【清水利彦コラム】JAXAで働く信濃町ユニコーンズ指導者 〜山田深監督編〜 2022.03.25

清水 利彦(S52年卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com

私は昨年11月にUnicorns Netのコラムで、テキサスA&M大に関する3回の特集記事を組みました。テキサスA&M大が非常に特殊な伝統を数多く持つ、熱狂的な「大学愛」「フットボール愛」にあふれる学校であることを紹介し、「この大学のキャンパス(カレッジステーション)を訪れて、テキサスA&M大のホームゲームを観ることが私の夢です。どなたかカレッジステーションに行ったご経験のある方はご連絡ください。」と書きました。

すると「行ったことがありますよ」とご返事をくださったのが、信濃町(医学部・看護学部・薬学部)ユニコーンズの山田深(やまだ しん)監督でした。私は「もしカレッジステーション訪問歴のある方が居るとすれば、商社勤務でヒューストン駐在経験のあるユニコーンズOBであろう」と予想していたので、意外な方からご連絡をいただきびっくりしました。

「どのような経緯でテキサスA&M大を訪問されたのですか?」と質問すると、なんと山田深監督は「JAXAでの勤務経験があり、ヒューストンにあるNASAのジョンソン宇宙センター(JSC)にて仕事をした際にキャンパスを訪れた」とおっしゃるのです。
更に山田監督からは「現在も、信濃町ユニコーンズ助監督の速水聰(はやみず さとし)氏がJSC内で働いていますよ。」とも教えていただきました。

私はパリのノートルダム寺院を訪れた際に、「屋上に登って下を覗いて見たら気分が悪くなった」ほどの高所恐怖症ですから、宇宙飛行士になりたいと思ったことなど一度もありませんが(笑)、読者の中には宇宙飛行士に憧れを持つ方はたくさん居ると思います。信濃町ユニコーンズ指導者のお二人は、宇宙での仕事、そして宇宙飛行士達に非常に深く関わるお仕事をなさっているのです。

ユニコーンズファミリーの仲間として普段から交流のある両氏が、非常に特殊で、かつ崇高なお仕事に携わっておられると知り、お二人とのインタビュー内容を皆様にお知らせしようと思います。
今回「山田深監督編」、次回「速水聰助監督編」に分けてお届けする特別インタビュー企画を是非お読みください。

山田深監督と速水助監督   向かって右・山田深監督、左・速水聰助監督   撮影:2019年、ヒューストン出張中のホテルにて

用語解説
「JAXA(国立研究開発法人 宇宙航空研究開発機構 Japan Aerospace Exploration Agency)
日本の航空宇宙開発政策を担う。内閣府・総務省・文部科学省・経済産業省が共同して所管。約1600名が勤務。

「NASA(アメリカ航空宇宙局 National Aeronautics and Space Administration)」
本部はワシントンDC。全体で18000名が働く巨大組織。テキサス州ヒューストンにジョンソン宇宙センターがあり、3200名が勤務する。フロリダ州にはケネディ宇宙センターがある。

テキサス州ヒューストン、NASAジョンソン宇宙センター

信濃町ユニコーンズ 山田深監督とのインタビュー

Q1 JAXAでご勤務されたとのことですが、どのようなきっかけでしょうか。

医師としての私の専門分野はリハビリテーション医学、すなわち運動療法等によって身体機能の回復をはかり、生活の質を高めるための医学です。卒業後2年間の研修医を終えて専門医資格、医学博士号を取得した後、次のキャリアアップとして海外への留学を模索していました。
身体を動かさないことによって生じる衰えからどうやって回復するか、どうやって衰え自体を予防するかを考えた結果、宇宙という身体に重力の負荷がかからない環境におけるヒトの生存、宇宙医学という領域に興味を持つようになりました。漠然とNASA関係の研究機関で働けないかと思っていたところでしたが、たまたま良いタイミングでJAXAが研究者として働く医師を募集しており、そこに応募をした次第です。

Q2 JAXAではどのようなお仕事をなさっていたのでしょうか?

2010年から2013年まで、JAXAの宇宙医学生物学研究室という部署に研究員として勤務しました。国際宇宙ステーションで行われる医学実験のマネジメントが主な業務です。当時の研究室長は宇宙飛行士の向井千秋さんでした。被験者となる宇宙飛行士に研究計画を説明して参加への同意をもらい、飛行前後のサンプル採取、データ取得、成果のとりまとめと報告などを、色々な研究機関の先生方や関連する企業の皆さんと一緒に実施してきました。また、遠隔医療の技術開発では、電子聴診器を使って軌道上にいる宇宙飛行士の心音をリアルタイムで聴診するという、世界初の試みにも携わりました。そして研究に加え、専門性を買われて宇宙飛行士の運動指導や、帰還後のリハビリテーションも任されるようになりました。現在もJAXA非常勤招聘職員としてこちらの業務には関わっています。

Q3 米国への出張があるとのことですが、どこで、どのような期間、何をなさるのでしょうか?

JAXA、NASAの宇宙飛行士はヒューストンのJohnson Space Center (JSC) を拠点にしており、 実験参加への同意取得、サンプル採取やデータ取得のため、定期的に米国へ出張していました。このほかにも各宇宙局の担当者が集まる専門家会議や、報告会などに参加します。そして、JAXA宇宙飛行士が宇宙から帰還した際にはJSCで行われるリハビリテーションに立ち会います。基本的には3~4ヶ月に1回、1週間程度の短期出張ですが、リハビリテーションの際には2週間の滞在になります。

Q4 カレッジステーション(テキサスA&M大キャンパス)を訪れた時の思い出について

カレッジステーションは2012年に訪問しました。医学実験やリハビリテーションとは別の、Mission X –train like an astronaut-(以下、MX)というプロジェクトに関連した業務の一環です。MXはNASAが立ち上げた宇宙教育プログラムの一つで、宇宙飛行士に行っている運動指導やリハビリテーションのなかの訓練メニューを子どもたちに紹介し、運動や栄養管理の大切さを学んでもらおうという試みです。JAXAは宇宙医学生物学研究室が窓口となり、運動の専門家である私がその担当となりました。MXはヨーロッパ宇宙機関も参加した国際プロジェクトとして、現在も続いています。
カレッジステーションで開催されるMXの記念イベントを視察することが訪問の目的でした。会場はCollege Station A&M Consolidated Tigers (High School) のホームスタジアムです。スタンドのついた人工芝の立派な施設で、A&Mの大学生もボランティアでたくさん参加していました。元NFL選手でNASA宇宙飛行士となったLeland D. Melvin氏も現地を訪れていて、キャッチボールをしてもらったのを覚えています。最初に“College Station”に来ないかとNASA担当者から言われたときは、どこかの大学の最寄り駅(成城学園前とか)ぐらいのイメージでいましたので、実際に訪れてみて、広大なキャンパスに驚きました。日帰りで残念ながら大学の敷地を散策する暇はありませんでしたが、米国のフットボール事情を垣間見ることができた貴重な機会でした。

元NFL選手の宇宙飛行士Leland Melvin氏  出典:Wikipedia

※Leland D. Melvin  1964年生まれ。フットボール部としては無名のリッチモンド大学卒だが、傑出したWRだったため、1986年デトロイト・ライオンズからドラフト11巡目で指名される。負傷の為NFLでは活躍できず1シーズンで退団。バージニア大学に再入学し修士号を取得。1998年宇宙飛行士に選ばれ、訓練を開始する。2008年、2009年の2回宇宙飛行に参加。

Q5 米国におけるフットボールとの関わりは?観戦などなさいましたか?

残念ながらなかなか機会に恵まれず、NFLはスポーツバーでの観戦がもっぱらでしたが、一度だけヒューストンのメディカルセンターに留学していた医学部アメリカンフットボール部の後輩と一緒に地元Texansの試合を観に行ったことがあります。2017年には第51回スーパーボウルがヒューストンで開催されましたが、街中の公園でやっていたプロモーションイベントを覗きに行って、チアと写真を撮ってもらったのが良い思い出です。

ヒューストン・テキサンズ・チアリーダーと山田監督

Q6 ご自身がフットボールをなさったきっかけは?どんな選手でしたか?

私は名古屋にある私立東海高校の出身です。ユニコーンズのOBにも同窓の皆さんが少なからずいらっしゃいます。中学高校時代はワンダーフォーゲル部(同好会)に所属する体型の緩んだ肥満学生で、パソコンゲームにはまり、アニメ雑誌を読みふけるという朴念仁でした。そして、慶應義塾大学に入学して最初に勧誘を受けたのが医学部アメリカンフットボール部です。一人東京に出てきて誰も周りに知り合いがいなく心細くしていたなかで、先輩方からとてもフレンドリーに声をかけていただき、なんだかかっこよさそうだったので、そのまま入部しました。
思い返すと、東海高校学内の相撲大会で、体重に任せて偶然にフットボール部のラインに勝ってしまったことがあり、強面のフットボール部員たちから睨まれ、あとで校舎の裏に呼び出されるのではとおびえていました。高校3年生の時にはかなり減量をして体重を絞り、華やかな大学生活に備えてスリムな体型を手に入れていたのですが、元の体重に戻るのに大した時間はかかりませんでした。
医学部3年次、1993年の医科歯科リーグ優勝時にはLTを務めました。1994年からCにコンバートされ、QBだった田中謙二(現慶應義塾大学体育会アメリカンフットボール部長)にボールをスナップしていました。田中部長の次のスターターQBが2学年下の速水助監督です。自分はアスリートではありませんが、チームとフットボールに対して忠実、誠実なプレーヤーであることを常に意識していました。

Q7 信濃町でフットボールをなさったことが、その後あなたの人生にどのような影響を与えていますか?

学生時代のフットボールという競技を通して、日々の鍛錬、論理的な思考と不屈の精神、何かに打ち込むことの大切さを学びました。これらは現在、医師としての病気や患者さんとの向き合い方、組織の動かし方に活かされています。そして、近年はユニコーンズファミリーの一員としてフットボールに関わらせていただき、医学部に偏ることなく、人生の視野が広がりました。
また、フットボール選手、指導者としての経験は、JAXAでの業務にとても役立っています。特にリハビリテーションのメニューには、フットボールの練習と同じ種目が多く含まれます。身体の鍛え方やコンディショニング、チームビルディングの方法論は、フットボールと通じるものがあります。あと、NASA職員とのフットボール話は話題の引き出しの一つとしてとても重宝しています。JJ Watt(テキサンズDL、現カージナルス)の話をすればなんとかなっていたのですが、移籍が残念です。

山田監督所蔵の大学ロゴマーク入りTシャツ                                      (清水コメント)「テキサスA&M大は良い学校、テキサス工科大は悪い学校、テキサス大は醜い学校」のメッセージ入りです。ちゃんとそれぞれの大学の正式ロゴマークが入っています。テキサスA&M大の構内だけで着るならまだしも、テキサス大やテキサス工科大の卒業生がウヨウヨ歩いているヒューストン市内でこれを着たら、突然ぶん殴られるのではないかと心配します。笑


Q8 ユニコーンズOBとの関りや思い出など

上記のフットボールが及ぼした人生への影響の根底には、学生時代からフットボールを厳しくも優しく指導いただいていた恩師、故小布施均さんから受けた薫陶があります。(私は小布施さんに「お前バカだな」と言ってもらうのがとても好きでした。少々しんみりした話になってしまうので、今回は割愛させていただきます。)
いつも米本篤弘さん(昭和52年卒)と共に夏合宿にお越しいただいていました。米本さんは40歳不惑の歳までオンスーツで練習台になっていただいていて、自分も卒業したらその歳まで練習台になろうと思い、44歳の夏合宿中にアキレス腱を断裂するまで頑張りました。
故野村修一さん(昭和33年卒、元アメリカンフットボール三田会会長)にはフットボールの仲間としていつも大変気さくに接していただきました。伊豆半島の山奥にあった慶應病院分院に勤務していた時、「近くに泊まっているから遊びに来いよ」と突然電話を頂戴し、びっくりしました。あいにく仕事を抜けられなかったのが今となっては悔やまれます。いつも野村さんの笑顔が心に思い浮かびます。

Q9 田中部長との思い出について

私は医学部1997年卒の田中謙二部長と同期になります。彼は常に頭脳明晰、理路整然と厳しく物事に切り込むのですが、そこかしこに見せる笑顔にいつも心を掴まれます。「謙二に言われると断れない」というのは昔から同期の間で変わりません。授業の合間に「山田、ハンドリングするからスナップ出してよ。」と言われると、断れません。当然ですね。ある時は信濃町で一人暮らしを始めた田中部長(洗濯機を持っていない)から「山田、今度からジャージとか洗濯してよ。自分のと一緒に洗濯機に突っ込むだけでしょ。」と頼まれました。そうですね、その通りです。
いつも自信に満ちているように見える裏で、人一倍悔しがり、人一倍努力している。そんな田中部長を心から尊敬しています。医科歯科リーグを一緒に戦い、そしてその後もフットボールの道を共に歩んでこれたことを誇りに思っています。

Q10 信濃町監督として、Unicorns Net読者へのメッセージをいただけますか?

大学ユニコーンズのフットボールは常に私たち信濃町のお手本であり、尊敬の対象でした。現在取り組まれている再生計画の行く末を見守りつつ、信濃町も共に学び、行動し、お互いを「さすが」と言い合えるような存在になっていきたいと思っております。今後とも信濃町をよろしくお願い申し上げます。

※次回は「速水助監督編」をお届けします。

「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
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