清水 利彦(S52年卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com
今週は、我が部においてユニコーンズと名付けられた経緯と、そこにまつわる謎について述べてみます。今回のコラムは、S52卒井上知行さんからいただいた多くの資料と情報によって成り立っています。井上さんに心から感謝いたします。
慶應アメリカンフットボール部がユニコーンズというニックネームを採用したいきさつについては、「慶應義塾體育會アメリカンフットボール部75年史」に井上知行さんが経緯を投稿しておられます。資料Aを添付しますので、改めて読んでみてください。簡単にまとめると次の通りです。
- ユニコーンズというニックネームを公式に使い始めたのは、1976年の慶應高・関学高定期戦から。つまり高校が先にユニコーンズを名乗り、大学があとから使い始めた。
- きっかけは1972年・74年にハワイの高校(カウアイ高、マウイ高)との親善試合をおこなったこと。パンフレットを作成する際に、ハワイ側にはニックネームが記載されているのに、慶應高校にはない。なんとかしなければ、という思いから始まった。
- 野球の早慶戦には昭和37年(1962年)から、ユニコン(ユニコーンとは言わない)が応援指導部のマスコットとして使用されており、塾生のマスコットのような立場であったためアメリカンフットボール部でも採用された。
筆者の記憶では、大学が高校のあとを追ってユニコーンズを名乗る頃、一時期ではありますが、早稲田のニックネーム「ビッグベアーズ」(創設者・大隈重信に由来する)に合わせて、大学のみ「ビッグユニコーンズ」と名乗ったことがありました。また、「一対のユニコン像が慶應中等部の玄関わきに設置されている」ことは前からわかっていました。
ユニコーンの名前に関して筆者が疑問に思ったのは次のような点です。
- ユニコン像が慶應義塾に設置されたきっかけは?
- 慶應に置かれたユニコン像(怪物の風貌)と、欧米でイメージされているユニコーン(角を持つ美しい白馬)が全く異なる姿であるのはなぜか?
ユニコン像設置のきっかけについては、井上さんから「慶應義塾のホームページに載っています」と教えていただきました。インターネット検索で、慶應義塾→歴史(写真で見る慶應義塾の歴史)→慶應義塾豆百科→74.ユニコン と辿ってください。「歴史」と「豆百科」に入る入り口がちょっとわかりにくいので要注意です。ユニコン像の写真も掲載されています。胸にペンのマークの盾を抱える、いかにも恐ろしげな像です。頭には後方にグニャッと曲がった角が生えています。(写真B)
https://www.keio.ac.jp/ja/about/history/encyclopedia/74.html
以下に記事を要約します。
「大正4年(1915年)三田の山上に大講堂が建てられたが、大正12年(1923年)関東大震災のため大きな被害を受け、改装されることになった。この時、玄関の上の3階バルコニーに一対の奇怪な像が新たに設置された。頭に角が一本生えているのでユニコンと呼ばれたが、なぜこの像が取り付けられたのか理由はわからない。
昭和32年(1957年)、太平洋戦争で痛みの激しい大講堂が取り壊され、ユニコン像も姿を消した。
昭和37年(1962年)11月、野球の早慶戦で、それまで使われていたミッキーマウスに代わり、ユニコン像を模した飾りが応援席に取り付けられた。この時の早慶戦に勝ってめでたく優勝したため、以来、ユニコンが塾生のマスコットとして使用され、愛されるようになった。
昭和50年(1975年)と53年に、ユニコン像が一つずつ、有志により復元され、慶應中等部玄関の両脇に取り付けられ、今日に至っている。」
なるほど、色々なことがわかりました。大講堂に設置されたグロテスクな像に、角が一本あったため、慶應の人たちによって自然発生的にユニコンと命名されているのですね。もともと像を作成した人が「これはユニコンだ」と言っていたわけではないようです。だからこの像と、欧米で一般的なイメージの「美しい白馬」とは全然違う姿なのだろうと推察します。
野球早慶戦のマスコットとして使われた経緯もわかりました。ただ、最初になぜ怪像が大講堂に設置されたのかは、塾のホームページに「わからない」と書いてあるのですから、調べようがありません。
筆者が幼稚舎生の時に連れていってもらった神宮球場の早慶戦で、ミッキーマウスの大看板を見た記憶が微かに残っています。この時、早稲田側のキャラクターは、横山隆一作の漫画「フクちゃん」でした。当時フクちゃんは新聞の4コマ漫画として大人気で、つまり早慶戦は日米の超人気アニメ・キャラクターの激突でもあったわけです。子供のくせに、いつも角帽をかぶっているフクちゃんは、早稲田のマスコットにぴったりでした。
フクちゃんの姿は右のサイトにて http://www.bunkaplaza.or.jp/mangakan/index.html
井上さんから再び、「三田評論の最新号にもユニコンのことが掲載されています」と教えていただきました。三田評論2021年2月号の慶應「塾」語事典に戸倉准教授が投稿されています。
「ユニコンの仲間の像が、かつて共立薬科大学薬学部の校舎にあった。平成11年に取り壊された第一校舎の塔屋に、いかにもガーゴイルらしい怪物像がニョキニョキ・・・(後略)」
ここで私は、「ん?ガーゴイル?」と立ち止まりました。
「そうか!ユニコン像はガーゴイルなんだ!」
ガーゴイルとは、雨樋(あまとい)の機能を持つ、怪物などをかたどった彫刻のことです。欧州で中世以降の寺院や大聖堂のような立派な建築物の屋根に設置され、雨樋から流れてくる水の排出口の役割をしています。雨水が怪物の口からあふれ出るようにゴボゴボと音を立てて流れ出るので、ガーグル(うがい)と同じ語源を持ちます。ガーゴイルに怪物をかたどった彫刻が多いのは、その建物を守るべく、周囲に睨みを効かせるという意味合いがあるようです。日本の鬼瓦に似ていますね。
排出口機能がない彫刻もガーゴイルの一種ですが、正確にはグロテスクと呼ばれます。(「屋根の上にある奇怪な生物の彫刻」がグロテスクで、転じて「奇怪・奇妙・醜怪」等の形容詞の語源となった。慶應のユニコン像もこれにあたる)
日本版ウィキペディアで「ガーゴイル」を調べますと、あった!!なんとパリのノートルダム大聖堂のグロテスクの写真まで載っていました。(写真C)慶應のユニコン像によく似ており、頭に角も生えています。まったく一緒とは言いませんが、同じルーツを持つ怪物であることは間違いありません。
2019年、ノートルダム寺院は火事で多くの部分が焼失したと聞いていますが、グロテスクは救われたのでしょうか。
米国の超名門伝統校であるシカゴ大学の屋根にもグロテスクが設置されています(写真D)ので、おそらく当時の慶應関係者は、そのような伝統に倣おうとされて、三田大講堂にガーゴイル(正確にはグロテスク)のユニコン像を設置したのであろう、というのが私の結論です。
今回、ユニコーンの由来については色々なことがわかりましたが、「慶應のユニコン像を作成したのは誰か?」などまだまだわからないことはたくさんあります。少しでも情報をお持ちの方がおられましたら是非お知らせください。中等部出身の方達はユニコン像を見慣れていることでしょう。何かユニコン像に関する逸話や思い出などありましたらご連絡を!
当時の慶應関係者がガーゴイルに、「ユニコン」という愛称を付けていたから、のちに我が部のニックネームが「ユニコーンズ」となったわけで、もし普通に彫刻をガーゴイルとかグロテスクと呼んでいたら、我々は今頃「ガーゴイルズ?」それとも「グロテスクス?」
ユニコーンズで本当に良かったですね!素晴らしいニックネームを皆で大切に致しましょう!!