【三田会コラム】 クォーターバック黄金列伝 第5回 ロジャー・ストーバック物語<自分の夢の実現よりも、自らの義務と責任を優先させた男>

2026/9/24
昭和52年(1977年)卒 清水利彦
shimizu.toshihiko2@gmail.com

2019年にNFLコラムニスト、エリオット・ハリソンが発表した「NFL歴代QBベスト25」の中で、第8位にランクされたのが、ダラス・カウボーイズのロジャー・ストーバックです。ストーバックは、ジョン・エルウェイ(9位)、ブレット・ファーブ(12位)、トロイ・エイクマン(14位)等よりも評価が上なのです。ランキングの詳細については、下記コラムを参考にしてください。

【清水利彦コラム】 シリーズ「クォーターバック黄金列伝」第1回 ノーム・ヴァン・ブロックリン物語 2025.07.27 | アメリカンフットボール三田会

ロジャー・ストーバックは、NFL実働わずか11年で引退していますし、彼の通算パス獲得ヤード記録は22700ydしかなく、歴代102位です。(1位はトム・ブレイディの89214yd)ストーバックより、もっともっとパスを投げたQBはいくらでもいるのです。

それなのに、「なぜロジャー・ストーバックが名QB歴代8位という高評価を受けているのか」という点について今回はまとめてみました。※スポーティングニュース誌が選んだ「NFL100人の偉大な選手達」では29位(QBとしては第7位)にランクされています。

1963年ネイビー時代。プレー結果に喜び、飛び跳ねる#12ロジャー・ストーバック。左隣はネイビーの名将ウェイン・ハーディン 出典:The College Football Book, Sports Illustrated

ロジャー・ストーバックは1942年オハイオ州シンシナチで生まれました。現在84歳でご健在です。

父は革靴等の営業マン、母はゼネラルモーターズで働く秘書という中流家庭で育ちました。州内のキリスト教系高校に通いましたが、当時から傑出した運動能力の持ち主でした。

1960年、ストーバックはニューメキシコ軍人養成学校(New Mexico Military Institute)に入学します。この頃から「自分は将来、軍人として身を立てる」という意思を持っていたようです。全米各地にあった軍人養成学校には、それぞれフットボール部があり、彼も選手として活躍しました。

1961年、ストーバックはネイビー(United States Naval Academy, 海軍兵学校)に転校し、即フットボール部に入部。身長191cmと当時としては大柄で、強肩かつ俊足のQBとなりました。

ここでネイビー(海軍兵学校)について少しだけ触れておきましょう。ネイビーのフットボール部はAmerican Conference という一部リーグに所属し、ノートルダム大やオクラホマ大等の超強豪校ともしばしば試合を行っていますので、「他校と同じようなマンモス強豪校であり、フットボールの優秀選手を大勢集めた集団」と思われている方も多いと思います。

しかし実態は全く違います。ネイビーの学生数はわずか4500名程度。非常に少数精鋭の学校なのです。兵卒を養成する学校ではなく、「超エリートの海軍士官だけを養成する学校」です。他のフットボール強豪校とは異なり、「フットボール選手としての能力さえあれば、引く手あまたで好きな大学に入学できる」というような学校ではありません。過酷な軍事訓練を耐え抜き、高い学力を要求され、軍事知識・軍事技術にも精通していなければなりません。そのかたわらでフットボール部活動をおこなっているわけです。

(※浅学にて書いていますので、誤りがあれば遠慮なくご指摘ください)

2024年度、ネイビーはオクラホマ大に21-20で勝利していますが、これがどんなにすごい事であったかは、ご理解いただけると思います。

1963年、海軍兵学校の制服姿で、ハイズマン・トロフィーを受け取るストーバック

1962年、2年生のストーバックは第2戦のコーネル大戦で先発起用され、41-0で勝利する大活躍を見せ、エースQBの座を獲得します。最終戦では不利の予想を覆し、アーミーに34-14で勝ちました。

1963年に3年生のストーバックは最高のパフォーマンスを見せます。ミシガン大、ノートルダム大、アーミーを次々に破り、ネイビーは9勝1敗でレギュラーシーズンを終え、AP最終ランクは2位でした。10勝0敗のテキサス大が全米王座を獲得しましたが、ネイビーがシーズン途中サザンメソジスト大に28-32で負けなければどちらがチャンピオンになったかわかりません。

ネイビーは部創設以来133年の歴史でまだ一度も全米王座を獲得したことはありませんが、ロジャー・ストーバックが率いた1963年が最も全米王座に近づいた瞬間でした。彼はこの年のハイズマン賞を獲得しています。ネイビーの選手としては2人目の受賞で、この時以来現在まで62年間、ネイビーのハイズマン受賞者はいません。

ロジャー・ストーバックは優れたパサーであるだけでなく、パス隊形からのQBスクランブルを得意としており、学生時代にランだけで418yd、8TDを獲得しています。彼が縦横無尽に走りまわる姿から「Roger the Dodger(ひらりと身をかわすロジャー)」という異名がつきました。

4年生の時は開幕早々、足を負傷したため走れなくなり、ネイビーは3勝6敗1分と沈んでいます。

大学卒業の前に、ストーバックはNFLドラフトでダラス・カウボーイズから指名を受けていましたが、なんと彼の選んだ道は、「海軍に入隊し、志願して、ベトナム戦争の真っ最中である南ベトナムに1年間派遣される」ことでした。

ハイズマン賞を獲得した彼ならば、そのままNFL入りしていれば相当な高額年俸契約を得られたでしょう。しかしストーバックは「自分はフットボールをやるためにネイビーに入ったのではなく、海軍士官になる訓練を受けるために入学した」という本質・本筋を優先させたのです。

実はロジャー・ストーバックには赤緑色盲という障害があり、戦闘部隊に所属することは出来ませんでした。物資供給部隊の一員として一年間ベトナムで働いたあとは米国本土の海軍基地に戻り、40名の部下を抱える士官として4年間の後方支援任務を果たしています。

海軍士官として合計5年間務めましたが、彼はNFL入りを諦めたわけではありませんでした。米軍基地には各々フットボールチームがあるので、参加してQBとしての感覚を維持し、プロ入りの準備を怠らず最後のチャンスを狙っていました。

カウボーイズに入団したロジャー・ストーバック

1969年、ロジャー・ストーバックはダラス・カウボーイズに27歳のオールドルーキーとして入団しました。入団前の新人キャンプ開催時は、まだ海軍に所属していたため、休暇を申請して参加しています。

「まず自分の義務と責任をきちんと果たし、その上で自分の夢を実現させる」という彼の生真面目さ、誠実さ、律儀さに満ちあふれる生き方に私は感動を覚えます。

ストーバックのNFL実働期間がわずか11年しかなく、通算パス獲得距離記録が平凡なのは、海軍士官として過ごした5年間の「回り道した期間」があるからなのです。

カウボーイズ入団初年度の1969年、先発QBにはクレイグ・モートンが君臨していましたが、2年目にはモートンとストーバックの併用となり、チームは初めてスーパーボウルに進出しましたが、13-16でコルツに敗れています。

3年目の1970年、ストーバックが正QBの座を獲得し、カウボーイズは勝ち続けて再びスーパーボウルに進出。ドルフィンズを24-3で倒し、初のNFL王者となりました。ストーバックはスーパーボウルMVPに輝いています。

そしてダラス・カウボーイズの超長期黄金時代が始まります。

1966年~85年の20年間で、トム・ランドリー・コーチ率いるカウボーイズは208勝79敗2分(.725)プレイオフ出場18回、スーパーボウル出場5回(うち優勝2回)ですが、このうちの多くはロジャー・ストーバックによって成し遂げられました。

NFLの超長期黄金期と言えば、ニューイングランド・ペイトリオッツが2001年~19年に、ビル・ベリチック・ヘッドコーチとQBトム・ブレイディで作った232勝72敗(.763)スーパーボウル優勝6回が一番有名だと思いますが、私はトム・ランドリー・ヘッドコーチとQBストーバックが築いたカウボーイズの黄金期が第2位の価値があると考えています。当時のカウボーイズは、America’s Team という敬称で呼ばれ、他のチームとは全く異なる扱いを受け、尊敬されていました。カウボーイズそのものが、NFLの象徴だったのです。そしてカウボーイズを率いるロジャー・ストーバックは Captain America と呼ばれていました。

ロジャー・ストーバックが引退する1979年までに、彼が先発出場した試合でカウボーイズは85勝29敗(.746)という素晴らしい戦績を残しています。85勝のうち第4Qに入ってからの逆転勝ちが23回あり、更にそのうちの17回はラスト2分を切ってからの勝利だったため、彼には「Captain Comeback(逆転勝ち)」という称号も与えられました。

ロジャー・ストーバックのプレーぶりについては、次の画像でご確認ください。(11分)

Roger Staubach Highlights

また、他にもYou Tubeを開いて、Roger Staubach を検索するとたくさんの動画が出てきますのでご覧ください。https://www.youtube.com/

彼のプレーで最も有名なのは、1975年バイキングスとのプレイオフ試合でしょう。4点差で負けていたカウボーイズが残り3秒で、ストーバックからWRドリュー・ピアソンへの50yd TDパスを成功させ、奇跡の逆転勝ちをおさめました。試合後の記者会見でストーバックが、「私は最後のパスの前に、ヘイルメリー(マリア様、どうかお力をお与えください)と呟いた」と語ったため、この試合はヘイルメリー・ゲームと名付けられ、「試合終了数秒前のロングパスで逆転勝ちすることを、ヘイルメリー・パスと呼ぶ」ようになりました。ストーバックがヘイルメリー・パスの創始者とも言えます。

ヘイルメリーの由来については、下記コラムで詳しく述べましたので参考にしてください。

【清水利彦コラム】奇跡のヘイルメリー・パス 2022.10. 20 | アメリカンフットボール三田会

1979年、ストーバックは非常に好調なシーズンを過ごし、球団からは2年間の契約延長をオファーされたにも拘わらず、37歳での引退を発表しました。原因はシーズン中に2回起こった脳震盪(Concussion)でした。現役通算で彼は20回の脳震盪を起こしており、医師からは「次に起こったら生命を縮める恐れがある」と警告されていたのです。人気絶頂でQBとしてピークにあったロジャー・ストーバックが突然引退したことで、彼の神話的イメージが増幅されたものと思います。

2018年、76歳でトランプ大統領からMedal of Freedom の勲章を授与されるロジャー・ストーバック 出典:Wikipedia

ダラス・カウボーイズは、その後1992年、1993年、1995年度に、QBトロイ・エイクマン、RBエミット・スミス、WRマイケル・アーヴィン等の活躍で3回スーパーボウル制覇を果たしており、これがカウボーイズの第二期黄金時代と呼ばれています。

しかし、その後30年が経過し、ダラス・カウボーイズがチャンピオンに返り咲けない期間が続いています。30年間で地区優勝が7回あり、決してすごく弱いわけではないのですが、最後の壁を乗り越えることが出来ません。

2002年に新設されたヒューストン・テキサンズも、まだ一度もスーパーボウル出場がなく、「テキサス州のNFLチームが勝てない」時期が30年続いています。次のテキサス州の栄冠は一体いつになるのでしょうか?

「『自信』とは、何時間も、何日も、何週間も、何年もの、たゆまざる努力によってのみ、得ることが出来る。」

ロジャー・ストーバック  ダラス・カウボーイズQB

「勝利とは、相手よりも先に進むことではない。自分自身の限界よりも、自分が先に進むことを指す。」

 ロジャー・ストーバック

「カウボーイズの選手たちは、『カウボーイズにはロジャー・ストーバックが居るのだから負けるわけがない』と信じている。そして、誠に残念なことではあるが、我がカージナルスの選手たちも同じ事を信じている。」

ジム・ハニファン セントルイス(現アリゾナ)・カージナルス・コーチ

「清水利彦のアメフト名言・迷言集」
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