【清水利彦コラム】永遠のライバルシリーズ第5回:アラバマ大vsオーバーン大 憎悪むき出しの血みどろの戦い 2026.04.16

2026/4/16
昭和52年(1977年)卒 清水利彦
shimizu.toshihiko2@gmail.com

永遠のライバルシリーズとしてこれまでお届けしたのは、次の組み合わせです。

第1回 2023年6月 ノートルダム大vs南カリフォルニア大(USC)
第2回 2024年4月 テキサス大vsオクラホマ大
第3回 2024年6月 シカゴ・ベアーズvsグリーンベイ・パッカーズ
第4回 2025年5月 カリフォルニア大vsスタンフォード大

そして今回は、アラバマ大vsオーバーン大を取り上げてみます。アラバマ大が全米最強のフットボール部を誇ることは皆さんご存じでしょうが、オーバーン大と聞いても「それ、何?名前は聞いたことがあるけど、よく知らない」という方が多いでしょうね。でも、この両校は同じアラバマ州におけるTOP2の州立大学として強烈なライバル意識を持ち、とんでもない憎しみ合いの歴史を持っています。まずは、次の四つのエピソードをご紹介しましょう。

1961年のアイアンボウル。白ヘルメットがオーバーン大。当時はオーバーン大もヘルメットに背番号を入れていました。背景の大観衆がひしめくスタンドにご注目ください。観客席が崩れ落ちるのではないかと心配するほどです。 出典:Alabama Football, Sports Illustrated

<エピソード1>

大学の設立は、アラバマ1820年、オーバーン1856年と、アラバマ大の方がずっと古いのですが、フットボール部は両校とも1892年と同じ年の創立であり、その翌年の1893年から対校戦が始まっています。

第1回から第11回まではオーバーン大が7勝4敗とリードしていました。第12回(1907年)に初めて6-6の引き分けに終わりましたが、この試合にアラバマ大が「出場資格のない者をプレーさせた」との疑惑が生じました。おそらく「同校学生ではない選手を助っ人として出場させた」ものと推察します。

当然オーバーン大は腹を立てて、「この試合は没収され、わが校の勝利となるべき」と主張しますが、当時の南部体育連盟はなぜかオーバーン大の抗議を却下し、引き分けのままとしました。

怒り心頭のオーバーン大は、「もう今後はアラバマ大と試合をしない!」と宣言してしまいます。

両校の断絶・絶交状態は1908年に始まり、1948年に対校戦が再開されるまで、なんと40年も続きました。これが両校の憎しみの始まりです。

<エピソード2>

アラバマ大伝説の名コーチ、ポール・ベア・ブライアント(全米王座獲得6回)は1958年に就任しました。もともと両校の歴史を見るとアラバマ大の方が圧倒的に強かったのですが、ベア就任直前の頃はアラバマ大が低迷期にあり、一方、オーバーン大はすごく強くなっていました。ベア就任の前年、1957年にはオーバーン大がアラバマ大に40-0で圧勝し、そのまま全勝で初の全米王座を獲得しています。これはアラバマ大関係者にとってなんとも我慢ならないことでした。つまりポール・ベア・ブライアントは「宿敵オーバーン大を倒すことを最大の使命として招聘されたコーチ」だったのです。

ベア・ブライアントは就任当初からオーバーン大を敵視し、嫌悪感をあらわにしました。もともとアラバマ大の卒業生には政治家・弁護士・実業家などインテリ層の人物が多いのですが、一方オーバーン大は旧名がAgricultural and Mechanical College of Alabama(アラバマ農工大)であり、名称が示す通り、卒業生は農業・酪農の従事者や工業技師となる人が多かったのです。そこでベア・ブライアントはオーバーン大のことを「州の反対側にあるCow College(牛の学校)」と呼び、敵意をむき出しにしていました

 

アラバマ州地図。赤丸がアラバマ大のあるタスカルーサ市(人口11万人)、青丸がオーバーン大のあるオーバーン市(8万人) 同じ州内ではありますが、西端と東端に分かれており、クルマで走ると250kmあります。

<エピソード3>

ベア・ブライアントは就任初年度8-14でオーバーン大に敗れましたが、二年目に10-0で勝利し、そこから4年連続で1点も与えずに完封勝利をおさめました。4年目の1961年にはベア率いるアラバマ大が全米王座に着いています。当時天狗になっていたベアは、新聞記者に囲まれてインタビューを受けた際に、「あんな牛の学校に負けるくらいならば、私は生まれ故郷のアーカンソーに帰って百姓をやる」と放言してしまいます。この言葉がオーバーン大関係者達の心を傷つけ、闘志に火をつけました。

その後の両校の対決の際には、オーバーン大応援席では学生たちが試合中ずっと立ったまま「Bear, Plow!! Bear, Plow!!  Bear, Plow!!」と叫び続けました。Plowとは「鍬で畑を耕す」という意味であり、つまり「ベア、(お前は故郷に戻って)百姓をやれ!!」と叫び続けたのです。

<エピソード4>

ポール・ベア・ブライアントは1982年に25年間続けたヘッドコーチの座を退き、引退してからわずか4週間後に心臓発作のため死去しました。ベアが居なくなった途端、アラバマ大は長期間不振にあえぎ、優勝から遠ざかってしまいます。アラバマ大ファン達はベア・ブライアントが築いた黄金時代の事がいつまでも忘れられず、彼の死を嘆き悲しみ続けました。

その様子を見たオーバーン大ファン達は、両校の対戦の際に特製バンパー・ステッカーを作成し、駐車場にずらりと並んだオーバーン大関係者のクルマに貼り付けました。それはアラバマ大ファンの心の傷に塩をすり込むような内容でした。ステッカーには次のように印刷されていました。

「おい、もう、いい加減に認めたらどうだ?ベアは死んだのだ。」

※注 昔はこれらのような「相手を侮辱する行為」について寛容であったようで、古い本を読みますと、「大量リードしているチームのコーチが、敵のコーチを侮辱するために、第3Q以降は自軍ベンチで昼寝をする」などの描写も見られます。これらの侮辱行為は、現在では絶対にやるべきではありません。

1961年、アイアンボウルの際のポール・ベア・ブライアント(アラバマ大コーチ)出典:Alabama Football, Sports Illustrated

アラバマ大とオーバーン大の激しいライバル争いについては、下記ブログに詳しく書きましたので、まだお読みでない方は是非目を通してください。

ポール・ベア・ブライアントの生涯 – アメフト名言・迷言集

こうして両校の対戦は「美しい友情で結ばれたライバル同士」とは真逆の、「血生臭い、常に一触即発の気配漂う泥仕合」となっていったのです。

アラバマ大vsオーバーン大の激突は「アイアンボウル(Iron Bowl)」の名称で呼ばれます。

今では両校のキャンパスに立派なフットボール専用スタジアムがあり、一年おきにHome & Away方式で試合を行なっていますが、かつては両校の中間にある大都市(と言っても人口20万人ほど)バーミンガムで毎年開催されていました。バーミンガムは当時、ペンシルバニア州ピッツバーグに次ぐ全米第二位の「製鉄業が盛んな町」であったためアイアンボウルとなったわけです。

1960年代のアイアンボウル。毎プレーにおいて背骨が軋むような激突の繰り返しでした。出典:Alabama Football, Sports Illustrated

アイアンボウルの通算戦績はアラバマ大の52勝37敗1分ですが、勝ち負けの数よりも、「アイアンボウルは大接戦・大激戦になる」ことで知られています。近年で一番有名な試合は2013年オーバーン大の地元で開催された、「Kick Six Game」の名称で今も語り伝えられている一戦でしょう。

<2013 Kick Six Game>

直前全米ランク1位アラバマ大(11勝0敗)vs 4位オーバーン大(10勝1敗)の激突として、大変な注目を集めた試合です。28-28の同点で試合終盤となり、残り1秒でアラバマ大は57ydの長いFGを狙います。「アラバマの劇的な勝利か、それとも延長戦突入か」と大観衆が注目した場面で、何が起こったかをYou Tube映像でご確認ください。6分半

2013 Iron Bowl ending HIGH DEFINITION Auburn beats Alabama

その他にも鳥肌が立つような結末を迎えた、近年のアイアンボウルを二つご紹介します。試合結果は書かずにおきますね。

2019年アイアンボウル(15分)。この時のオーバーンQBは現在NFLブロンコスで活躍するボー・ニックスです。

#5 Alabama vs #15 Auburn Highlights: Bama suffers HUGE loss in a wild 2019 Iron Bowl | CBS Sports

2021年アイアンボウル(18分)。アラバマQBは現在NFLパンサーズのブライス・ヤングで、この年ハイズマン賞を獲得しています。

(119) #3 Alabama vs Auburn Highlights (INSANE OVERTIME THRILLER!) | 2021 Iron Bowl | 2021 College Football – YouTube

アイアンボウルの歴代名場面集を集めた映像もあります。(12分)

Greatest Moments in Iron Bowl History

2013年アイアンボウルの試合終了後の様子。劇的な結末に興奮した数万人の観客がフィールドになだれ込んだため、人工芝が全く見えません。

<アイアンボウルに関する雑学>

  • 2007年までの通算戦績はアラバマ大の38勝33敗1分と、競り合っていたのですが、2008年以降アラバマの14勝4敗となり、差がついてしまいました。現在アラバマの6連勝中です。
  • オーバーン大の地元ジョーダン・ヘール・スタジアム(収容84500人)でおこなわれるアイアンボウルでは、オーバーン大が10勝8敗とリードしています。アラバマ大の地元ブライアント・デニー・スタジアム(収容10万人!)では、アラバマ大8勝7敗とほぼ互角です。
  • アラバマ大本拠地ブライアント・デニー・スタジアムの、「ブライアント」は当然ポール・ベア・ブライアントの名前に由来しますが、「デニー」というのは大学創立初期に21年間にわたり学長を務めたジョージ・デニー氏に由来します。学長の名前よりも、フットボール部コーチの名前を先に付けるあたりに、「アラバマ大関係者にとって、何が一番重要か」という本音が見えます。(笑)
  • アイアンボウルの最多勝コーチは、もちろんポール・ベア・ブライアントで19勝6敗、勝率.760でした。オーバーン大ファンから嫌われるのも当然ですね。
  • 一方、アラバマ大コーチでアイアンボウル0勝3敗のビル・カリー、0勝4敗のマイク・シュラ(ドン・シュラの息子)はすぐにクビになりました。「アイアンボウルに勝てないコーチが寛大に扱われることはない」ということです。

次号以降では、アラバマ大学・オーバーン大学の歴史や、アラバマ州における時代背景などを掘り下げてみようと考えています。どうぞお楽しみに。最後に名言と迷言をひとつずつご紹介します。

<名言>

(1969年、アラバマ大との決戦を前に、ロッカールームで)
「人生における全ての事柄には、それをなすべき『時』というものがある。この世に生を受ける時。死ぬ時。人を愛する時。人を憎む時。平和の時。戦争をする時。そして、アラバマ大に勝つ『時』がある。オーバーンの選手諸君、今がその時なのだ。」

   シャグ・ジョーダン (195175、オーバーン大コーチ)
175837分 1957年全米王座獲得

※このときはシャグ・ジョーダン・コーチのペップトークが効いて4926でオーバーン大が6年ぶりの勝利をあげています

<迷言>

(アラバマ大学卒業アルバムの「学長紹介」のページにフットボール部コーチ、ポール・ベア・ブライアントの写真を掲載するという大失態を犯し、印刷寸前で危うく間違いが見つかって)
「あのう、、、私、、、詳しいことはよく存じませんが、、、うちの大学で一番偉いのは、この方ではなかったのですか???」

リンダ・バウンズ アラバマ大学・総務担当職員

「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
https://footballquotes.fc2.net/
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