【清水利彦コラム】カレッジ・フットボールの南北戦争 (アラバマ州の歴史、南部フットボールの歴史) 2026.05.01

2026/4/16
昭和52年(1977年)卒 清水利彦
shimizu.toshihiko2@gmail.com

前回の「永遠のライバルシリーズ アラバマ大vsオーバーン大」の続編です。
アラバマ州において、フットボールが何故こんなにヒートアップするのか、何故こんなに人気があるのかを知るには、同州の歴史的背景を知らねばなりません。

「カレッジ・フットボールは、
東部においては、若者の修練の場であり、
西海岸では、観光客用のアトラクションだ。
しかし、ここ、南部各州において、カレッジ・フットボールは
さながら『宗教』であり、毎週土曜日は『聖なる日』なのである。」

マリオ・キャセム(アルコーン州立大コーチ)
22年のコーチ歴で159勝93敗8分

皆さんの中でアラバマ州を訪ねたことがある方はおられますか?「ある」方は是非清水までご一報ください。私は1980~82年米国コロラド州に住んでおり、テキサス州・ルイジアナ州・ニューメキシコ州等は訪れたことがありますが、アラバマ州・ミシシッピ州等の「典型的南部州」には一度も足を踏み入れたことがありません。「まだ人種差別が色濃く残っているのでは」という恐怖感から私が訪問を避けていた、とも言えます。
アラバマ州には「The Heart of Dixie」(南部の心臓)というニックネームが付けられており、自分たちが南部の中心である、という考え方があります。

「2019年版 米国における州別平均個人所得ランキング」(List of U.S. States by Income)を見ますと、50州のうち、46位アラバマ州・50位ミシシッピ州と、典型的南部州=最貧州であることがわかります。最貧州ミシシッピ州の平均所得は、最富裕州マサチューセッツ州所得の半分(53%)しかありません。
では、何故このような差がついたのか、というところに南部を知る手掛かりがあります。

<アラバマ州の歴史>

アラバマ州はかつて数千年にわたり、先住民(インディアン)のチョクトー族・アラバマ族等が点在して住んでいた静かな土地でした。アラバマという言葉は、先住民の言葉「アリバモ」(土地を耕して農作をする人)が語源との説があります。

1702年にフランス人が初めてこの地に上陸しました。その時から100年以上に渡って、フランス・スペイン・イギリス・アメリカによる領地の奪い合いが続きましたが、1817年アメリカがミシシッピ州の設立を宣言し、ミシシッピの東側の土地をアラバマ準州と名付けました。1819年にアラバマ州がアメリカ合衆国の22番目の州となっています。この頃、先住民達は先祖代々の土地を追い出され、オクラホマ等にあるインディアン居留地に移送されていきます。

アラバマ州の土地は綿花の栽培に適していたため、開拓者が肥沃な土地を求めて殺到し「コットン農場」を至る所に作りました。そのための労働力となったのがアフリカから連れられてきた黒人奴隷です。

※現在では黒人という言葉が差別用語であり、アフリカ系アメリカ人と呼ぶべきであることは承知していますが、白人たちに搾取され迫害され差別された彼らの歴史を述べるにあたり、あえて当時のNegro(黒人)という言葉をそのまま用いています。ご了承ください。

黒人奴隷を大量に使うことにより、欧州に綿花を輸出し、コットン農場主たちは巨額の富を築きました。アラバマ州の人口は1810年にわずか1万人でしたが、1830年には30万人に膨れ上がっています。全盛期には州人口の約40%が黒人奴隷であったと言われますが、黒人には無論、投票権など何もなく、当時は人間としてカウントされていませんでした。

860年大統領になる直前のエイブラハム・リンカーン。彼の有名な髭は大統領になってから生やし始めました

一方、米国北部や中西部(五大湖周辺)では「黒人を奴隷として使うことは間違いである」との考えが広まりました。
1860年大統領選挙に立候補した共和党のエイブラハム・リンカーンは奴隷制度反対を掲げていたため、南部の農場主は強い危機感を感じました。黒人奴隷の存在なしに農場経営は成り立たなかったのです。

そしてついにアラバマ・ミシシッピ・ジョージア・フロリダ・ルイジアナ・テキサス・サウスカロライナの各州はアメリカ合衆国(United States of America)から離脱し、アメリカ連合国(Confederate States of America)を設立することを勝手に宣言します。その後、バージニア・ノースカロライナ・テネシー・アーカンソーの各州もアメリカ連合国に加わります。アメリカ連合国は当初、その首都をアラバマ州モンゴメリー(現在のアラバマ州都、人口20万人)と定めます。アラバマ州がまさに南部の中心であったわけです。

離脱を認めない北部のアメリカ合衆国各州(1860年リンカーンは大統領に就任)と、南部のアメリカ連合国各州の間で始まったのが南北戦争です。ちなみに日本・浦賀に黒船が来航したのが1853年ですから、南北戦争の少し前の事であったわけです。

1861年から始まった南北戦争は一進一退の状況でしたが、1863年に起きた「ゲティスバーグの戦い」で北軍が勝利し、形勢は一気に北軍のものとなります。ゲティスバーグの戦いには両軍で16万人が参加し、うち5万人が戦死または負傷したと言われています。

1863年 南北戦争 ゲティスバーグの戦いの様子 出典:Wikipedia

1864年の南北戦争敗北により南部の奴隷制度は消滅し、コットン農場の多くの黒人奴隷たちは自由人となって北へ向かい、北部や中西部の工業地帯で仕事を得ました。南部の綿花栽培は労働力を失い、致命的な打撃を受けました。鉄道網もズタズタに切り裂かれ物資輸送が出来なくなりました。南部の産業全体が崩壊したのです。
一方、北部の工業化は著しい発展を遂げ、更に1901年頃には自動車産業が生まれ、世界中を牽引するような経済発展となりました。「北部は裕福で、南部は貧しい」というイメージがこの頃出来上がり、今でも地域格差を取り戻せず、「南部=最貧州」という状態が続いていることになります。

南部の人たちにとって、物や金を失ったことは大きな痛手でしたが、一番つらかったのは「南部の人たち全体が、誇りや希望を失ってしまった」ことでした。敗北した南部の人たちは北部の人に比べて劣性とされ、「常に劣等感を持って生きていく」ことを余儀なくされたのです。

<南部フットボールの歴史>

カレッジ・フットボールが米国で始まったのが19世紀終盤です。創部年度で見ますと、1869年プリンストン大、1872年エール大、1873年ハーバード大と、まず東部アイビーリーグ各校からフットボール部が生まれ、それを追って1879年ミシガン大、1882年ミネソタ大など中西部の名門校にフットボール部が誕生しました。
南部では、1892年アラバマ大・オーバーン大・ジョージア大、1893年ルイジアナ州立大と、北部には少し遅れて次々にフットボール部が創設されました。

しかしながら、フットボールにおける北部の優位性は明らかでした。1869~1900年の32年間は全てアイビーリーグ、もしくはその周辺校が全米チャンピオンとして認定されています。
1901年に初めてミシガン大が王座に着き、東部と中西部が交互にチャンピオンとなる時期が続きます。1906年に初めて南部のバンダービルト大が、プリンストン大とともに王者になるのですが、これにはからくりがありました。当時は全米王座認定機関が6つも7つもあり、そのうち「南部寄りの認定機関が南部の大学を王者と選定する。北部の認定機関は北部の大学を選ぶ。」という事だったのです。これでは全米王座に何の価値もありません。
※この現象を解決するために1936年からAP(Associated Press)が全米統一王者を選ぶ制度が発足。

一方、1916年に第2回大会がおこなわれたローズボウルでは、「西海岸の最強大学が、その他の地域の最強チームを招待する」という形式が定着し、猛烈に人気が高まっていました。
第14回大会までは、南部のチームは一度も招待されず、「全く相手にされていない」状態でした。
しかし第15回大会(1926年元旦)に初めて南部・アラバマ大が招待され、ワシントン大とローズボウルで戦うことになりました。カリフォルニア・オレゴン・ワシントンの西海岸各州は、歴史的には「北軍側」とされています。

アラバマ大は当時、南部では比較的強いチームとして知られていましたが、1923年に北部に遠征して、シラキュース大に0-23と完敗しており、「しょせん南部でしか通用しないチーム」と多くの人が考えていました。ローズボウルの下馬評は「ワシントン大の圧倒的有利」でした。

1925年度アラバマ大コーチ、ウォーレス・ウェード。南部の人民全員を南北戦争敗北の屈辱から救った男。8年間で61勝13敗3分 勝率.812

1926年1月1日(ちょうど100年前)、5万人の観衆で満杯となったローズボウル・スタジアムで試合はおこなわれました。アラバマ大のコーチ、ウォーレス・ウェードは試合前にロッカールームに選手を集めて次のように述べています。

「南部の大学フットボールチームは、これまで全米レベルでは誰からも認識されなかったし、尊敬されもしていなかった。さあ諸君、今日がその常識を永遠に葬り去るチャンスなのだ。」

試合は稀に見る大接戦となりましたが、アラバマ大20-19ワシントン大と1点差で勝利し、10勝0敗で初のチャンピオンとなって全米を驚かせました。全米の人々が「今季一番強かったのはアラバマ大」であることを認めたのです。多くの南部人たちが試合結果を知り、歓喜し、涙して叫びました。
「我々は勝った!南北戦争以来、初めて北軍に勝った!!もう我々は劣性の集団ではない。我々にはカレッジ・フットボールがある!誇りと希望を持てるものが、我々にはあるのだ!!」

南部の人たちの、フットボールに対する熱すぎるほどの思い入れは、この時に始まったのです。

大観衆を集めた1926年ローズボウル。胸に縦じまが見えるのがアラバマ大

翌1927年のローズボウルにもアラバマ大は招待され、スタンフォード大に7-7の引き分けでしたが、9勝1分で2年連続の全米王座に輝いています。前年の勝利が「まぐれ」ではないことをアラバマ大は証明しました。

この時以来、100年間にわたり、南部州の大学は北部州の大学をねじ伏せる傾向が続きました。
例えば直近20年間で、全米王座に着いた回数は、南部州の大学16回に対して、北部州の大学が4回と、圧倒的に「南軍の州」がリードしています。(優勝回数内訳は、アラバマ大6回、フロリダ大2回、ルイジアナ州立大2回、クレムソン大2回、ジョージア大2回、オーバーン大1回、フロリダ州立大1回)
ただし最近3年間は、2023年度ミシガン大、2024年度オハイオ州立大、2025年度インディアナ大と、「北軍(中西部BIG TENリーグ)の大学が優勝」しています。

一昨年にはUSC、UCLA、オレゴン大、ワシントン大の西海岸強豪校が、BIG TEN(中西部名門校リーグ)に加盟しました。これも「北軍の強豪仲間たちが結集して、南軍(SECリーグ)と立ち向かう」という図式を作り出すのが意図であると、私は受け止めています。
カレッジ・フットボールの南北戦争は、この先どうなってゆくのでしょうかね。

<名言>

(1930年代、北部強豪のミシガン大と対戦する前の日に、選手を集めて)
「明日は復讐のつもりで戦え。奴らのお祖父さんが
諸君達のお祖父さんを、南北戦争で殺そうとしていたんだぞっ!」

ダン・マクグイン(南部テネシー州のバンダービルト大コーチ)

「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
https://footballquotes.fc2.net/
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