキンス大、UCLA、シカゴ大、バンダービルト大と続きます。

学生数9千人と、ライス大は非常に小規模の大学でありながら、(慶應は約34000人)アイビーリーグの大学群と肩を並べるほどの、極めて学力レベルの高い学校であることがわかります。
ノースウェスタン大、シカゴ大、バンダービルト大等の超有名な私立名門校よりも、ライス大が学力で上位にあると知って、ただただ驚きです。

ライス大学はテキサス州ヒューストン市にあります。つまり学力TOP10校の中で唯一の南部校となります。ヒューストンはテキサス州最大の都市で、人口230万人(全米第4位)。大都市の中の学校ではありますが、高層ビルが立ち並ぶそのすぐ横に、クラシックな建物と濃い緑の美しいキャンパスがあるのがわかります。

高層ビル群のすぐ横にある、ライス大学キャンパス  出典:Wikipedia

ライス大学の創始者となるウィリアム・マーシュ・ライスは1816年、マサチューセッツ州で生まれました。兄弟姉妹10人の3番目だった彼は、15歳の時から雑貨店で働き始めました。懸命に働いたライスは21歳で自分の雑貨店を持つほどになりましたが、運悪く経済恐慌が起こり、あえなく店は倒産します。無一文となった彼は、生きるすべを見つけるため、1838年テキサス州ヒューストンに移り住みます。当時のヒューストンはまだ人口2000人ほどの小村でしたが、この頃から近郊に油田が発見され、ヒューストン市は爆発的に人口が増え、繁栄してゆきます。

ヒューストンで再び実業家となったウィリアム・マーシュ・ライスは、今度は大成功をおさめます。
不動産業、鉄道業、綿糸栽培、林業などに次々に投資をしては富を増やしていきました。晩年、ライスの個人資産は460万ドル(現在の価値で約250億円)あり、広大な土地を所有していました。

ある時、ライス氏は自分の遺言状を次のように書きあげました。

  1. 現在の自分を作り上げてくれたヒューストン市に感謝し、自分の死後、市に大学を寄贈し、将来のヒューストンの若者たちに捧げる。
  2. その大学の学生たちは、無料で教育を受けられるものとする。
  3. その大学は、入学試験が難しいだけではなく、入学後も、学校が定める成績基準に満たない学生はどんどん退学させ、真に優秀な者だけが卒業できるものとする。こうして大学は、最高レベルの教育を受けられる機関とする。
  4. 大学は男女共学とする。ただし、白人のみ入学を認める。

最後の「白人のみ入学を許可」の部分だけは、現代では到底受け入れることは出来ませんが、当時としては気高い理想に基づいた、大学寄贈の遺言でした。

ライス大学創設者、ウィリアム・マーシュ・ライス  出典:Wikipedia

ところがライス氏は1900年、84歳で殺害されてしまいます。警察の調べによると、犯人はライス氏の召使だった男で、更にライス氏の顧問弁護士が裏で召使を操っていたことも判明しました。ライス氏を殺し、偽の遺言状に書き換え、財産を奪う意図でした。(顧問弁護士はのちに死刑となる)

こうして当初から大荒れのスキャンダラスな展開となり、ライス大学は創設前から世間の注目を浴びることになりました。裁判が繰り返され、ライス氏の遺言通りに大学が設立されるのは殺害事件から12年後の1912年でした。開設当初の名称は、William Marsh Rice Institute で、1960年からRice University (William Marsh Rice Universityが正式名称)と呼ばれています。第1期入学生は77名、うち女子が29名で、全員白人でした。

遺言に従い、ライス大学は「授業料は無料だが、勉学が猛烈に厳しく、入学者のうち半数は成績が基準に満たないため退学処分となる大学」として有名になりました。「白人以外の人種を受け入れ、授業料も徴収する」という一般的な大学の体制に変更されたのは、ずっと後の1963年からのことです。授業料無料体制が51年間も続いていたことになります。

設立当初から女子学生を受け入れていたのに、女子生徒は「自宅から通学できる者」であることが原則で、キャンパス内には男子寮しかありませんでした。大学創設から45年後の1957年に初めて女子寮が校内に建てられましたが、「男子寮はキャンパスの東の端、女子寮は西の端」と分けられており、「男女交際のきっかけとなることを恐れて、キャンパス内には一切ベンチを設置しない」という徹底ぶりでした。学生寮が男女混成となったのは、つい最近2006年のことです。

このような特殊な成り立ちの中で、ライス大学は超名門校としての地位を築き上げていきました。
1962年には、当時のアメリカ合衆国大統領、ジョン・F・ケネディが、ライス・スタジアム(7万人収容のフットボール場)において、「我が国は宇宙開発の先駆者となり、人間を月面に立たせる」というアポロ計画について演説し、1969年に実現させています。

1962年、ライス・スタジアムで演説するジョン・F・ケネディ大統領

 

ライス大学における体育会スポーツ

ライス大学について調べていると、その特殊性に驚くことばかりですが、一番驚いたのは、ライス大学野球部が超強豪チームであることです。2003年のカレッジ・ワールドシリーズに優勝し、全米チャンピオンになっています。これが同校の歴史91年目にして、あらゆるスポーツにおける初めての全米王座獲得でした。四年制大学生がわずか4800人(大学院生4200人)しかいない超学力レベルの高い大学が、21世紀に入ってからメジャースポーツで全米1位になったのは本当に凄いことだと感じます。
その後も野球部は極めて高いレベルを維持しており、2006,2007年に全米3位。2007年の大リーグ・ドラフト会議では、トップ指名された8人のうち3人がライス大学生という快挙を成し遂げています。

前述のジョン・デュプランティエ投手(阪神タイガース)も、大学3年時に大リーグ・ダイヤモンドバックスからドラフト指名を受けたため、卒業せずプロ入りしていますが、「プロ野球選手を引退したら、ライス大学に戻って卒業し、将来は医師になりたい」と夢を語っています。彼の父親は弁護士、母親は教職者という知的レベルの高い家庭に育ちました。高校の時は、勉学に優れる一方で、野球部とフットボール部(長身のQB)で活躍しており、「エール大学に進んで(猛勉強の傍ら)フットボールをやるか、ライス大学に進んで(猛勉強の傍ら)野球をやるか」と悩んだ末、ライス大学を選んだとのことです。まさに文武両道ですね。彼は阪神タイガースの中で、「すごく頭が良くて、チームメイトと打ち解けることが上手い外人選手」として知られていますが、彼の経歴を知れば当たり前の話です。

ライス大学時代のデュプランティエ投手

輝かしい戦績のライス大野球部に比べ、ライス大学フットボール部は衰退の印象があります。
直近10年間は勝ち越しがなく、戦績は35勝81敗(勝率.301)です。ただし昔からずっと弱かったわけではなく、元々はSWC(Southwestern Conference)のオリジナルメンバーで、テキサス大・テキサスA&M大・テキサスクリスチャン大・サザンメソジスト大等々、テキサス州の強豪校とリーグを組み、切磋琢磨していました。80年間で4回優勝してコットンボウルに出場(3勝1敗)しています。1949年に10勝1敗で全米最終ランク5位に入ったのが過去最高の戦績でした。現在はアーミー、ネイビー、テンプル大等と共にAmerican Athletic Conferenceに所属しています。
ライス大学のニックネームはOwls(アウルス=ふくろう)です。

ライス大学のライス・スタジアムは7万人の収容能力があります。学生数わずか9千人の大学がこのような巨大なスタジアムを持つこと自体驚きですが、特筆すべきは、ライス・スタジアムで第8回スーパーボウルが開催されたことでしょう。(1974年1月、ドルフィンズ24-7バイキングス)
つまりライス・スタジアムが当時全米でも屈指の、「収容能力が大きく、施設が優れているフットボール・スタジアム」であったことの証しでもあります。当時ヒューストン市内最高の試合場でした。

1974年スーパーボウルが開催されたライス大学スタジアム

ライス大学は、スタンフォード大学やバンダービルト大学と並んで、「超名門校でありながら、NCAA一部に所属して、全米王座を狙える位置に居続ける、数少ない文武両道の大学」と言えます。
頑張れ!ライス大学!!  (ついでに)頑張れ!デュプランティエ投手!!

最後に、ライス大学歴代フットボールコーチが発したお笑い迷言を二つ。なかなか勝てない環境の中で苦労なさった様子が偲ばれます。

(当時最強と言われたテキサス大との対戦を控えて)

「テキサス大と試合をするのは、
娘が門限破りをして、深夜遅く家に帰るのに似ている。
恐ろしいことが起こることはわかっているのだが、
どうすることもできない。」 

    ボー・ヘーガン(ライス大フットボール部コーチ)

 

「フットボールコーチを辞めたら、私はブタの飼育の仕事をするつもりだ。
今まで私がやってきたことに比べたら、ブタの飼育の方が
よほどマシな仕事に思えるからだ。」

     アル・コノーバー(ライス大コーチ)

 

7月31日、阪神甲子園球場における筆者。デュプランティエ投手の登板はなく、タイガースは3-6で負けました。トホホ


「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
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