【清水利彦コラム】アメリカ国歌の歴史 2025.07.10

清水利彦(S52年卒)
shimizu.toshihiko2@gmail.com

前号のコラムで、「1931年、第31代アメリカ合衆国大統領ハーバート・フーバー(スタンフォード大学フットボール部初代マネジャー)によって、アメリカ国歌が制定された」と書きました。
アメリカ国歌について、私はあまり知らないので、この機会に調べてみることにしました。何も知らず薄っぺらな知識で書いておりますので、誤りがありましたら何卒ご容赦ください。また、国歌の歌詞に私の拙訳を付けていますが、「こう、変えるべきだ」などのご意見を歓迎します。

40年以上前の話ですが、私は米国コロラド州に3年間住みましたので、その間にフットボールだけでなく、野球・バスケットボール・アイスホッケー・ボクシング・ロデオなどの試合を観る機会をたくさん得ました。その度にアメリカ国歌の斉唱があるので、いつも「自分だけ、クチパク」ではカッコ悪いと、なんとか国歌を覚えようとしたのですが、結局うろ覚えのまま帰国した後悔が残っています。

今ではYou Tubeを見れば「歌詞カード付アメリカ国歌」の映像がたくさん載っていますので、覚えるのは簡単ですね。一番シンプルで短いのが下記のバージョンです。87秒

(126) Star Spangled Banner with Lyrics, Vocals, and Beautiful Photos – YouTube

スポーツの試合では、毎回「National Anthem」を歌う事が場内アナウンスで紹介されますので、はじめはNational Anthemが歌のタイトルだと思っていましたが、違いました。
アメリカ国歌には「Star- Spangled Banner(星条旗)」という正式なタイトルがあります。星条旗(国旗)という曲名の国歌ですから、「国旗と国歌」は決して切り離せない、対の存在と言えます。
National Anthemは国歌を意味する一般名詞で、「National Anthem of Japan」と言えば「君が代」を指すことになります。

フットボールの試合に国旗と国歌は欠かせません。於コネチカット大学

アメリカ国歌の歌詞は、こうして創られた

アメリカ合衆国は1776年(安永5年、第10代将軍徳川家治の時代)に独立を宣言していますが、その後も平穏な時期はありませんでした。
1812年から英国軍とアメリカ軍の間で、アメリカ東海岸や南部、そしてカナダ等の領地の奪い合いとなり激しい攻撃が交わされました。(米英戦争)当時、英国軍艦に備えられた大砲は射程距離が3キロもあり、上陸しなくても、海上から激しい砲火を地上のアメリカ軍に浴びせることが出来ました。

1814年9月13日、メリーランド州ボルチモアにあるアメリカ軍のマクヘンリー砦に、英国艦隊が海上から強烈な攻撃を仕掛けました。その攻撃の前にアメリカ人弁護士であり詩人であるフランシス・スコット・キーは英国軍に拘留され、英国軍艦の中で捕らえられていました。アメリカ軍の大砲は射程距離が短いため英国艦隊に届かず、ひたすら防御を余儀なくされました。

海上からマクヘンリー砦にロケット弾を激しく浴びせる英国艦隊を描いた絵画。砦の中央に星条旗が描かれている。(出典:Wikipedia)

砲弾とロケット弾による英国の爆撃は25時間も続きました。フランシス・スコット・キーは砦が全滅、あるいは降伏したのではないかと心配していましたが、夜が明けて軍艦から眺めると、マクヘンリー砦の中心部に掲げられた巨大な星条旗が、倒れることなく風になびいているのが見えたのです。

「砦は無事だ!アメリカ軍は降伏も退却もしていない!まだ戦い続けているぞ!!」と心を打たれたフランシス・スコット・キーは、その後解放されアメリカ本土に戻った際に、その時の感動を詩にまとめました。その詩がそのままアメリカ国歌の歌詞となります。

O say, can you see, by the dawn’s early light,
⁠What so proudly we hailed at the twilight’s last gleaming?
Whose broad stripes and bright stars through the perilous fight,
⁠O’er the ramparts we watched, were so gallantly streaming?
And the rockets’ red glare, the bombs bursting in air,
Gave proof through the night that our flag was still there;
O say does that star-spangled banner yet wave,
⁠O’er the land of the free and the home of the brave?

ああ、君には見えるだろうか。夜明けの薄明りの中、
黄昏の僅かな光の下で、我々が誇り、そして愛する旗が?
君には見えるだろうか、その縞模様と輝く星々が、危険に満ちた
戦いの中で耐え抜き、城壁の上で勇ましく翻っているあの旗が?
夜の闇にも見てとれた。ロケット弾の赤い光や、空中で炸裂する
爆弾の閃光で、我々の旗がまだそこに在るのが見えたのだ。
ああ、あの星条旗は今もまだ風になびいているのだろうか?
自由の大地の上で。そして勇者達の祖国の上で。
(清水訳)

1814年マクヘンリー砦に掲げられた星条旗の実物。非常に大きなものですが、砲火を浴び、ボロボロになっています。現在はスミソニアン博物館に寄贈されています。この当時は米国には15州しかなかったため、星条旗の星の数が15個。ストライプの数も15本です。(出典:Wikipedia)

こうしてアメリカ国歌「星条旗」の歌詞がつくられたわけですが、曲は作詞よりもずっと前、1780年頃に作られました。「天国のアナクレオンへ」という歌のメロディーをそのまま拝借しています。
「天国のアナクレオンへ」はロンドンにある社交クラブ「アナクレオン・ソサエティ」の公式ソングであり、盃を酌み交わすための「酒飲み歌」(Drinking Song)として知られていました。当時既に人気を博していた他国の歌の歌詞を替えて(いわば替え歌だった)、のちにそれをアメリカ国歌に制定したことになります。「天国のアナクレオンへ」をいっぺん聴いてみてください。

(126) “To Anacreon in Heaven” A.K.A. The Drinking Song (Lyric Video) – YouTube

アメリカ国歌の歴史を知り、私が思う事

日本とアメリカの両国国歌の成り立ちが、あまりにも違う事に驚きました。
「君が代」は、国や主君の末永き継続・安泰を祈念する、いわば祝賀の歌と認識します。それに対し、アメリカ国歌は「非常に具体的に戦争の状況を示した歌」であり、戦いの歌です。「ロケット弾が赤く光り、爆弾が空中で炸裂する」という極限状態の様子が描かれており、決してニコニコしながら歌える歌ではありません。直立し、右手を左胸に当てて、おごそかに歌うのが正しい歌い方です。戦いに挑む心意気を示し、誇りを見出す歌ですから、スポーツイベントで歌うのは誠に理にかなっていると言えるでしょう。

フットボール流に言えば、アメリカ国歌は「ディフェンスの歌」です。「敵をなぎ倒し、大勝利を収めた」というような攻撃の成功を讃える歌ではありません。「どんなに激しい攻撃を受けても、我々は一歩も退くことなく、祖国を守り通す」という誇りを示す歌です。こういう歴史的背景を知ってアメリカ国歌を聴くと、じんとこみ上げてくるものがあります。

歌詞が歴史的価値のある崇高なるものであるのに対し、メロディーは英国の「酒飲み歌」をそのまま用いている、という落差には本当に驚きました。我々日本人からすると驚くべき感覚ですね。1931年の国歌制定まで百年以上かかっているのも、そのような出自を問題視する人が多かったからではないでしょうか。ただし「酒飲み歌」としては、このメロディーはとてつもなく美しいものだと思いますが。

フーバー大統領は、国歌制定の際に4つの歌を候補に挙げ、その中から「星条旗」を正式に選びました。選ばれなかった候補の一つが、「My Country, ‘Tis of Thee」(別名America)です。「こちらを選んでも良かったのでは」と思うほど美しいメロディーです。皆さんも一度は聴いたことがあるでしょう。「星条旗」が正式に選ばれるまでは、この歌が事実上のアメリカ国歌だったというのも理解できます。お聴きください。

(127) American Patriotic Song: My Country Tis of Thee – YouTube

それでも「星条旗」を国歌に選んだのは、フランシス・スコット・キーの詩を、アメリカ国民がどうしても国歌の歌詞として使いたかったのだろうと、私は推察しています。

国歌候補の中に、「ヤンキードゥードゥル」という歌もありました。皆さんがお聴きになると、きっと「なんだ、これ?『アルプス一万尺』じゃないのか?」と思うことでしょう。楽しい歌ではありますが、これを国歌に選ばなくて良かったですね。米国選手がオリンピックで金メダルを取っても、この曲が流れるのでは選手がかわいそうです。笑

(126) 【アメリカ民謡・愛国歌】ヤンキードゥードゥル Yankee Doodle – YouTube
※上記のYou Tube映像には、名優のメル・ギブソンが出演しています

アメリカ国歌の歌詞を見ていて、「何かに似ているな」と感じた方はおられませんか?
私は「慶應義塾 塾歌(1番)」と、根底を流れる考え方は同じだなと思いました。

見よ 風に鳴る我が旗を
新潮寄するあかつきの 嵐の中にはためきて
文化の護り高らかに 貫きたてし誇りあり
立てんかな この旗を 強く雄々しく立てんかな
ああ我が義塾 慶應 慶應 慶應

その他、国歌についてあれこれ

今回の調査で、私は「アメリカ国歌は歌詞が4番まである」ことを初めて知りました。ただし「アメリカ人でも1~4番をきちんと知っている人は少ない」との記述がありますので、我々が知らないのは当たり前なのかもしれません。ロングバージョンでお聴きになりたい方は下記をどうぞ。6:30

(127) The Star Spangled Banner – YouTube

1~4番の歌詞が書かれている1814年当時の書類(出典:Wikipedia)

似たタイトルの曲では「星条旗よ永遠なれ(Stars and Stripes Forever)」が有名ですが、こちらは国歌とは全く異なり、1896年ジョン・フィリップ・スーザによって作曲された行進曲です。皆さんもきっと聴いたことがあるはずです。1987年に米国の「公式行進曲(National March)」に指定されています。米国海軍軍楽隊による演奏「星条旗よ永遠なれ」をお楽しみください。

Stars and Stripes Forever

フットボールの試合にはアメリカ国歌が欠かせませんが、私にとって一番思い出深いのは、1991年1月の第25回スーパーボウルです。(NYジャイアンツ20-19バッファロー・ビルズ)

試合終了直前のFGを外してビルズが涙を呑む、という忘れえぬ大熱戦となりましたが、この試合では、ホイットニー・ヒューストンが国歌を歌いました。実はこの時、ちょうど湾岸戦争(Gulf War, 対イラク戦争)が始まったばかりでした。米国がひとつにまとまり、戦いを始めようとする、まさにその瞬間にホイットニー・ヒューストンが国歌独唱の大役を委ねられたことになります。この時ホイットニーは27歳で歌手としてまさに最高潮でしたが、2012年、48歳の若さでこの世を去りました。皆さんの中にもホイットニー・ヒューストンのファンは多いと思います。

過去のスーパーボウルにおける国歌独唱の中で、彼女のパフォーマンスが最も素晴らしかったと多くの人が認めています。(毎年、超有名歌手がこの役割を担いますが、自分流にアレンジし過ぎて、不評に終わることがしばしば起こっています)
タンパ・スタジアムにおける彼女の熱唱と、観客席の興奮の様子を是非ご覧ください。

(127) Whitney Houston – Star Spangled-Banner – YouTube
※NFLでは第二次世界大戦終結(1945年)以降、試合前に国歌を歌うようルール化しています。

米国人を見ていると、「国歌と国旗を心から愛し、国歌と国旗に心から誇りを持つ人々」であるなと、つくづく実感します。
私たちにも塾歌・塾旗があり、部歌・部旗があります。皆でそのことに誇りを持ち、大切にいたしましょうね。


「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
https://footballquotes.fc2.net/
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